第44話『月見酒』

 師走。

 これより、どんどん寒さは厳しさを増す。

 備前長船と鎌倉鶴岡八幡宮にて鬼を討ち果たした柳生宗章と柳生宗矩は、半月後、柳生家下屋敷にて落ち合った。

 宗章は備前より江戸までを馬を使い、十日あまり。

 鎌倉から戻る宗矩はゆるゆると三日掛けての帰参である。


「忍者たちはもうすでに帰参してしばし。見竹は佐渡からの黄金を検分するため、金座に出向いておりまする。ま、今宵には間に合うでしょう。まずは旅の埃を落としていただこう」


 下屋敷で出迎えた宗矩が下働きを使い、さっそく足湯で労い、次いで風呂――湯風呂である――そして着替えと食事を振る舞った。

 今回は正面より下屋敷に入ったのだが、迎え入れた件の老門兵の魂消た顔が忘れられず、思わず宗章は二度目の思い出し笑いを堪えきれずに客間で肩をふるわせて笑い出す。


「真っ正面から入ったのは今日が初めてよ。いつもは裏からだった」

「但馬守の兄が、裏から……」


 と、湯上がりの風魔小太郎も甕底の面を外した傷面で足を崩し、同じく湯上がりの宗章と火鉢を囲み談笑している。

 話題はなんてことはない、お互いの素性について、二、三、あれこれであった。

 このあと、湯を貰った藤斬丸と落葉御前、そして金座からくる御嶽兵衛、城からは小半蔵が合流する手はずとなっている。


「冬は、日が落ちるのが早い喃。――」宗章はしみじみと呟く。

「山間などは、ほれ、つるべ落としよ。覚えておろう、備前の夕日を」


 小太郎も、ふふふ、と同意する。

 その後、先ほどの順で人が集まりだし、大きめの客間に火鉢がみっつほど足される。

 御前などは「なんと贅沢なこと」と目を細めているが、同じ火鉢に当たる藤斬丸の表情は硬い。彼女の表情の硬さを訝しむ気配もなく、御前は火鉢にかざした手を裏に表に、「屋敷で湯殿が使えるのは素晴らしいですわね」と頷いている。

 火災を警戒する関係上、火の扱いには十分な設備による配慮が課せられていたのだ。


「面子は、あと誰だ。ひいふうみい、旦那と鬼巫女さまふたり、俺に小太郎どのに、但馬守さまはいま庶務を熟してるし、小半蔵は肴の用意」と、見竹兵衛こと御嶽兵衛。

「大悟――沢庵宗彭が。都合、八名か。――」と小太郎。


 今宵は望月、年の終わり最後の満月でもあり、なにより最後の仇を喘月に映し出す日である。

 そこで「どうせならば、皆で見ようではござらぬか」と今回の酒宴を申し出たのが柳生宗矩であった。

 床の間には、『喘月』。すっかり妖気を封じきり真っ黒になった不動の札まみれの朱塗りの鞘が、今年の戦いの苛烈さを物語っているようである。

 鎌倉、そして備前で鬼を討ってからこっち、ぞくりとする妖しさは増したものの、神妙不可思議な呪いの類いは解呪数に除されたように目減りしている。


 そのとき、たむたむと渡り廊下を進みくる足音――ふたつである――を聞いた皆は、「ようやく沢庵の登場か」と、坊主と家主の宗矩の姿を想像したが、数名がにわかに眉根を寄せ顔を見合わせると、弾かれたように居住まいを正したまま、下座の先、やや下手へと飛び退った。


 退いたのは顔を手で覆った小太郎、そして御嶽である。

 宗章はそのまま火鉢で暖まっている。

 鬼女ふたりは、そもそも何がおかしいのかに気がついていない様子だ。


 果たして、襖が開けられる。


「おお、揃っておるようじゃ喃。ほほ、久しいな、御前に、お藤。息災か。ははは。――」


 と、ひと声かけて入ってきたのは沢庵宗彭である。

 背後に、覆面姿の体躯のよい武家の男らしき身なりのよい者が続いている。果たして誰であろうかと小首を傾げる女性の面々に、その覆面武士はかるく手で制すると、「わしも火鉢にあたりたい喃。どれ、どこに座るか」と、気軽な様相だ。


