第27話『五連の頭蓋杯(上)』

 ――あるところに、おとこありけり――。


 深夜。

 興徳弥八郎がとある古刹に招かれた先にて控えていると、初老の男が音もなく入ってきた。弥八郎は静かに平伏し奉る。


「陰流印可のお主に、討って貰いたい武士がおる」


 毛利家年寄三岡甚右衛門がそう切り出したのが、文禄元西暦一五九三年八月朔日ついたちであった。重三郎の呪い掛けより、三年ののちである。


 是非もなし。

 面を上げぬまま、弥八郎はにたりと笑う。


「……。――」


 甚右衛門は無言で促し、弥八郎はそっと面を上げる。

 猛禽のような面構えであった。鷲鼻であり、なにより目が鋭い。眼は丸いが、円に開かれたそこに収まる鈍く黄ばんだ虹彩と墨が落とされたような瞳孔が人離れした気迫に爛々と光っている。


「対手は新陰流で……」

「左様。――矢井田惣兵衛」


 名を聞いた瞬間、(新陰二刀流の使い手。――)と腑に落ち、再び平伏する。


「承知仕りましてございます」


 平伏したまま、「斬れ――ではなく、討つ。これは流派の意地ではなく、武門の意地と名誉のためと心得ましたが、相違はありませぬか」と訊ねると、三岡甚右衛門は目をぎょろりと動かし、睨み付けるような光を弥八郎の首筋に落とす。

 瞬間、弥八郎の襟首の毛穴という毛穴が泡立った。ぞくりとする殺気である。あきらかな殺意である。

 剣士として反応しなかったのは、その殺意が剣士のものではなく武士としての上意者の持つ気迫によるものであるのが理由だった。


「存分に仕れ。ときは次の望月の夜。使いの者が外におる、子細は其奴に聞くといい」


 それだけ伝えると、三岡甚右衛門は「狂うなよ、弥八郎」と言葉を残し、古刹をあとにする。

 しばし、遠くに馬の蹄が土を蹴る音をみっつ、よっつばかりを聞き取ると、共連れと去っていったのだと、そこで面を上げる。


 笑みであった。

 純粋なる武人の笑みであった。


「しかし、このためだけに年寄三岡甚右衛門がこんな古寺にやってくるものであろうか」


 改めて口にすると、ヒタリ……ギシリ……と、板を軋ませ来る足の音。ひとり。子供か、女人であろうか。軽い。

 いや、気配そのものは重い。

 興徳弥八郎は、ふと太刀を引き寄せ、左手に。

 抜き撃ちの構えを取らせたのは、首筋の泡立ち……殺気――いや、妖気である。三岡に感じた上意者の圧倒的な気迫ではない。これは異質なものであると弥八郎は静かに息を呑み、ゆっくりと吐き、静かに腰を浮かせる。


「しばし。興徳どの、しばし。――」


 彼を抑える、艶やかな声。

 板の軋みが南の板間にて止まったとき、聞こえてきたのは冬の深夜を感じるような凍える情念を思わせる声である。


 声がしたときには、すでに面を伏せ畏まる女の姿があった。一目蝋燭の灯りが、ようやく届く場所である。滲み出るように、その女は現れた。


「誰か」と誰何しようとし、それが三岡の言い残していった使いの者のことであると推察する。おんな、か――と、浮かせかけていた腰を落とし、足を崩してため息をつく。


夕月ユウヅキと申します。――」

「おお。――」


 感嘆の声が漏れた。

 知れず、漏れ出していた。

 現れた女がやや上げた面の気配、その艶やかな美しさに目を奪われたのだ。畏怖されし術を極めた剣士としては、失態であったかもしれない。そんな呆けた、まさに気の抜けるような嘆息が続く。


