【第六話】小さな神官は暗躍し始める
今回の公務の予定は、町に到着し、浄化を行い、町に一泊してから聖教会に戻るというものだった。
だから浄化の儀式を終えた今、あとは帰るだけ。
「わたし、せっかくしてくださった儀式の準備を台無しに……」
宿は町で一番の宿舎が貸し切りとなっていた。
町の長が用意した宴の席をそこそこに、部屋に戻ったリスティアはそんなことを気にしていた。
浄化の際に儀式用に用意された場ではなく、海に降りて行ったことだ。
「あれは『振り』で、聖祭のような形式的な儀式だけが目的なら別ですが、今回は海の呪いの浄化が目的です。なので、町の人たちも気にしていませんよ」
確かに聖教会で浄化はこのように行うべし、と教えられる手順はあるが、分かりやすいアピールがほとんどで効果には影響しない。
リスティアはほっとした顔でようやく気が抜けたように頬を緩ませ、寝支度に入った。
「ヘレナさん、僕ももう寝ますね」
「背を伸ばすために?」
「そうですね。ヘレナさんを追い越す日も遠くないですよ」
軽口を叩き、自然に笑うくらいにはリスティアの周りの者もほっと肩の荷が降りていた。
普段のリスティアの努力を見て、きっと彼女であればやり遂げると信じていても、初めてとなれば緊張はするものだ。
ルキもその内の一人だ。
すっかり心配が晴れた気分で、部屋に戻る。
それ見たことか。リスティアは一人前の聖女だ。心配には及ばなかった。
神官服を脱ぎ、着替え、ルキは軽い足取りでこっそり宿を出た。
もう寝るというのは嘘。
せっかく聖教会を出る機会だ。利用しない手はない。
神官服は目立つため、そこらの子どもが着ているような服に着替えた。聖教会に入る前の安価で少しくたびれた衣服は、港町に馴染んだ。
目立つとすれば眼帯くらいだろう。
ささっと出来るだけ前髪を引っ張り、それでも無理があるので帽子を深く被る。
町は完全にお祭り騒ぎだった。
太陽はとうに沈み、夜も更けていくというのに、真昼かのような騒がしさと人の多さだ。大人も子どもも喜びを爆発させている。
ルキは人混みに飲まれないように人気の少ない道へ逃げながら、口元が綻ぶ。この光景をリスティアが作ったと思うと誇らしいものだ。
「──海がまた黒いんだよ」
鼻唄でも歌いそうな気分に冷や水を浴びせるような言葉が耳に入った。
ルキはぴたりと足を止めた。
耳を澄ませると、歓喜の熱い空気を一枚隔てた裏路地の静かな方から話し声が聞こえる。
「なーに言ってんだ、聖女様が浄化してくださっただろ!」
「そうだそうだ! 俺たちの海が帰ってきただろ!」
「でも、俺さっき海眺めて酒飲もうと思ったら……」
「おまえそりゃあ、酒に酔ってて見間違えたんだろうよ!」
「夜だしなあ、今までの悪い夢でも見たんだろうよ。ほら、飲みに行こうぜ!」
「いや、でも、……そうかなぁ」
酔った勢いに押され、話し声は裏路地から離れていく。
残ったのは、その場から動けなくなったルキだけ。
「…………さすがに、見間違いだよな」
海が黒いと言っていた。
それを聞いた他二人は酔っていて見間違えたのだろうと流したが……。
「見に行けば分かる」
ルキは手っ取り早く、念のため海の様子を見に見に行くことにした。
胸がざわざわと不快な心地がしたが、気にしすぎだと思って走った。
走って行った港は大きな月明かりに照らされ──黒く見えた。
「なんでだよ」
ルキは呆然と海を凝視した。
確かに昼間にリスティアが浄化したはずだ。海は本来の色を取り戻した。
何かが原因で海が汚れたとしか思えない。信じられない思いでルキは海に手をつけたが、呪いを感じてすくに手を引く。
「なんで……」
また同じ言葉を、ルキは繰り返す。
それほどに理解できなかった。
だが、呪いがまだこの海にあるのは事実だ。町の人々は今は歓喜の宴で忙しいが、明日になればさすがに気がついてしまう。
そうなればリスティアの浄化が失敗したということになるだろう。
それだけは避けたい。これはリスティアの初めての公の任務。最初が肝心だ。
ルキは左目を覆う眼帯を取り、無言で再び海水に両手を浸した。
すると、リスティアがしたように光がルキの手から広がり、海を覆う。
「……おかしいな」
海からは再び呪いの気配は失せた。
