超マニュアル人間 斎藤くん〜サイコーマート店員教育マニュアル1012ページ〜

北 流亡

マニュアル人間斎藤くん

 田村の背中にじわりと汗が滲んだ。


 斎藤は、澱みない動きでレジを操作していた。

 カゴの中の商品に手を伸ばし、バーコードをスキャンする。

 鮭おにぎりが1点、味付け卵(1/2カット4個入)が1点、焼鳥盛り合わせ(たれ・塩)が1点、直輸入オランダビール330mlが2点。斎藤は飲料と食料品をカテゴリーごとにまとめ、全ての商品のラベルが客に向くように置いていた。


 速やか且つ正確であった。

『サイコーマート店員マニュアル』に載っている所作と寸分違わない。


 斎藤大河。近所の大学に通う彼が、このコンビニ「サイコーマート春鳥二丁目店」で働くようになって2日目だ。


 今日、斎藤は田村と顔を合わすなり「申し訳ございません」と平身低頭で謝ってきた。曰く、マニュアルを半ばくらいまでしか読みこめなかったそうだ。

 しかし、田村には、そんなことはどうだって良かった。『サイコーマート店員マニュアル』はおおよそ2000ページある。百科事典を遥かに凌駕する厚さだ。他のコンビニのマニュアルと比べると100倍は差がある。そんなマニュアルを2日で全て読み終えるなど不可能である。半分しか読めてないと斎藤は言ったが、半分読んだだけでも狂気の沙汰だ。

 そもそも、マニュアルなんて読まなくても仕事は回せる。仕事など結局は身体で覚えるほかないのだ。現に田村はサイコーマートで働き始めてから15年間、マニュアルにはほとんど目を通していないが、店長を任せられている。


「合計で1084円になります。温めはいかがなさいますか?」


 斎藤大河はお客様に尋ねる。『レンジマークのついている惣菜をお客様が購入した時』のマニュアル通りの対応だ。

斎藤は平然と対応する。田村はそれを表情で見ていた。


 商品を買おうとしているのは女性客だ。20代後半から30代前半の会社員だ。彼女もまた、唖然とした表情で斎藤を見ていた。

 誰も、何も言わなかった。時計は23時45分を示していた。店内に流れるお気楽なCMソングが、今日はやけに大きく聞こえる。


「温めはいかがなさいますか?」


 斎藤は聞き直した。反応が無かった場合は3回まで聞き直すということも、マニュアルに載っている。女性客は冷や汗を浮かべながら、背後と斎藤を交互に見ている。斎藤の表情は変わらない。


「温めはいかがなさ」

「いい加減にしろーっ!」


 男が、レジカウンターを思い切り蹴飛ばした。ガム、羊羹や饅頭、電子タバコが地面に転がり落ちる。フルフェイスヘルメットをかぶり、包丁を持った男が、怒りで手を震わせていた。


「金を出せって言ってんだろうが! ナメてんのか!」

「ひいいっ!」


 男は包丁の切先を田村に向けた。田村は全身から血が引いていくのを感じた。


「店長」


 ふいに斉藤が田村の方を向く。


「な、なんだい斎藤くん」

「強盗が1人で来た場合はどうすれば?」


 強盗が、レジカウンターに拳を振り下ろす。


「金を出せっつってんだろ! 殺されてえのか!」


 刃が、店内の照明を跳ね返してぎらりと光った。田村の心臓が跳ね上がる。


「さ、さ、さ、斎藤くん! 早くレジからお金を出して!」

「しかし店長、レジ内の金額は10万円を超えるまでは取り出してはならないとマニュアルに」

「マニュアルとか良いんだよ! ほらもう僕に貸して!」


 田村は斎藤の前に割り込み、急いでレジを開いた。6万4492円。この店にとっては少ない額ではない。しかし、命に比べたら端金である。田村は札を乱暴に掴み、強盗の手に乗せようとした。


 その瞬間である。激しい音が、店内に響いた。全員の目線が入り口に集まる。男が、ドアを蹴飛ばし店内に入ってきた。目出し帽をかぶった男。その手には、日本刀が握られていた。