 このとき、三つ指突いて顔を伏せているこの夕月と名乗る女が,目前に置いている刀袋にも気が付かなかったほどである。


「殿さまより、この夕月、身分卑しき身なれど興徳さまの御世話をするよう仰せつかりまして……――」


 そのとき、ようやくこの夕月なる者の異質さに気が付いたというべきだろう。身分卑しきにしては、着衣が武家のそれである。歳は弥八郎より若いが、二十代としまであろうか。


「いずこの武家の子女か。申せ」

「武家ではございませぬ。浪々の身にて。――」

「拾われ巫女か」


 合点がいった。

 拾われ巫女とは、戦災にて婚期を失った武家の子女がその体を使い武家の者の世話をする職の総称である。道道の者ともいうが、教養と倣いを知らぬ者が成れぬ職であった。

 その身元の引受人が、殿――口に出せぬが、年寄三岡甚右衛門のことであろう。あの老獪は、このような者を何人も囲い、政治の道具としているのであろう。


「こちらを大殿さまよりお預かり致しております」


 そのとき、初めて刀袋を弥八郎側に置き直し、膝ひとつ下がる夕月。面を伏せなおし、控える。


(いつここまで近づいたのか)


 弥八郎が疑念を持つよりも先に、その刀袋――深紅のそれが紐解かれ、しゅるりと柄頭が現れる。

 いつ解いた。

 いつ露わにした。

 弥八郎の疑念は、浮かぶ前に夕月に、いや、その刀、『喘月』によってかき消されていた。


「興徳さま。ああ、興徳さま。いや、弥八郎さま。この刀は『喘月』と申します。この太刀で矢井田惣兵衛を討ち取ってくだされや。ああ、弥八郎どの、弥八郎どの、培いしその陰流の剣技を存分に発揮奉りたもう。ああ弥八郎、弥八郎……。――」


 一目蝋燭の灯りは、いつのまにか消えていた。

 とうに体の自由は利かなくなっていた。酔ったかのような、心地よい酩酊であった。剣者の本能は危険を発していたが、動けぬ。夕月の声だけが耳から脳を融かし入り来る。

 夜に支配された本堂の闇に、くすんだ金色の影が尾を引く。頭を振った弥八郎の目が黄銅の仏具を見誤ったのか。いや、それは瞳であった。


「ゆうづき。――」


 そのまま、金の瞳を持つ女に押し倒された。

 喘月の呪いか、はたまた女の毒か。刀を抱かされ、口を吸われた。ぬめぬめとした、なめくじか蛭か、全身という全身を這い回る。血管の中、臓腑の隙間、心の臓、あらゆるところを這い回る。


「立ち合いは次の望月。――」


 脳に染み入るその艶。

 中秋の名月であった。

 かくして、興徳弥八郎の肉にからみつく快楽は、夜明けを待たずに剣者の魂を腐蝕させるに至ったのである。







 差し裏に、弥八郎。

 差し表に、惣兵衛。

 喘月は満月にそのふたりの顔を浮かび上がらせた。


「過去は見えたか。――」

「見えた。見えた。……しかと、見たぞ」


 口上を終えた藤斬丸が喘月の刀身を納める宗章に、いや、落葉御前へと併せ目配せをする。

 朗々とした口上の最中に見た喘月の過去の中、顕かな異質が確認できたからだ。


「幽玄に至った私が何を語ったか、ふたりは覚えている……いますか」と藤斬丸。当然とばかりに静かに頷く御前、そして「弥八郎の来歴と、気になるふたりが出てきたな。年寄格の、のことはどうでもいいが、『喘月』を持ってきた女がいたな」と、宗章。