だが、黒い影が消えない。若干気味の悪い黒さは消えた気がするが、まだ黒いことに変わりはない。
それに手がびりびりと痺れるような感覚がなくならない。これは呪いの影響だと思っていたが……。
「呪いは消えた……となれば、この色と痺れの原因は呪いじゃないのか……?」
「『君らが言うところの『呪い』ではないね』」
すぐ近くから声が聞こえて横目で肩の方を見ると、小鳥がとまっていた。
「……ちなみに昼間まで広がっていた呪いと、今俺が浄化した呪いは同じか?」
「『いいや、別物だね』」
別物。
確かに聞いていた呪いの影響に痺れなんてなかった。
ならばこれまでのように呪いが再発したのではない。
だからといって、リスティアが浄化してからすぐに別の呪いが発生したとは考えにくい。
「……くそ、厄介なことになってきたな」
おまけに時間がない。朝までに事を解決しなければならない。
「『どこに行くんだね? あの妙な色をした海はそのままでいいのかい?』」
突然海とは正反対の方向──町へ走り出したルキに、小鳥が首を傾げる。
「元々の用事の方も時間がないんだ。そっちを済ませながらどうするか考える」
本来宿を抜け出してきた目的も、そっちはそっちで大事で、遅刻すると帰ってしまう。
どちらが重要かと聞かれれば海の問題だが、すぐに動けるのではなければ用事を済ませた方が有用だ。
お祭り騒ぎの中を器用に走り抜け、広場の一角に酒瓶を持って寝転んでいる男たちを順に見ながら通りすぎる。
その中に、青い指輪をつけた指を見つけ、寝転んだ『飲んだくれ』の隣に腰を下ろした。
「サジュさん、お待たせしました」
声に反応し、顔を上げたのは顎ひげを生やした男だった。周りに転がる酒瓶とは裏腹に、彼自身からは酒の匂いがあまりしない。
「おまえが遅いから本当に飲んだくれちまおうかと思ってたところだったよ」
「すみません。少しトラブルがありまして」
「トラブル? 浄化は上手くいったんだろう?」
眉を上げ、サジュは怪訝そうにした。
しかしルキがにこりと笑って本題を促すと、ため息をついて上着の内側から折り畳んだ紙を取り出した。
「ほら、騎士様たちの調査結果だ」
紙には小さな字でびっしりとザイルとローウェンの身辺調査の結果が書かれていた。
サジュは王都と聖都に拠点のある新聞社の情報筋の人間だ。聖教会から「鳥」を飛ばし、二人の調査をお願いしていた。
普通であれば結果は聖教会に月に一度入り口まで入ることが許される商人に混ざってきてくれるか、ルキが任務ついでに取りに行くのだが、前者はリスクがあり、後者は直近の聖教会を出る機会がこれだったのだ。
「ありがとうございました」
少しして全てに目を通し終え、ルキは紙をポケットに突っ込んだ。
ザイルもローウェンも貴族との関わりはない。白だ。
「しかし、本当に浄化は上手くいったんだよな?」
「……どういう意味です?」
一つ懸念が片付いたところで、すぐに海の問題に思考が傾き始めたときにそんなことを言われ、ルキは眉を寄せる。
サジュは酒瓶を傾けながら、ルキの様子を窺いながら話し始める。
「今回の聖女の公務は国王の命令だそうだな」
「はい」
「フレル侯爵は未熟だ何だのと反対していたそうだが」
フレル侯爵は、シシリア・フレルの父親だ。
「だが国王は強行した。フレル侯爵とは政治的に敵対しているから、聖女の公務が解禁される十歳となったリスティア様に先に公務を行い功績を作ってもらいたかったんだろう」
「そうでしょうね」
「ところで、侯爵様の口癖は『先手が肝心』だそうだ」
「サジュさん、はっきり言ってもらえませんか」
悠々と話している時間がないのだ。
「この町でフレル侯爵家の人間を見かけたぞ」
サジュはルキの要望に、簡潔に言った。
「観光に来たようには見えなかったな。物騒な会話をしてやがった」
つい、職業の性で盗み聞きしたよ、とサジュは軽く笑うのに対し、ルキの表情は固かった。
「魔物をけしかけたが失敗した。後は儀式を失敗させるしかない……とか話してたな」
それを聞いた瞬間、ルキの中での違和感が全て繋がった。
「……そういうことか……!」
魔物襲撃のタイミング、荷馬車に詰まれていたのに全て割れていた聖水入りの容器。浄化が成功したはずなのにすぐに新たな呪いが発生した海。
