第40話『破邪活殺剣(上)』
藤沢に正宗稲荷という社がある。
妙善寺の一画にある社である。
霜月下旬ともなると町の紅葉は盛りをやや過ぎ、それでも小僧たちは忙しなく紅葉を掃き清めている。掃き掃除をしているということは、小僧の作務は半ばなのであろう。
朝は払暁から本堂や廊下、宿坊の生活空間の掃除から始まり、戸外へ。寺の中心より外へ向かい掃き清めていく。
縁側、回廊、庭石、飛び石。これらが終われば参道へと移る。
その様子を、幼さの残る小僧どもが忙しなく、しかし丁寧に熟しているさまを眺めつつ、
「御前、鎌倉には何度か来られしか。――」
その隣に並ぶ柳生宗矩に問われ、御前は「ええ、幾度となく」と素直に認める。彼女はそして、彼の腰の物に目を落とす。
脇差しは美濃の刀工、初代兼定の作。
そして大刀の方は将軍家秘蔵の『大垣正宗』である。こちらは拵えこそ地味な黒蝋鞘であるが、鍔は透かし鍔の傑物である林又七の作で、
「正宗の工房は、生まれてからこっち、探索の対象でございました故。そのあたりは、もうご存じなのでしょう」
「四月あまりの時間があった由、可能な限りは」
宗矩も本尊に向けて手を合わせ、南に足を向けると西に面した鳥居を潜る。寺に鳥居、このスタイルは鎌倉では珍しくはなかった。仏教施設に神道施設の組み合わせは、この頃から大分メジャーな造りとなっていく。
やや大きな堂。
ここが、正一位正宗稲荷大明神であった。
「ここも、何度来たことか。柳生さま……。――」
「ふふ、よければ但馬守で。兄上とかぶる故」
「但馬守さまは、ことの事情、やはり忍の者たちを使ってお調べになったのでしょうか」
これに彼はフムと腕を組むと、「まあ、それもあり申す」と、そのまま懐から賽銭をふたつ摘まみ出すと、古びた賽銭箱へとカラチャリンと落とし入れる。
がらがら鳴らす鈴こそないが、その稲荷の社、後代の正宗が使ったといわれる井戸の側に腰を下ろし、寺の小僧のひとりを捕まえると門前の茶屋から団子を買ってこさせる。
「今頃、兄上も新月に向けていろいろと企てている頃でしょうな。――して、御前」
「なんでございましょう」
「反魂香は、藤斬丸どのに持たせてありますかな。――」
忘れては一大事。ともすれば小半蔵に持たせ備前へ走らせねばならない。
「ふふ、しっかり持たせました」と御前。
「なれば安心。されど、心配にござる」と宗矩。
三色団子の先、赤いひとつを口にしながら苦笑する宗矩。「心配でございますか」と、恐る恐る団子を口にする御前。
「あ、美味しい……」
「小豆餡を包んでござる。ここの餡子は、備中大納言を使っておりますれば。はは、稲荷明神の由来、正宗の足跡とかけておるのやも知れませぬが、洒落とは別に、なかなかの味にて」
ついぞ。
ついぞ、このように穏やかな時間を意識したことがあったであろうか。落葉御前は、口中の甘さに目を細めながら紅葉の残る木々を眺め仰ぐ。
そして、ふと「私と『喘月』は……」と、一言。それだけいうが、次の言葉はなかなか発せられなかった。宗矩も、これを急かさない。聞いているが、聞こえていないような涼しい顔である。
「十五年。十と五年、一緒にいる藤斬丸にも、詳しい話はしておりませぬ。おそらくは室町の世、どこぞの邦のどこぞの山の
「左様。過去に現れし情景の如く、かの『喘月』は日野資朝が幕府討滅を祈願し正宗に造らせし一刀の影打ち。鎌倉の世の産物。なぜ、
御前の言葉を受け、宗矩そう語り、ふたつめの緑の団子に食いつき、串から口抜きにもぐもぐと美味そうに嚥下する。
「どのくらいまで、突き止めておりまするか」
