Day2
目覚めたらそこは現実だった。
見慣れない天井は、ぼくたちが昨夜の体験が夢でなかったことを教えてくれた。
けれど、絶望ばかりではなかった。偶然なのか仕組まれた罠なのか、幽霊が出題してくる問題は、最近までぼくらが勉強をしていた就職活動の試験から出題される。
ぼくたちは生き残ることができるかもしれない。
「おはよう」とユキコが言う。
ぼくが返事を返すよりも早く、ユキコは「ごめんなさい」と言った。
謝る理由は分かる。けれどユキコを責める気にはなれなかった。「大丈夫だよ。ぼくたちは運がいいから、きっと生き残れる」
「ああ、おれたちは大丈夫だ」キョウスケがむくりと身体を持ち上げた。「そんなことより大事な問題がひとつある」
なんだろう。ぼくとユキコは顔を見合わせた。
「腹減った」
ぼくたちは笑いながら、朝食バイキングに向かうことした。
*
朝食会場は、ここが呪われたホテルであることが嘘のように人で賑わっていた。
「こんなに人が泊まってたんだ」ぼくらが入り口近くで空いている席を探していると、係の人が案内をしてくれた。
「他の部屋はでないのかしら」まわりの様子から察するに幽霊被害にあっているのはぼくらだけのようだ。
道すがら昨日はよく眠れましたかと尋ねられたので、ぼくたちはテンプレートのように良い返事をした。
係の人はきっと悪気なんてないのだろう。もしかしたら呪いの噂も知らないのかもしれない。それに呪いを打ち明けたところで、解決策が返ってくるとは思えなかった。
ぼくらは朝食をひとしきり食べ終えて、最後に取りすぎたスイーツをもて余していた。
「食い過ぎたな」キョウスケは周囲を見回した。
まだまだ人で賑わっている。きっとこれから行楽地にいくのだろう。
「おみやげとか、買うんだろうな」ついぼやいてしまった。口にはださなくても、ぼくたちに遊んでいる暇がないことは、恐らく三人とも理解をしていた。
そろそろ行くか。と席を立つことが名残惜しい。朝食会場をでれば、ぼくたちを待っているのは呪いへ立ち向かうための勉強の日々だ。
ぼくら三人は口を開くことができず、皿の上に残ったデザートをじっと見つめていた。すると突然「わかりますよ」とぼくらの沈んだ空間に急に声が差し込まれた。
ぼくらが顔をあげると、視線の先には大きなひげ面の男が立っていた。
思わず必要以上に身構えてしまう。
「何が、わかるのですか」ユキコは慎重に言葉を選びながら尋ねた。
ひげ面の男は笑みを浮かべたままぼくらの机を指差した。「バイキング、ついつい食べすぎちゃいますよね」
緊張が溶けたのが分かるくらい、ぼくらの肩から力が抜けた。「あぁ、食べすぎ」ユキコは苦笑いをしてぼくらに目配せをした。
ぼくら以外に呪いのことを知っている人がいるわけない。ここは楽しむ場所なんだ、心がオープンになるひともいるだろう。
「ご旅行ですか?」とユキコが形式的に尋ねた。
「もちろんさ。こんな楽しいところに仕事でくるやつはいないだろう」
そう。ぼくたちも楽しむつもりだった。呪いになんて巻き込まれることさえなければ。と考えるとつい暗い表情になってしまう。
「おや、きみたちはまさか、仕事だったかな?」ひげ面の男が申し訳なさそうにしてしまったので「ぼくらも観光です」と慌てて訂正した。
「じゃあ、お互いに楽しみましょう」そう言ってひげ面の男が去るとぼくらは、一層暗い表情になった。
「なあ、せめて今日くらい」キョウスケが言いかけたところでユキコが口を挟んだ。「わたしたちは遊ばない。遊べないの」
キョウスケは何か言い換えそうとしたが、飲み込んだ。肩を縮めるユキコにどんな言葉もかけられない。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
ぼくらは皿に残ったデザートを片付けられないまま、席を立った。
*
ぼくらは部屋に戻るなり勉強に没頭した。不思議なもので就職活動のときよりもずっと集中して参考書と向き合うことができた。
「やっぱ、死にたくねえもんな」自宅でできる筆記試験をすべてユキコに頼んでいたキョウスケは、なおさら必死だった。
