第五章 晴雨 6

「そうなのですか」

 ルーイの言葉がフィロリスを現実へと戻す。

「ああ、それだけだ」

 それだけ、とフィロリスは言っていたが、ルーイには気にかかるところがあった。

「別に兄弟だから一緒に育てられたわけでもないし、いつも顔を合わせるわけでもなかった」

 だから、ただ血が繋がっているだけ、とフィロリスは言いたいのだろう。

「その俺達にしては親に当たる人間から創られたのは俺とライゼンだけで、他はみんな失敗したらしい、間接的に聞いた話だから確証はないけどな」

 フィロリスにも親はいる。それは自然発生的に生まれるわけのない生命としての単純な理屈だ。直接としての関係ではなくても、遺伝子は連綿と受け継がれなくてはならない。

 今の話が、本当に全てだというのなら、ライゼンはフィロリスにとってほとんど唯一と言ってもいい血縁者なのである。この関係を兄弟というかどうかは判断のしようがないが。

「その、あなた達の父親は、今はどうしているのですか?」

 遠慮がちにルーイが聞く。父親、という表現が正しいのかすらもわからない。

「死んだよ」

 やけにあっさりと言うフィロリス。感情をなくしているのではなく、押し殺しているだけなのがルーイにも感じられた。

「詳しいことは知らないが、そういうことになっている、母親は最初から知らない」

 研究員からしてみれば、その人物も一体の実験体であり、フィロリスもただの実験体である。ただ彼の遺伝子を流用している、程度の認識しかなかったのだろう。それにいくら内部といえど、シーグルの扱いそのものが機密事項だ、細かい情報をうかつに他人に話すわけがないし、彼らにとってのモノに話しても意味がないとも思っていたのだろう。

「そんな」

 この時代、親のいない人間が少ないわけでもない、レインも表面上は両親がいないことになっているし、争いがあれば必ずその犠牲になる人間が出てくる。

親のいない子供、子供を亡くした親。

 それでも、それぞれの街や都市ではそれなりに福祉も行き届いていて最低限の保障も行われている。しかしそれは、今はいないという意味で、最初から存在していないという意味ではない。どちらがより不幸であるかなど単純に決めることは出来ないが、存在がない、ということは感情も生まれないということでもある。

 それに引き換え、シーグルは培養液の中で人工的に遺伝子を掛け合わせてただ実験のために創られ、実験のために消費されていく。それは人間などではない。

 彼が彼らの父親と呼べるのかどうかも、真の意味でわからないのだ。

「実際に会ったことも数回しかないし、今じゃ、顔もほとんど覚えていない」

 桝目状になった天井を見上げ、フィロリスが考え事をしている。

 普段は使われていない部屋のはずなのだが、シークネンの性格なのかきちんと掃除されている、ほこり一つ見つかりそうにない。

「ライゼンとは?」

 軽く首を振る。

「一緒に何かをしたこともない、お互いほとんど話したこともない」

 あくまで彼らは動く実験体であり、人間ではない。各シーグルには個室が与えられているが、それは脱走防止の監視とシーグル自体の貴重度のためである。

「あなたには何も……」

 言わなかったのですか?

 しなかったのですか?

 兄弟として。

 しかし、それ以上の言葉がルーイには続かなかった。

 続けるべきか、どうしていいのかわからない。

 沈黙の後、フィロリスが口を開く。

「さあな、向こうも血が繋がっているっていうことはわかっていただろうけど」

 他人のことなど、本当に理解できるはずもないのだ。

 それは世界の大前提だ。

 もし出来るとすれば、それは世界の崩壊をも意味する。

 ライゼンはただのシーグル、そう思ってしまえば楽なのかもしれない。

 でも、もしかしたら、彼は。

その考えはルーイ一人の中で閉じ込めておいた。

「そういえば、こんな話をしたのは初めてだったな」

「そうですね」

 フィロリスが立ち上がり、ルーイの方へと向かう。フィロリスがベッドに座るとルーイはシークネンが専用に用意してくれた小さな箱型のベッドに飛び乗った。

「別に話すことにためらいがあったわけじゃない」

「わかっています」

 お互い機会がなかっただけ。

「何となくな、ただ何となく……」

 フィロリスの声が小さくなる。

「少しだけ、怖かったんだ、俺は、ヒトじゃないから」

 ポツリと言葉をこぼす。

 ヒトではない、それはフィロリスが研究所を出てからずっと思っていたことだった。自分が生まれた理由、存在する意味、全てをなくして生きている。あったとしても、それは実験体というモノでしかない。十分に理解していながら、それでもそのことを口に出してしまうほど自分という存在を認めることが出来ない。自分のことを『創られた』と表現しているのがその証拠だろう。

 モノに感情など必要ない。

 道具に感情があってはいけないのだ。

「フィロリス、私は……」

「もう寝よう、明日は早いから」

 言いかけたルーイの言葉をフィロリスが遮る。

「……ええ」

 言葉が消え、闇が訪れた。

 そして出発の時が来る。

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