「まあ、たいていは。――」
ふふ、と宗矩は御前に団子を促す。
御前もひとくち、緑の団子に。ヨモギの香りが甘さと合わさり、これも美味い。
子女が串に食いつくは、はしたなきかと思うが、宗矩は気にしてはいない。寺の坊主も小僧も側にはいない。
「妖刀を生み出せし下地は、正宗の『至らぬ』という自卑の強き念。だがしかし、妖刀『喘月』を生み出せし呪いは、あの獣鬼女にあり申す。――」
獣鬼女。宗矩が江戸城中奥で一時撃退したという、魔性の鬼女である。その姿は、興徳弥八郎を打ち倒した金乗院で彼女も、藤斬丸も宗章も見ている。
「……おつき」
ぼそりと、御前は呟いた。
いまだ知ってはいないはずの、獣鬼女の名を、呟いたのだ。
「お月。唐の言葉では、ユェチン。
「十日あまりかかりましたが、すでに備前に向かわせた見竹…………御嶽兵衛にも伝えてあり申す」
「あのうり坊が備前に」
「鼻がたいそう利きます故」
あんぐりとする御前に宗矩は「ことの有様、その気配を察知するは剣者のたしなみ故」と笑い、残った白い団子をじっと眼前に掲げると、それを白き月に見立てて続ける。
「京の都は山城の、来の一派に月の巫女あり。――」
刀剣の申し子といわれた鍛治師であり、山城伝を学ぶ正宗の妻となったという女の話を、宗矩は端的に伝える。一次資料こそ少なかったが、家伝として刀剣の由来を学ぶ本阿弥家にこの情報はあったという。
「そのお月が残した剣は現存いたさぬが、腕は確かであった様子。正宗が多く、己が鍛造した刀剣に銘を彫らなかったのは、妻の力量を超えたときこそ己が名を刻まんとしていた――などという不詳な話も残っておりまする」
事実、正宗の刀の多くは無銘である。故に偽物も多い。
「金乗院で邂逅したとき、月琴は御前の名を、顔を知らなんだそうで」と、これは出立前の宗章に聞いたのであろう。
「……。――」彼女は無言で肯定した。
「だが、御前は、月琴を知っておった。その旨、そこがわかり申さぬ。御前……」
と、正直に宗矩は尋ねるが、御前はゆっくりと首を振る。
「生まれたときより、何故か『喘月』の妖気と『
「でしょうな」
と、あっさり宗矩は首肯した。そうだろうと分かっていたのか、はたまた、そうであるはずだと確信していたか。
「柳生――但馬守さま、どこまで私のことを……」
「や、や。失礼。役目柄、詮索してしまうのはお許しくだされ。婦女子の隠し事、公にする趣味はござらぬ」
それに、と宗矩は続ける。
「婦女子には、秘密のひとつやふたつ、あって当然ではござらぬか」
と、最後の白き団子をヒョイと摘まんで口に入れる。
その仕草と言いように、御前は「ほんに……」と同じく白い団子を口に摘まみ入れる。そしてゆっくりと食べ終えると、「ほんに……」と、今度はおかしそうに呟く。
「同じようなことを、宗章どのも仰っておりました」
「……。――」
「但馬守さまも、そんな嫌そうなお顔をなさるのですね」
「これは失敬」
誰に失敬なのだろう、とは御前は思ったが口にはしなかった。
「残る仇も、あと少し。この一件、喘月の呪いが解かれしとき、私はどうなるのでございましょうか」
静かに告白する不安を聞き、宗矩は「そうですなァ――」と腕を組んで思案する。串は摘まんだままである。
「江戸に住んで、しばし力をお貸しいただければ御の字。人としての身分なども用意いたしますれば」
と、御嶽兵衛に申し出たと同じようなことを、御前にも申し出る。陰の住人たる鬼や妖怪をも人別帳に記しこの国を治める礎にしようと考える宗矩の考えに因るものである。
つまり、将軍家も認める政策のひとつなのであろう。