 おんな、か。と、胡座した宗章が喘月を抱え立てながら唸る。


三岡甚右衛門なんたらなんえもん、これは毛利の重鎮だろう。その重鎮が、わざわざ護衛を付けてまで興徳弥八郎へ引き合わせた、夕月なる女。――」


 宗章の呟きに落葉御前が月下に膝を進め、肩を並べるよう控える。見上げる満月に目を細めるのは感傷か、はたまた。


「口上は、藤が見た過ぎ去りしかこの情景をにしたものに御座います。これには、藤の、見た情景をにする力に左右されますが、どのくらいの情報が浮上しているのか、ですね」


 見たものが十全に宗章と御前のふたりに伝わっているのか、そもそもが藤の口上力に左右されているのだ。

 見たもの感じたことを言葉にするのは至難の業である。


「金の瞳と申したな」


 宗章が、振り返り藤の目を見る。その鬼の目は、金色に月光を返している。ゆっくりとした瞬き。金の瞳、黄に澱む魔性の瞳である。

 それは、隣に控える御前も同じである。


「鬼の女が、居る。夕月――か。んまァ、偽名であろうな」


 聞き覚えは、と問いかけるが、ふたりは首を振る。

 知らぬのは本当のことだろうが、御前はしかし、「宗章さま」と、どこか艶を含むあの声で、彼が抱える喘月に手を伸ばす。

 喘月を彼女に預ける宗章がフムと顎を撫でさすると、落葉御前が鞘ごめの喘月をくるりと返し、柄の目釘を爪で押し抜き――そのまま鐔を抑えるように柄を外す。


「覚えているでしょうか、宗章さま」


 露わになった喘月の茎を撫でながら、御前がとなりに胡座する益荒男へと問いかける。


「何にしても、そいつが覚えてるはずなどないでしょう」と藤。

「話の腰をおるな小娘。――んまァ、難しい話でなければな。どのことだ、御前」

「陰流、佐々木重三郎の……妻の名。――」


 御前の言葉に、柳生宗章は口を真一文字に引き締め、「月子」と呟く。思い出せたのは、ふと見上げた満月、そしていままさに御前が撫でる喘月の茎に刻まれた、『月』という銘の一字が目に入ったからである。

 その鏨で袈裟斬りに傷つけられた『月』一文字。


「月子、それに夕月か。魔性のものにしては、嘘をつき慣れておらぬのか、匂わせにもほどがあろう。が、だ。ふたりとも、ふたりの鬼よ、よく聞いてくれ。鬼というものは、人か変生し化けるものと大悟沢庵もいっておったが、その拠り所からはけっして離れられぬ。その在り様は、この世に在らざる者ゆえに、この世に在るモノを楔として用いねば存在できぬと聞いた。――」

「めずらしく難しい話をする」

「茶化すな、小娘。――そう、藤斬丸。お主はその身に宿した七本の備前刀が、この世への楔なのだろう。落葉御前は、恐らくその落葉の名と、本性である蜘蛛の姿が楔なのであろう。御前の楔は、んまァ、まだよく分からぬが」

「楔で御座いますか」


 喘月の銘を指でなぞる御前が、「そればかりは、本当に私にも判りませぬ」と苦笑を返す。「落葉おちばの中から生まれた蜘蛛の鬼が、わたくしでございますれば」と、柄をはめ直しながら悲しそうに零す。


 だが人で在ったのは確かであろうと、宗章は剣者の本能で察する。いかに異質異様であっても、人が人の気に填まりきらなくなり変生した鬼であるのを、人であるが故に感じるのだ。


「御嶽兵衛は、ししの妖怪。怨念無念が詰まりし死体を喰らった獣が、獣の気に填まりきらなくなり変生したモノだったな。いやはや、気とはまさに恐ろしきものよな。ふむ、は、に通ず、か。――」


 喘月を返された宗章は、首筋を撫でこする。


「通称『喘月』、茎に刻まれた月一文字、月子、夕月。そして新月みそかに望月ときた。月づくし。無関係では、なかろうよ」


 さて、女は斬りたくないな……との言葉を飲み込み、宗章はかわりに「邪報剣ねえ」と目前の戦いへと意識を向け直す。


 だが、藤は、藤斬丸だけは少しだけ落葉御前に目を向ける。

 浮かべる色は、疑問である。

 その視線を受け、落葉御前は己の楔のことかと受け取った。

 しかし、藤は口上の最中を思い出していた。


 あの金の瞳、あの容姿。

 邪気溢れるあの気配こそ違えど、艶の香りが似ているのだ。


「御前。――」


 藤斬丸は言葉を飲み込む。藤斬丸も知らぬ、大恩ある落葉御前が喘月を屠りたく思う本能。

 やはり御前は、喘月側の人間だったのではないかという思い。


「難しいことは分からぬが」


 と、宗章は笑う。

 その明るい声に、疑念が寸断される。


「喘月の呪いを解くことで、まあ、詳らかになるだろうよ」


 気が楽になるような、気が抜けるような、そんな声だった。

 ああ、この男も気が付いてるのだろうなと、藤は得心した。


「柳生新陰流、水月の境地。秘剣月影。これも俺の宿運かもしれぬな。……おのれ宗矩、うまいこと引き受けさせられたわ」


 方丈の縁側に頭を向け寝転がる宗章。

 すぐそばには御前の膝頭。

 自然じねん見上げるは夜空である。


 ――月か。


 天に望月、傍らにふた組みの鬼の双月ひとみ


「女は、斬りとうないな」


 目を閉じ、今度は、はっきりと呟いた。







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