第37話『ふたり仇(上)』

 長船の北にある、弓削の町も武具生産の拠点であった。文字通り、弓を造る職能集団の集落があり、そのため町の名前にもなったという。古来の呼び方は、弓削部ゆげべ。官職のひとつである。

 吉井川大曲という屈曲部の北に位置していたせいか、十五年前の被害は少なく、この町はかつての面影を濃く残していた。


 大猿を撃退し、数日。

 この町で人足を集い、南にある獣道――御嶽が深夜にその正体を現し、力任せになぎ倒したものを辿り、かつて正宗の工房があった集落跡の片付けをさせるべく、猪と風魔小太郎は動いていた。


「こういうとき、人の身分は助かる」とは、見竹兵衛こと、御嶽兵衛の談。

「室町の昔より生きた大妖怪が、天下の目付柳生宗矩の膝下につくとは、と、誰しも思うだろうな」


 小太郎は顔の下半分を隠す覆面姿。着物は御嶽兵衛が用立てた。武士の姿である。

 彼らは黄金を使い弓削の人間の中から炭と鉄運びの若い衆を集め、この工房発掘の土木工事を進めており、その監督をしている。忍者の多くはこういう地盤基礎工や土留めの作業も得意であるということは、室町期に著述された『伊賀来記』に明るい。

 猪の伝手と、小太郎の手腕がうまく作用しているようだ。


「どう考えても、人間が妖怪に勝てるわけがない。それは、真実大正論でさあ、小太郎どの。でもそいつァ、力だの、速度だの、死に難さだの、特異な能力だの、そこだけ見ればの話」


 ひとつ思い出すように、御嶽は宗矩の前に出たときのことを思い出す。妖気をぶち当て、試した。宗矩は平然としていたという。



 猪は、そのとき宗矩にいわれた一言を小太郎に聞かせるように、そう口にしてから、ぶるりと震える。


「強ぇと感じなかった。でも、怖ぇんだ。あの柳生但馬守って御仁は。生き物としての規格デカさとかじゃあない。勝つとか、勝たないとか、食うか食われるかとか、上だ下だとかじゃあ、ないんだ。わかるかね、小太郎どの」


 しかし、その問いに答えたのは小太郎ではなかった。


「柳生新陰流、『水月』。水面に浮かぶ月影と化した心胆は、対手の心情を容易く映し出す鏡となる……といってな」

「旦那。それに、お嬢ふじきりまるどの。――」


 現れたのは、宗章と藤である。彼らはこの数日も長船の寺の本堂を借りて、なにやらふたりで悪巧みをしている様子であった。

 その悪巧み、見方にも内緒の『秘密の一手』が組み上がったのか、珍しくこの工房発掘の野丁場こうじげんばへ顔を出したのだ。


「そろそろ、望月まんげつでございますな」と、小太郎。

「ふたりの仇を備前と鎌倉、ふた手でいっぺんに討つなんて、よくもまあそんなことを考えつく」と、しみじみ呟く藤斬丸。彼女は手ぬぐい首に巻く御嶽に笑いかけると、「、か。私もいわれたよ」と宗章の腰を小突きながら思い出し笑いをする。


「お嬢もいわれましたか」

 お嬢といわれた藤は「いわれたいわれた」と、かつて増上寺の方丈で自分に向けて三本の棒手裏剣を投げさせた思い出を語って聞かせる。それを聞き、兵衛も小太郎も肩をすくめる。


「似たもの兄弟だな、柳生

「予告せず試して腕前を見るとは、つまり『私を殺して証明しろ』ということだからな。それに、ことの兆し、その心胆を察知し備えることは武士なら当然嗜んでおる。いわんや柳生をや。もそっというなら、あの宗矩をや、だ」

「銀の棍棒でぼこぼこにされるぞ、御嶽さん」と藤。

「ひい、それは堪忍」と兵衛。


 と、軽い挨拶を済ませたあと、四人は野丁場の外れにあるゴミ捨て場へと向かう。差し渡し縦横十間二〇メートル弱、深さ人の背丈ほどの穴である。

 これだけ掘るのも骨が折れたであろうが、なにぶん掘ったのは人足ではなく妖怪猪御嶽兵衛である。そこには、夥しい数の人骨が横たえられていた。


「これが、大猿とやらに喰われし者たちか。――」


 宗章と藤斬丸は手を合わせ、瞑目。そして改めて――五十数人はいるだろう、しかも彼らはあくまでもこの工房跡、その側、近辺で見つかった、者たちである。


「大猿のみならず。この風魔小太郎、魑魅魍魎の成り損ないの獣を何頭か首を刎ね爆殺致した」


 狐狸、野犬の類いである。

 初めに倒した大猿は、いちばんの大物だったらしい。


「長き室町の世、山野で人が消えるはよく聞く話だが、野盗山賊の類いのみならず。いや、この長船吉井川近辺に於いて山野で人が消えるは、月の女――月琴ユェチンが放った護衛者どもの仕業かと」

「小太郎、護衛者とは……」

「喘月が生み出されし工房の守護者。大猿はじめ、この山に放たれし獣どもよ。長船の刀剣を狙う野盗山賊の類いも喰われておったろう、特に吉井川氾濫のときは泥棒や鍛治師の遺体も食いに食ったと看る」