 そこで面白そうに「そうですな、ほれ、そこなど」と沢庵が下手しもて、小太郎と御嶽があたっていた火鉢を指す。忍者と妖怪はもっと下座に退いていたので、空だったのだ。

 よりにもよって、そこか。

 忍者と妖怪は、身なりのよい覆面武士が畳を踏むや、速やかに平伏する。その正体に気づいたのだ。


「大納言さま、こちらが空いております。いっしょにどうですか。あとで小半蔵が網と餅を持ってきます故」


 と、上座の宗章が武士を『大納言さま』と呼び、時分の膝元をぽんぽんとたたき誘うではないか。

 大納言さま。

 鬼女のふたりもそう口に出し、「やはりそうか」と忍者と妖怪はいっそう頭を下げ、悪戯がばれた沢庵は「つまらん喃」と苦笑し、武士に宗章の側を譲る。

 沢庵は、鬼女の火鉢に当たってふたりの間で相好を崩している。これに、忍者と妖怪は肩をなで下ろす。


「大納言はなしじゃ。――梅之助うめのすけ、と呼ぶがいい。今ここにいるのは、将軍でもなければ、ただ一己の沢庵の知己と思うてくれ」と、覆面を外した徳川大納言秀忠……こと、梅之助は腰を下ろしてにっかりと笑う。

「ということで、儂の知己、梅之助じゃ。みな宜しゅうな」

「ずいぶんと落ち着きましたな。いや、聞いていただけで初めてお目にかかる……ん……初めて会う、んだけれどな」と、宗章。


 この中で将軍をただのどこぞの馬の骨の武士、梅之助として扱おうとしたのは柳生宗章と沢庵くらいのものである。

 それでも「ふふ」と梅之助は面白そうに笑うと、腰を下ろして宗章と肩を並べ、火鉢にて右手を暖める。


「利き腕を暖めておくは、部門の倣いか、五郎右衛門ごろうえもん。――」と、いたずらに溢れた梅之助。

「宗章でよい」と返す彼の心胆も図太かろう。


 そこに、刀袋を携えた柳生宗矩がひたひたとやってくるや、この光景を見て、じっと上座で澄ませた梅之助を見やり、次いでにこにこ顔の沢庵を見、恐縮している忍者と妖怪に同情の目を向け、やっと畳を踏むと襖を後ろ手に閉めて上座へと腰を下ろす。


「当屋敷の主、但馬にござる。今宵はゆるりと骨を休めていただきたく。――」と、宗矩が梅之助に笑いかける。

「世話になる」と、梅之助も慣れたものであった。


「して、御仁。――」

「梅之助である」と秀忠。

「梅………………」と短く呟き、「では梅之助どの」と沢庵は「すぐに酒の用意を」と一礼し、火鉢に当たったまま廊下へと二度手を打って合図をする。これだけで下屋敷客間、および宗矩まわりの近習は総てを熟す。


 すぐに小半蔵が燗した酒と重箱を持ってくる。


「しつれいいたしま……――ひっ」

「梅之助どのよ、小半蔵。梅之助どの、こやつは小半蔵、お見知りおきを……。――」


 そこにいるのが誰であるのかを察し肝を冷やした小半蔵が、酒と肴を取り落としそうになる呼吸を制し、宗矩が「お主も楽にせい」と労う。

 その呼吸に助けられ、各火鉢に――上座には丁寧に丁寧を重ね、慇懃になりすぎぬよう、酒と猪口と肴の入った重箱を配膳する。


「おのおのがた、遠慮なく。さ、始めましょう」


 宗矩の言葉に、即座に小半蔵は下手は下手の席に逃げる。忍者ふたりに、妖怪ひとりである。「鬼と妖怪と人間、ちょうどいいあんばいではないか」と、笑い合う。

 この席においては、気兼ねなしとなる。


「ささ、宗章どの……。――」


 と、銚子を片手に梅之助が宗章に酌をしようとし、それを彼は片手であったが恭しく受ける。

 換気のため開けられた月見障子から、猪口の酒に月影を映す。


「頂戴いたす。――」と、ひとくちで。


 宗章は飲んだ猪口を梅之助に差し出し、交換するように銚子を受け取ると、「ささ」と彼に酌をする。


「頂戴いたす」と、彼もまたひとくちで飲む。


 そして、じっとお互いを見て、ふとふたりは宗矩を見る。

 こちらはもうさっそく手酌で飲み始めている。

 