「オイ! 金を出せ!」


 また、強盗が現れた。田村は狼狽した。女性客も狼狽していた。フルフェイスの男も狼狽していた。斎藤は様子が変わらなかった。

 刃渡80cmほどはあろう日本刀が、存在を強く主張していた。


「店長、強盗が2人現れたときはどうすれば?」

「知らないよ! こっちが聞きたいよ!」


 田村は絶叫した。心からの叫びだ。

 目出し帽の強盗は刀を中段に構えたまま、ゆったりとした足取りで近づいてくる。

 フルフェイスの強盗は両手を上げ、黙って道を開けた。包丁が放つ光は、あまりにも小さい。


「さあ、有り金を全部よこせ——」


 爆発音がした。全員の目が入り口に集まる。両開きのドアが弾け飛び、ガラスが散乱していた。

 男が、立っていた。目だけ穴の空いた紙袋を頭にかぶり、薙刀を構えていた。

 薙刀。その全長は150cmあった。田村は、自分のいる場所が城塞なのかと勘違いしそうになった。もちろんコンビニだ。


「金を出せ」


 男——3人目の強盗は短く言った。低く、重い声だった。薙刀の刃が、その力を誇示するかのように光を反射した。


「ああもう今日はなんなんだよ……今日はなんなんだよ……」


 田村の顔が汗と涙と鼻水で濡れていた。コンビニに勤めるようになって15年。強盗ですら初めての遭遇なのに、3人同時に来るとは何事だろうか。

 もはや、金を渡したくてたまらなかった。金を渡してこの夜が終わるなら、何万円でも渡して良いと思っていた。金を握る田村の手から汗が滴り落ちる。


「……って斎藤くん!? 何してんの!?」


 斎藤大河。レジカウンターの上に立っていた。2本の足で真っ直ぐに立っていた。


 跳躍。全員が虚を突かれた。斎藤は天井に頭を擦らんばかりの高さで、紙袋の強盗に向かって跳んだ。

 紙袋の強盗が薙刀を向ける。斎藤。懐に飛び込んでいた。腕を突き上げる。掌底が、強盗の顎を打ち抜く。強盗は、そのまま真後ろに倒れる。


 目出し帽の強盗が慌てて日本刀を振り上げる。同時に、仰向けに倒れた。斎藤が、薙刀の石突で強盗の顎を強打していた。斎藤はそのまま薙刀を乱雑に投げ捨てた。


 斎藤の顔が、一番最初に侵入してきたフルフェイスの男に向く。その表情は変わらない。それが返って男を震え上がらせた。


「す、すみませんでした! じ、じ、自首しますから!」


 フルフェイスの強盗は包丁を捨て、ヘルメットを捨て、両手を上げた。斎藤は一歩で距離を詰める。拳。強かに顎を打ち抜いた。強盗はその場に崩折れた。





『ワインを飲もう〜それは2人の〜♪』





 お気楽なCMソングだけが店内に響いていた。

 田村は呆然としていた。女性客も呆然としていた。3人の強盗は、起き上がる気配が無かった。


「店長、ガムテープまたはビニールテープを使って強盗を拘束しましょう」

「え、あ、うん」


 田村は曖昧に頷き、バックヤードに向かった。斎藤はずっと表情が変わらなかった。タイムカードを押して、強盗が現れ、強盗を退治するまでずっとだ。田村の背中に微かに寒気が走った。


 ガムテープ、そしてロープを見つけた田村は、すぐに強盗たちを雁字搦めにした。とにかく執拗に拘束した。斎藤はその様子をずっと眺めていた。

 田村の脳裏に先程の斎藤の姿がよぎる。どうしても、この何を考えてるかわからない男と、さきほど速やかに強盗たちを倒した男が一致しない。


「斎藤くん、何か格闘技でもやってたの?」


「いえ、特には」


「……よくもまあそれで強盗に立ち向かえたね」


「あ、はい、これの通りに行動しただけなので」


 斎藤はそう言うと『サイコーマート店員マニュアル』を開いた。『強盗が3人襲撃に来た場合』という見出しが田村の目に映った。


「いやあ、強盗が3人来てくれて助かりました。まだ『強盗が1人来た場合』と『2人来た場合』のページを読んでなかったので」


 田村は卒倒しそうになった。マニュアルに「宇宙に行く方法」とか書いてあったら、彼なら行けるかもしれないと思った。

 遠くから、パトカーのサイレンが聞こえる。先ほど連絡した警察が到着しようとしていた。


ふいに、店内から音楽が消える。静寂の中、時報音が鳴り響く。


『24時です。温度チェックをお願いします』


 店内にアナウンスが流れる。


「じゃあ僕、温度チェック行ってきますね」


 斎藤は早くもなく遅くもない足取りで冷蔵庫のチェックに向かった。

 田村は何を言えずにそれを見送った。

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