円満な解決


 冷たい。ざぁと水に飛び込んだ音と感覚があった。それから音が消えた。


 視界が回る。ただもがく。流れの中で掴んだ少女を放さない。


 死ぬのか、そう脳裏によぎった時に僕はアナスタシアの笑顔を思い出した。いつも僕に優しい顔を向けてくれる彼女は本当にやさしい。……それがたとえ義務から来ていることだとしても……本当は弟のことが好きだったとしても。


 僕は……アナスタシアのところに帰りたい。まだ死にたくはない。


 ――わずかな時間でかなりの下流まで流されたらしい。


「はあ。はあ、はあ」


 いつの間にか足の着く場所にいた。あたりを森に囲まれた河原。僕を殺そうとした少女を抱えながら岸に歩いていく。川から出た時思わず膝をついてしまった。少女はまだ気絶しているようだった。彼女を寝かせる。


「つっ」


 腹からは血が出ている。幸い急所は外れたのだろう。そうでなければ今ごろ死んでいる。どちらせよここから………あ……。


 体から力が抜けていく。ふっと目の前が暗転した。



 いつの間にか夜になっていた。虫の声が聞こえる。目を覚ますとぱちぱちと焚火が燃えていた。その近くに座り込んだ一人の少女がいる。緑の髪の彼女は沈痛な表情だった。


 僕は体を起こすと腹部に痛みがある。視線を向けると包帯がまいてある。その中にはに何かが塗られていた。そういう感触がある。


 少女がはっとして飛びのいた。威嚇するように構えている。


「なんで私を助けた」

「……何でと言われても、よくわからない」


 それに自分が何で襲われたかの方が分からない。…………深く考えたくない。


 緑の髪をした小柄な少女の顔が炎に照らされる。逆に僕の醜い顔も彼女には見えているだろう。


「とりあえず僕たちは助かった。それでいいよ。この話は」

「……それでいい?」

「僕の傷も手当てをしてくれたみたいだし」

「ば、バカにしているのか?! あんたを刺したのは私だ!」


 馬鹿になんてしてない。単にこの話をこれ以上したくないだけだ。少女は僕を睨みつけてくる。話題を変えたい。


「……僕はライル・アイスバーグ。知っているかもしれないけど、君の名前を知らない」

「……殺そうとした相手のことを聞いて……どうするの。復讐したいってこと……?」

「復讐? ……言われるまで思いつかなかった……。確かに僕を君がさしたのかもしれないけど、君にも事情があるんだ……」

「バカかっ!?」


 少女が立ち上がった。


「醜い化物の分際で……何かの間違いで貴族の家に生まれただけのくせに……! お前に私たちの苦しみが分かるか……」


 醜い化物……。そうだね……


「悪かったよ、もう聞かない」

「…………」


 僕は体を横にする。そのまま目を閉じる。……わかっているそれが異常だってことは。


☆☆


 目を覚ますともう彼女はいなかった。朝になっている。


 体は痛む。それでも僕は帰らないといけない。刺された場所を手で押さえながら川に沿って歩いていく。行きは馬で来たのだから歩いて帰るのは辛いな。そう思っているとよろけた。すぐに息が切れる。


 これは帰れるのだろうか。……それでも帰りたい。


 なんとか体を起こした。そして歩き始める、体が重い。なんでだろうか。


 とにかく帰ろう。


 僕は川に沿って歩く。ここでゴブリンなんかに襲われたら一巻の終わりだ。幸い剣はあるけど振り回す元気はない。重い。


 そんなに遠くはないはずだ。そう思っていてもその場にうずくまってしまった。ダメだ、歩くことがきつい。今気が付いた、体が熱っぽいんだ。意識が朦朧としてくる。


 そのまま僕はまた気を失った。


 ……それからどれくらいの時間が経っただろうか。夢を見た。それは僕の帰りをみんなが喜んでくれている夢だ。そんなことはきっとないとわかっているのに心の中が温かくなった。ただ、アナスタシアが笑顔だったことが何よりも嬉しかった。彼女ならきっと喜んでくれると思う。


「帰らないと」


 夜なのか朝なのかはわからない。立ち上がった。


 一歩一歩僕は歩き始める。


 途中ぽつりぽつりと雨が降り始めていた。僕はマントのフードをかぶってただ歩いた。川を離れて森を抜けた時広い街道に出た。ここを下って行けば屋敷に、街に帰ることができる。