「藤斬丸どのには、鍛冶場を与えるのも面白かろうと。ま、そのことは追々。まずはこの一件片付けてからで」
「そうでございますね。でも、このまま何も分からぬまま、総て終わってしまうのでしょうか」
「それはないでしょうな」
と、これもきっぱり宗矩は断言した。
「おそらく、総ては明らかになり申す。まあ、兄上がおりますからな。きっと、真実は明かされましょう。なに、この柳生宗矩の兄でございますから」
と、そうきっぱり言われると、「はァ」と頷くほかはない。
宗矩は小僧を呼ぶと、自分と御前の串を渡しつつ、追加の銭を与えて今度は茶と団子を買いに行かせる。おかわりである。
「団子の赤は春の桜、緑は夏の青葉、白は雪を意味するとか」
「……秋は、ありませんのでしょうや」
「まだ見上げれば、ほら、そこかしこに――」
と、宗矩は終わりかけの紅葉を目で仰ぎ示す。
御前はいちまい、またいちまいと舞い落ちる赤茶の葉を目で追いながら、地に落ち、小僧に掃かれゆくそれをじっと見つめ、「おちば……」と、静かに呟く。
新しく来た団子と茶をお互いの間に置く宗矩。御前はその皿に乗った団子の量に目を丸くする。ぜんぶで八本はあった。
「さすがに多くはございませんか」
「なに、三色団子、あきがないと申しましてな」
「まァ」
と、御前もやや乗り気の様子であった。はしたないかしら気にしながら、いっぽん手に取る。
ひとくち、春を口に。
甘い餡が、蕩けてゆく。
「あきがない、あきがこない、わかりますわ」
「しかしこの団子、八幡詣でのときに兄上もよく食べておったのですが、この拙者のような団子と申しておりましたが、なんのことやら未だに。まんじゅうなどの甘いものを食べると、拙者を思い出すとかなんとか……」と、宗矩が春と夏を一口に。
御前は大納言小豆の黒い餡子を味わいながら、「それはきっと腹黒いからでは」と思いかけ、オホンと咳払い、茶を喫してひと息。
「兄に甘いからでしょうね」と、それとなく内心苦笑する。
「そうでしょうか。――」小首を傾げる柳生宗矩。
そのような時間を過ごすふたりの元に、小半蔵が「お待たせ致しました」と、町人風の格好で小走りにやってくる。
団子を食うふたりを見て、嬉しそうに苦笑をする。
「首尾は如何か」と、ここは目付の声で尋ねる。
「御前の髪を一筋、鶴岡八幡宮の神職に預け申した」
これには御前も冬を口にしながらぎょっとした。
沢庵宗彭に「妖魅への守りに髪をくれ」と請われ、数条渡したことはある。そのうちの一筋だろうか。
彼女は知らぬが、宗矩は鬼女のこの髪を、御嶽兵衛にも脅迫状代わりに送りつけた男である。
「鎌倉の幕府は滅ぼされたとはいえ、この八幡宮は武家の守護神。柳生も江戸詰の前に必ず参拝いたす。源氏の氏神故、徒や疎かにはでき申さぬ」
そしてふたたび「で、例の物は」と再度確認すると、小半蔵は手にしてきた封をされた風呂敷包みに手を置き、「確と」と一礼。これに宗矩は神妙に頷く。
「もしやその包み……。――」
と、なにやら箱のような物が包まれているであろうそれの正体に気がつき、御前は「やはり似た兄弟ですわ」と言葉に出さず、咥えかけた冬の白を啄んだ。
「八幡大神に、これの持ち込みと、まあ、鬼――御前の立ち入りを許可していただこうと思いましてな。こういった根回しは、大事なことなれば」
「つまり、但馬守さま」
「左様。――」
茶を喫し、宗矩は団子をもうひと串つまみ上げる。
「怨敵四条貞右衛門を召喚する婆娑羅舞は、鶴岡八幡宮にて仕る」
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