「梅之助どの」と、宗矩は重箱をあけて中の肴を勧める。魚の塩焼きなど、小半蔵が捕ってきた小魚や、栽培した野菜の煮付け、魚河岸で仕入れた貝の酒蒸しなどがぎっしりである。


 いっしゅん小半蔵が「毒味もなしで」と内心肝を冷やすが、梅之助は気にした様子もなく箸で摘まみ、酒を含んで風味を嗜むと「うまい」と一言。小半蔵は胸をなで下ろした。


「父上らと野を駆けていた時分は、こんなに美味いものは口に出来なかった喃。――」と、しみじみ呟く。


 そのあたりから緊張がほぐれたのか、客間は温かい空気が満ち始める。


「なに、但馬が鬼を滅多打ちにしただと」笑う梅之助。

「鉄扇で、もうに御座った」と笑顔の宗章。


 面白そうに梅之助が鶴岡八幡宮の顛末に耳を傾けるや、すでに多くは、いつのまにかの車座である。酒も進み、大暴露大会が始まっていく。


「相手は地獄の獄卒もかくやの、八尺を超える牛頭と馬頭。馬頭は泣き叫び黄泉の坂へと逃げましたが、宗矩のヤツは無造作に追いかけると、こうむんずと襟首捕まえるや地獄から現世に引きずり戻し…………」

「ふははははは」と梅之助。

「但馬、お主、地獄に踏み込んだというか…………」これはドン引きの沢庵である。さしもの沢庵も、いや、仏法僧であるが故に、生身で地獄へ踏み込み鬼を引きずり出してきたこの話に、大いに度肝を抜かれたのである。


 これには鬼女ふたりも、忍者ふたりに妖怪ひとりもウンウンと唸るように頷いている。

 宗矩は涼しい顔だが、宗章の腿がつねられている。痛い。


「餅が焼けましたぞ、兄上」

「熱ッ」


 無念無想、一挙動一拍子で灼熱の餅が宗章の口に運ばれる。

 してやられた宗章は仕返ししようとするが、弟は微妙に間合いの外である。膝を立ててまで詰めるのも野暮なので、諦める。

 餅は美味かった。


「さて、あらためて首回向の話をしよう」


 と、これは強かに酔い始めた沢庵が切り出した。

 沢庵は先んじて将軍大納言秀忠こと梅之助と鎌倉担当らには話していたが、先ほど戻った備前組に、元忠公の首を弔ったときの話を聞かせる。


「愛洲一信斎、鬼で御座ったか」と、宗章。

「如何様」と沢庵は腕を組み、「これは月琴ユェチン周防毛利輝元、と見るべきか喃」としみじみと呟く。


 この三百年、積み重ねてきた怨念を思えばこれまでに斬ってきた『仇』も『贄』となった犠牲者も少なくはないはずである。しかし、喘月解呪に於いて、その刀身を顧みるや、目前に見える。


「もともと孤独な女鬼をんなおに、月琴。あやつがこれから、どのような手に出るか」


 沢庵の心胆に去来するは、孤独な女が放り込まれる無間地獄のこの世。恨みも辛みも、維持するには膨大なエネルギーが必要であるし、なによりそのエネルギーを得ることが目的となれば、恨みと辛みがねじ曲がり、こんどこそ月琴は大悪鬼と成り果てるだろう。それが不憫でならないのだ。


「武家と、公家の世を滅ぼすか……」


 しみじみと、梅之助は呟く。

 それを受け、宗章は床の間の喘月を手に取り、月見障子の下部分を開けて風を通し、縁側へと出ると、ゆるりとその鯉口を握り開ける。

 小半蔵が、フっと、室内の明かりを吹き消す。

 喘月の刃文を見るため、望月の月光を遮らぬよう配慮したのだ。


 無音の抜き。しかし、すらりと、まるで音が聞こえるような抜刀だった。きっさきを天に姿を見れば、その二尺四寸五分の美しい刃文が流れゆく。唯一、ただ、一点。


「御坊、愛洲一信斎は鬼と申しましたな」

「いかにも」

「深編み笠で、顔は見なんだと」

「左様」


 月に刀身をかざし、その鎺に近い鍔元に浮かぶ、仇の顔。これが愛洲一信斎のものかは分からぬが、その獣のような、猛禽のような顔つき――そして恐らく、産毛逆立つ怖気を感じるその双眸……。