 歩く。


 歩いた。


 遠くに見慣れた屋敷の影が見える。ちっぽけな姿なのはまだ遠くから見ているからだろう屋敷を中心に広がる街が僕の故郷だ。帰る、帰ろう。


 雨が強くなってきた。ただそれでも僕は歩いた。


 街に着いたときのはそれからどれだけ歩いたときだろうか、僕は覚えていない。ただ帰るために動いただけだ。


 街はどこか明るい声が響いていた。


 雨の降る中でも街のどこからか楽し気な声がする。僕は大通りを歩いていく。僕は自分の顔がみんなに見えないようにフードで隠す。昔からこうしていた。街中を歩くことを父上も母上も嫌っていた。


 声がした。店の様だった。看板に『Bar』と書かれている。


『それにしてもよかったな。英明なレオン様が跡継ぎになられるんてなぁ』

『あの化物顔が死んだのは良かったんじゃないのか? 領主さまにとって』


 ……何の話をしているのか、聞かないようにしよう。


 そう思っているのに立ち止まってしまった。僕はフードを少し手で持って酒場を見てしまった。そこには楽し気に笑う人々がいた。


『でもよ、あの化物はなんか最後は戦って死んだらしいぞ』

『へぇ、化物にしてはやるな。じゃあ領主さまにとっても円満に死んだんだな』


 円満に死んだ? 


『俺の女房は屋敷で働いているけどよ、そのうちレオン様とアナスタシア様がご婚姻されるだろって言ってたぜ』


 そりゃあいいと笑い声が響く。


 その声は僕の頭を打ち付けるように何度も響いた。


 子供のころからわかっていた。父上も僕を嫌っている。母上も。そしてこの醜い僕を誰も彼もが嫌っている。陰で化物と言っていることくらいは知っていた。


 なんで僕に魔物討伐の話が来たか、あの少女がなぜ僕を刺したか。考えれば簡単なんだ。簡単すぎて、考えたくなかった。円満に解決したかったんだろう。


 化物は魔物討伐で勇敢に戦って死んだ。そしてアナスタシアとの結婚は弟が引き継ぐ。いい話だと僕も思う。


 ……唇をかみしめる。僕は踵を返した。屋敷への道を反対に歩き始める。


☆☆


 ふらふらと歩く。


 雨は降っている。町を離れ草原の真ん中をどこに行くわけでもなく歩ている。


 誰も悪くはない。


 ただ、僕が生きていることでみんなが困っただけだ。


 父上も母上も聡明なレオンを跡継ぎにしたかった。レオンはどう思っていたのだろうか。ただ……僕がいなくなるだけでアナスタシアは本当に思っているレオンと一緒になれるだろう。


 義務で僕に笑顔を向けるなんて拷問をする必要性なんてない。彼女には悪いことをしたと思う……。無理をさせたのだ。彼女のやさしさに甘え続けた。


 う、


 そうだ。僕は醜い。そんなことはわかっている。屋敷のみんなから蔑まれているのも仕方ない。仕方ない。こんなことがあっても仕方ない。僕の努力が足りなかっただけだ。


 う。


 仕方ない。


 仕方ないよ。


 仕方ない。


「うあああああああああああああああああああああああ!!!」


 雨の中で叫んでいた。誰も周りにはいない。この雨が僕の声をかき消してくれていると思った。化物の叫び声を聞きたい人間がどこにいるんだろうか。


 僕はその場にひざをついて泣いた。雨の中なら涙だって流してもいいだろう。それくらいは許してほしい。


 下を向いている僕の視界に小さな足が見えた。いつの間にか誰かが近くに来ていたのだ。僕は顔を上げるとそこにはあの緑の髪の少女が立っていた。ただ雨の中僕を見下ろしている。あの河原から歩く僕をどこかで見ていたんだろうか。


 なんだか悲しげな顔をしている。


「……ちゃんとお金はもらえたかい?」


 僕の言葉に彼女は目を見開いた。……僕は馬鹿じゃない。でも気づかないふりをしていた。だけど誰が依頼したかは流石に聞きたくない。わかりきっていることでも確定させたくはない。


「……なさい」

「え?」

「ごめんなさい」


 少女は急に涙をながらしながら僕と同じように膝をついて頭を下げた。


「ごめんなさい。ごめんなさい」

「……」


 そうか。この子は……。僕を刺したことを気にしているのか。……みんなが僕がいなくなったことでよかったのに、この子だけは損をしてしまったんだ。ある意味僕の被害者か。……この話に巻き込まれてちゃんと魔物に僕が殺されれば彼女の仲間も彼女自身もちゃんと円満に終われたのに。


「ごめんなさい」


 うるさいな……。僕は……、頭が、痛い。……。

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