参考書が一冊しないので、ぼくらは互いに問題をだしあうことで時間を有効に使った。
「まあ、今日の回答者はユキコだから、大丈夫だろ」といよいよ勉強に疲れてきたころにキョウスケがベッドに寝そべった。
キョウスケの言うとおり、ユキコが間違えるとは思えない。きっと今日は大丈夫なはずだ。
「でも、明日からわたしは手伝えないの分かってる?」
ぼくとキョウスケは、ユキコよりずっと頼りない。どちらかといえば勉強は苦手だし、就職活動も本気で取り組んだわけでもない。
みんなが応募しているから就職活動を始めて、みんなが終わりそうになって慌てたら運良く内定をとることができただけだ。
「ごめん、空気を悪くしたわ」いつも強気なユキコがしおらしくなると、ぼくらはどうしていいか分からなくなる。弱気なユキコへかける言葉は、辞書登録されていないのだ。
「飲み物、買ってくるね」とその場から逃げ出すくらいしか解決策が思い付かなかった。
部屋をでるとぼくは声をかけられた。声のほうに目をやると今朝ぼくらに話しかけてきた長身のひげ面男が立っていた。
ぼくは「どうも」と会釈してその場を後にしようとしたが、ひげ面の男は偶然の出会いに感激したのかさらにぼくに近づいてきた。
「お部屋、隣だったんですね」
「そう、みたいですね」
ひげ面の男は「ニシサカです」と名乗った。関係性を作りたいとは思わなかったけれど、名乗られたのであれば返さないわけにはいかない。
ニシサカは饒舌に今日遊んだ内容を話してくれた。いまのぼくには聞きたくもない自慢話だ。耳を塞ぎたい気持ちをぐっとこらえて愛想笑いでその場しのぎをする。
「そうだ、良かったらこのあと一緒にどうですか?」とニシサカは夕食にぼくらを誘った。よほど旅行に浮かれているのだろうか。いまのぼくらに一期一会に浮かれている余裕なんてない。
「聞いてみますよ」と社交辞令を残してぼくら立ち去った。ぼくらは命をかけて呪いと戦っている。遊んでいる暇なんてないんだ。
*
「まさかユキコが許可するなんて」
ぼくらはニシサカとその友人、そしてニシサカが呼んできたであろう多くの人たちと一緒にホテルのテラスでバーベキューをしていた。
「まあ、一回くらい、いいじゃない」そう言ったユキコだったが、手にはソフトドリンクを持っている。
確かによい気分転換にはなっている。心から浮かれるにはアルコールが必要だろうが、ずっと部屋の中にいても煮詰まってしまう。
「でも、呪いの正体って、なんだろうね」
ぼくの何気ない質問対してユキコはそっけない返事だった。「呪いを解決しようなんて思わないでね。これは映画じゃないし、わたしたちは選ばれた人間でもない」
ユキコはそういうが、ぼくとキョウスケから見えるユキコは選ばれた人間だった。
勉強をすれば右に出るものはなく、スポーツをやらせればあっという間に経験者以上の力を発揮してしまう。
ユキコはきっと、天才と呼ばれる人種なんだ。
「なに?」ついじっと見つめてしまった。ユキコが怪訝な顔でぼくを睨み付ける。しかし、端からみればそれは男女が見つめあっているように見えたのだろう。
「おい、おめえら、なにいちゃついてんだ」とビール片手に千鳥足のキョウスケが絡んできた。
「あなた、お酒」ユキコは呆れて頭を抱えた。「わたしたち、大丈夫かしら」
「心配ごとでも?」さらに引き寄せられるようにニシサカが楽しんでますかと顔をのぞかせた。
おかげさまでと社交辞令て返す。
「まさか、あなた達も例の噂を気にしているので?」
ぼくらはどきっとして顔を見合わせた。「もしかして、ニシサカさんも?」
ニシサカは少しあたりの様子を伺ってから、腰をまげて、ぼくらに小声で囁いた。「実は、わたしも気になっているのです」
まさか、呪いのことを。と口に出す前にニシサカは「クーデターのことですよね」と続けた。
ニシサカが言うには、この島には政権転覆をはかろうとする過激派の基地があるらしい。近いうちに行動を起こそうと企てているとか、いないとか。
「まあ、眉唾ですがね」とニシサカは言ったが、呪いを目の当たりにしているぼくらには、クーデターなんて身近にすら感じてしまう。