 だが、秘密を探る者が鬼や妖魅なら話は変わる。守護者はこうして返り討ちに遭い、工房の場所を明るみにする結果となる。


「図らずも、長船周辺の治安を守る結果となったか」

「この工房付近が『』。見よ柳生。忍者もおる。そこは武士、隠密であろうか。検視致したが、時代は古いものから新しいものまで。食い散らかすにも場所を選んで追ったようだ。東に上がったところの巨岩の付近が、『』であった」

「端に土が盛られておるな、あれは。――」

「女子供の骨だ。野晒しは忍びなく、埋めたよ」


 探せばまだまだ出るだろう。小砂利のように砕けた物も多かろう。土に還ったものも多かろう。

 彼らは集められるだけ集めたのだ。


「…………おんかかか、みさんまえいそわか」


 宗章は亡骸に手を合わせ、真言を唱える。

 唱え、「工房跡には何があったか分かるか」と問う。相手は兵衛である。彼の鼻が何か探り当てた可能性は高い。


「いちど火を放たれておりやした」

「火を。――」

「刀鍛冶の工房と火は、切っても切れぬ縁。鉄を溶かすわけでございますからね。おっと、これは釈迦に説法でしたな。――その火でございますが、工房の母屋、煮炊きや寝起きするところから燃やされたがございます。朽ちた漆喰の脆さが、工房より母屋の方が強おございましてな、火に晒された時間がこれでわかる次第」


 兵衛の言では、長い年月を風雨に晒されたとはいえ、建屋の杭の燃え具合と瓦礫の脆さは風化を鑑みても大分残る。失火を抑える工夫を凝らした鍛冶工房は、炭焼き小屋同様、総じて防火と耐火に秀でた物が多かった。

 山野に火が流れるのを防ぐ必要もあったろう。

 井戸跡も見つかった。

 掘り起こせば水はまだ健在であろう。


「旦那、ただの火ではございませぬ」

「……。――」

「鬼火でございます。情念を燃やし、水では消せぬ地獄の炎。鬼が使う魔性の火、鬼火でございます」


 ふごふごと、鼻を鳴らす御嶽兵衛。「怨念の匂いが、ネ。喘月と同じ香りなんですよ。佐渡で旦那が抜いたときに感じた、あの肝が吸い取られるような、どこまでも落ちていきそうな、生きたまま地獄に身を置くような――」と、いちど身を震わせ、穴の中の亡骸たちを見ると、「そして誰にも見つけられずに寂しく朽ちていくような哀しさがねェ、感じられるんすよ」と。


 やや『喘月』に同情気味の気配である。

 お月と呼ばれし、渡来人の月琴ユェチン。山城は御所近くより招き来派の技術者であり、なにより正宗の妻。

 喘月に呪いをかけし大元凶の鬼女。

 その身、獣に変生せし長髪の美女。


「正宗か。――」


 推測に過ぎぬ。推測に過ぎぬが故に、その思いつきが真ではないかと疑いを向けてしまう。


「正宗は、妻に殺された。――」

 いやちがう。

「お月は正宗に殺され、鬼となった……。――」


 なぜ殺す。男を恨み、女を傷つけぬきっかけとは。

 なぜ殺された。傷つけられた女が、男を恨む。

 月の銘、鏨により切り潰されし一文字。

 

 お月と呼ばれし、月琴ユェチン

 正宗の妻。

 喘月に呪いをかけし大元凶の鬼女。

 その身、獣に変生せし長髪の美女。

 その腹に袈裟懸けの深き傷。


「何故、腹に傷が。――」


 腹……。


はら。いや、はらか……ッ。――」


 憶測は憶測を呼ぶ。その執着に思考が囚われれば、結果がねじ曲がる。


莫妄想ばくもうそう――喝ッ」


 妄想することなかれ。低く叫び、宗章は思考に絡み取られそうになる脳をリセットさせる。

 執着は剣に及ぶ。

 剣者としては不覚を取る恐ろしい要因である。――が。


(――これは探らねばなるまいて)


 宗章は心胆を水月の境地へ。鼻で大きく息を吸い、口からゆっくりとゆっくりと吐き出していく。心拍は落ち着き、脳内に去来した恐ろしい妄想を追い遣る。


「いかがした柳生の」

「ちィと、な。ここの四人で少し悪巧みをしたいと思うておる」


 すっきりとした顔で宗章が、小太郎と御嶽兵衛、そして未だ手を合わせて菩提を弔わんと瞑目し念仏を唱える藤斬丸を呼ぶ。

 そしてこそこそと、余人がいないにもかかわらず額を付き合わせ、小声でひそひそと声を潜めてなにやら伝える。


「旦那、それは。――」

「柳生の、お主。――」

「やってみなけりゃわからんさ。喃、お藤」

「呆れた。昨日までの悪巧みの成果を、もう試すというのか」


 宗章は頷く。


「ともあれ今宵は望月。まずは仇の面を拝むとしようて」


 と、にっかり笑うのであった。


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