(――鬼か)

 宗章は、これが愛洲一信斎であろうと確信した。


 では、贄と捧げられしはいずこの者か。

 刀身を返す。

 やはり、その鍔元に浮かぶ、苦悶の顔。


「総髪で、口ひげの男。武士には見えぬ。――」

「……どれ。――」


 と、縁側に宗矩は出て、兄がそうしたように、喘月の刃文を見んと膝を進める。

 宗章は弟にめで問うが、彼は確りと頷いた。

 喘月に魅入られることはないであろう。


 宗章から喘月を受け取り、立てて姿を、そして差し表と差し裏をじっと見る。なるほど、面妖。このように見えるのかと彼はまじまじと観察するも、ふむとひと息ついて首し傾げる。


「……この贄の男、ふむ、見覚えが有るような無きような」


 思案する宗矩。

 そこに、「但馬」と、梅之助が声を掛ける。

 はたと刀身を見せぬようにしながら振り返れば、梅之助――大納言秀忠は立ち上がり、「余にも見せよ」と歩み寄るではないか。


 すわ、喘月の呪縛に惑いしか。

 そう感じた沢庵が念仏を唱えそうになるを、宗章は片手を上げて制する。目で文句を言う沢庵に、彼はぽんと脇差しの柄を右手で叩く。

 惑えばこの将軍を斬ればいいだけよ、と、とんでもないジェスチャーであり、さしもの沢庵も二の句が継げなかった。

 が、なにも斬ればよかろうな雰囲気ではなかった。

 宗矩もその秀忠の視線を受け、「水月の心胆で宜しかろう」と頷き、膝を進め縁側に彼の居場所を開ける。


「酒も聞こし召しておる、安心いたせ」と、秀忠。


 これは以前、喘月の呪いを強い酒に例えた宗矩への返事でもあるのだろう。惑えば己を斬れと許した瞬間でもあった。


「源氏の頭領として、呑まれたままにはしておけぬ故な」


 と、秀忠は正座し、喘月を受け取り、じっと、じっと、ゆっくり時間を掛けて看る。


「美しい喃。鉄の味もよい。まわりの評価に揺さぶられなければ、かような宿痾にも罹らなんだろうに。……あれほど聞こえていたが、もはや秋の虫の名残が如く」

「月琴の怨念が、揺らいでおるのでしょう」と、部屋からその刃文を鬼の目で見る御前の呟きである。


「確かに、美しい」と、小太郎。

「どうしてかな、やっぱり哀しそうだぜ……」と、これは御嶽である。


「正宗が造りたかった刀ではなかった。それを痛感した正宗は、流された己を呪い、揺らいだ出来の――それでも二流半の自分が鍛った一流の太刀に、自分で嫉妬したんだ」


 藤斬丸が、見てきたように呟く。


「相州伝を完成させる前に、山城備前と学ぶうちに蓄積された『至らぬ自分』と『積み重ねてきた自信』への思いが、剣の鉄を歪ませたんだ」

「かの五郎入道正宗を二流半か。鬼の評価は、厳しい喃。――」と、秀忠は梅之助の顔で返し、喘月を宗章へと返す。


「二流半は言い過ぎた。、かな」と藤。

「ぎりぎりお目見えが叶うか。ふふ」と梅。


 藤斬丸は「晩年の作は、それでも最上級に達するものだった。ただやはり、鉄の味は備前には劣ったがなあ」と、認めつつだめ出しも忘れない。


「で、その中の上に映った顔だが、余は見覚えがある」


 満月を見上げ、大納言秀忠が語る。


「医師、張元至もとよしみん国の流れを持つ、毛利家の医師だ。毛利の姫を快癒させ取り立てられしが、先年、不義密通の咎を背負い、首を斬られた男よ」




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