そして、出発前、なぜか荷造りを始めていたシシリアの世話人。
リスティアが公務を始めるタイミングで、同時期にシシリアが公務を始めたはずはないと思った。
違う。そう考えたのは、前回の生のときリスティアが出来なかったこの公務をシシリアが成し遂げたからで、ゆえにシシリアが『別の公務』をする予定なはずがない、と思っていた。
違う。前回の生のときも、今回もきっと同じだ。シシリアに最初からイザルカの任務をさせるつもりなのだ。
先手必勝。
必ず同じ世代に二人現れる聖女は、やがて二交代制になる。
朝から夕方までと、夕方から朝まで。
活動時間により太陽の聖女と月の聖女と呼び分けられ、公の式典に出るのはどうしても太陽の聖女の方が多い。月の聖女は日の目を見ることがあまりに少ない。
前回の生で太陽の聖女であったのはシシリアだ。彼女はあらゆる任務を成功させた。
リスティアと違って。
「ルキ」
サジュはルキの表情を観察する目付きになっていた。
「浄化は成功したのか?」
「はい」
ルキは微塵も動揺なく、答えた。
サジュは予想外の反応が返ってきたという風に、わずかに驚いた顔をした。
「浄化は成功しました。この町で新たな問題は起こりません」
ルキはサジュの横にお金の入った小袋を置き、「飲み過ぎないようにしてください」と立ち上がろうとする。
「いらねえよ、今回は簡単な仕事だったからな。それよりサラがおまえに会いたいってうるさいんだ。うちの娘の機嫌を直してくれる未来と相殺してやるよ」
「他の情報ももらいましたから」
ルキは立ち上がり、微笑む。
「ほんと、子どもらしくねえな」
そんなルキを見上げて、サジュは笑う。
「気をつけてな」
「サジュさんも、酔いつぶれてこんなところで寝ちゃ駄目ですよ」
ルキはサジュの元を離れ、今度は歩きながら考える。
魔物の襲撃の誘導と、聖水の瓶が割れていたことは手口はすぐに想像できる。だがこれらは過ぎたことだ。もういい。
問題は海の呪いと色。
呪いを故意に発生させられる手段はある。
「呪物を海に放り込んだか」
呪物──呪いの宿った物だ。
大抵神話時代の遺跡から出てくる。だからこそ呪いが神の罰だと言われるのだ。
「海の色を変えているのは──染料……いや、痺れもあるとなると……魔術か」
呪いを払ったあとに色と痺れが残っているのが呪いではないとすれば、それが可能なのは魔術だ。
よく考えたものだ。町の人が見て、触れでもすれば呪いにしか思えない。
「この大規模な魔術なら前もって魔術具に魔術を込めて発動してる可能性が高いな……っいてっ」
ぶつぶつ呟いていたルキは、何物かに弾き飛ばされ、地面に尻餅をついた。
「坊や、大丈夫!?」
何事だ、と上を見た視界いっぱいに知らない女性の顔が映った。
「ほら立てる?」
周りを見ると、お祭り騒ぎの中に突入していたらしい。
酔っぱらいの大人がたくさんいて、その中の一人に当たってしまったのだろう。
ルキを立たせてくれた女性は、甲斐甲斐しくルキのズボンから土を払ってくれる。
「見ない子だね。旅の子?」
「あーはい」
「親とはぐれたのね、可哀想に。探してあげようね、大丈夫、すぐ見つかるよ」
「いや、僕は」
大丈夫、と言いかけるルキの言葉も聞こえない様子で、女性はルキの手を引く。
まずい。いるはずもない親が見つかるまで引っ張られていては朝になってしまう。しかし手を離して人混みに紛れたいのは山々なのに無駄に力が強い。
予想外の障害に見舞われ、ルキはいい方法はと辺りを見回して──ぎょっとする。
ローウェン・アスター。
目立つ簡易鎧は脱いでいるものの、間違いなくローウェンがいた。
なんでここにいるんだ。あの生真面目が遊びに来るとは思えないがさては女遊びが酷いザイルが引っ張ってきたか? じゃあリスティアの護衛は?
色々なことを考えながら凝視している間に、人混みの向こうで見え隠れしていた顔がルキの方を見た。
目が合った。
その瞬間、ルキの頭に普段なら絶対避ける案が浮かんだ。
ルキは一瞬で覚悟を決めた。この手から逃れられるなら何だって利用してやる。
「──お、お兄ちゃん!」
ルキは、ローウェンに向かって叫んだ。
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