「まあ、噂話ですよ」それでは、とニシサカはまた違うグループに顔を出しにいってしまった。
ぼくらは言葉を失ってしまった。「くそ、酔いがさめちまったぜ」
「ほんと、ごめんなさい」ユキコは謝った。
でも、ユキコは悪くない。だれかのせいになんか、できないのだから。
*
「はいどーもー、こんばんはー」
その晩、幽霊はとても似つかわしくないハイテンションで今晩も姿を現した。対照的に落ち込んでいるぼくらに気づいて「あれ? もう呪いのプレッシャーに負けた?」といっちょまえに煽ってくる。
「お前のことなんて、どうでもいいよ」
「たった一日で、もう!」やや酒が残っているとはいえ、キョウスケの投げやりな態度に幽霊は驚いていた。「いったい、何があったっていうんだい」
「そういうのいいから、早く問題だして」ユキコは、敵対心を丸出しにしていた。眠いのと新しい問題がでてきたせいで苛立っているみたいだ。
「ぼく、なんか悪いことした?」どうやら拠り所にされているようだが、生憎ぼくたちのストレスの元凶をフォローするきにはなれないので、愛想笑いで誤魔化した。
「わお、みんな素っ気ないね」幽霊はもういいよとふてくされながら問題をだした。
予習をしていたからだろう、ぼくでも問題の答えはわかった。とても単純で引っかけ要素もない。まして回答者がユキコなら何の憂いもない。っと肩から力が抜ける間際、誰かが答えを言った。
それはユキコの声とは違う、野太く、やや呂律が回っていない調子で、回答者でないはずのやつが答えた。
「キョウスケ!」思わず大きな声が出た。
キョウスケは、はっとして口を塞いだ。けれどもう取り返しはつかない。幽霊をみるとなんとも嬉しそうにぼくたちを見つめている。
「あれ? あれあれあれ?」
ぼくたちは二日目にして幽霊が作ったルール、回答者はひとりだけを守ることができなかった。
「きみたちは、負けということかな?」
すでに闇夜で暗いはずの部屋が、さらに暗くなっていくような気がした。違う、ぼくの視界が真っ暗になっているんだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」キョウスケは慌てているが、幽霊は聞く耳を持たない。ぼくたちが慌て、絶望する様を楽しんでいるようだ。
「で、もう終わりなの?」
ひとり、ユキコは落ち着いていた。じっと幽霊を見つめて、絶望している様子もない。
「いやいや、終わりだよ。ルール違反のきみたちは、ぼくに呪い殺されるんだ」
「ルール違反?」聞き捨てならないとばかりにユキコは顔をしかめた。「わたしたちの、どこがルール違反なのよ」
あまりにユキコが強い調子でいうものだから幽霊は何度も絶望するぼくらを確認した。「だって、ほら、この男が」とキョウスケを指したが、ユキコは「馬鹿じゃないの」と口答えする隙を与えない。
「わたしはキョウスケより早く答えていた。回答者はひとりだというのなら、先に答えたわたしが回答者じゃないの」
さらに語気を強めるユキコに幽霊はたじろいだ。「で、でも、あなたの声は聞こえなかった」
「わたしは先に答えた。聞こえなかったのは、わたしのせいじゃないわ」
あまりに無茶苦茶な難癖だ。たしかにユキコの声は決して大きくはない。けれど、ユキコが本当に先に答えていたのかなんて証明のしようがない。普通ならまかり通らない屁理屈だ。
けれど、幽霊は屈した。
「今日だけは、特別だぞ」小声で悔しそうにつぶやいま。
「次からは、先にぼくの聞こえるように答えたやつが回答者だからな」いいな、と念押しすると、ようやくユキコも穏やかな表情になって頷いた。
「わかった、わたしたちはあなたのルールを守る。約束するわ」
ユキコの態度に安心したのから、幽霊は別れを告げると闇夜のなかに消えていった。
「ユキコ、おれ」キョウスケがなにか言おうとしたのでユキコはなにも言うなとばかりに手を向けた。
「これで、貸し借りなしね」
ぼくたちはまた、生き延びることができた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます