募る不安

双子が産まれるまで、あっという間にあと数ヶ月。

実は亮二を妊娠中から、里美が知らぬ間に周囲では目まぐるしく様々なことが動き進展していたのだと知った。

そして数日前、その状況をようやく知らされ、理解した里美。



ここ数日の職場であるこの機関は、どこか不安定さが漂っていた。

夫の修二を始めとする、新たな組織への移籍に向けた動きを水面下に進めている職員たち。

何かが起きそうなこの状況下、日本に留まるべきか子どもを連れて無理矢理にでも修二に付いて行くべきか、里美は今の自身の身体や子育て環境のこともあり決め兼ねていた。

モヤモヤとした心のまま、今日は夫婦共に出勤日だ。


「さて、行くかな。俺は今日、ドイツ行きに向けて色々動かなきゃならないもんでね。」

「わかってる。」


夫のドイツ行きの件を伝えられて以降、夫婦の会話は少なかった。

状況を理解していない息子の亮二は里美に抱かれ、制服を握りピッタリと抱きつく。


「亮二、ママを頼むぞ?」

「手って食べないよ、亮くん。修二くん、私のバッグも頼んでいい?」

「あぁ。」


自身の握り拳を口に入れようと頑張る息子。

里美と亮二の荷物は修二に任せ、夫婦とその息子は自宅を離れた。



今日が修二のドイツ出発前最後の、家族揃っての車移動かもしれない。


「桃瀬、最近体調は?」

「もうすぐ後期だからね、色々と。けど色々できる処置はしてもらってあるからまぁ安心かな。

前みたく入院して安静にしてなくていいだけ、だいぶ良いわよね。」

「そうだな。」


双子ということもあり妊婦健診へはこまめに通い、自治体からの助成券も既に底をついた。

前回の切迫早産もあり初期のうちに子宮口を縛る処置を受け、頃合いを見て外す処置を受けることになっていたがもうしばらくはこの状況が続きそうだ。

今日は新組織に向けて、修二から託されたデータの作成を行うために出勤する。

今回は急だったこともあり、亮二は各自交代で執務室にて夫婦交代で面倒を見ることになっていた。

里美は自身の執務室に入りデスクに座ると、昨晩の電話での会話を思い出す。


「利佳子、やっぱり今後も責任者を担うなんて今はできないわ。こんな身だし、代わって貰えないかしら。」

「私は里美が相応しいと思うわよ。今までだってやって来たんだし、周りにも信頼されているじゃないの?私もちゃんとサポートするわよ。」

「……」


何が正しい、どうする事が世のため、そして自身にとって最善なのかは誰にもわからず、里美は悩むことしかできなかった。

しかし親として今一番願うことは亮二と、そしてお腹の中の二人を無事に産み成長させること。

それは修二も同様だった。

途中仕事を抜け、修二の元にいる息子の授乳へと向かう。



「あー、あ!きゃー!ぱぁー!」

「はいよ、上手だな。…これじゃ進まねーな、仕事」


機嫌が良さそうに修二の執務室で遊ぶ息子の楽しそうなはしゃぐ声。

部屋の壁際に設置された仮眠用ベッドへパソコンを持ち込み、座りながら作業を行う修二。

やるべきことは山ほどあるが、亮二が起きている間はやはり思い通りには進まないパソコン作業。

すると、里美がやってきた。


「よっ、お疲れ。亮二、ママ来たぞ。どうだ?色々と。」

「データは順調よ。ただ私も体力落ちたものね、ちょっと立ち仕事しただけで足も浮腫むしすぐ疲れちゃうもの。」


クルッと振り向き母親の姿を見つけると、ニコッと笑顔をみせてキャッキャッと喜ぶ。

早く抱っこして欲しいと求めるかのように、短い両手を広げて何か喋っている。


「ご機嫌さんだったのね。この子は両親がこんな状況なのに無邪気ねぇ…」


亮二は里美が授乳のために胸を出す前から手を伸ばしソレを求め、抱き上げるとあっという間に口に含んだ。


「亮二の授乳、続けてて大丈夫なのか?妊娠中の授乳、あまり良くないって言われてたよな?」

「うん、亮二が欲しがるならあげればいいって。気持ちの面で安定に繋がるらしいわよ。」


デスクに肘をつき、修二は里美の授乳姿を眺めている。

ウックン、ウックンと母乳を飲む息子の姿は癒しだ。

膨よかな乳房に小さな両手を添え、夢中で吸い付いている。

亮二は九ヶ月になり、早産での出産だったこともあり発達面は本来の月齢よりも遅いが、腰も安定してお座りもだいぶ上手になってきた。


「双子もあっという間に産まれちまうんだな。腹、大きいよなぁ。」

「検診でも言ってたんだけどね、やっぱね、双子なのもあるし一回大きくなってるからってのが理由らしいわよ。仰向けに寝るのはもう苦しいし。」

「身体は?」

「今のところは特に。けど、少し横になりたいわ…私ね、産んで一年以内の妊娠だし、前は早産だったでしょ?何もしなかったら確実にまた早産になっちゃうんだってさ。」


少々のけぞる姿勢にならないと、確かに苦しい。

里美は仮眠用ベッドに横になると、腰をさすりながら目をつむる。


「腰、痛むのか?」

「そうね、さっきずっと立ってたからね。今日はお腹も張り気味かも。もう、胎動がすごくてさ。」

「気をつけろよ?こっから見てても動いてるのわかるな。」

「…ふぅぅ、…もうさ、普通に座ってるだけでも苦しくてね。後期の悪阻もあるし、参っちゃうわ。」


笑顔を見せながら、修二もベッドに腰を掛け里美の腰のマッサージを引き継ぐ。

呼吸を整えている所を見ると、恐らく無理はしているのであろう。

それに夫婦だけではどうにも出来ない現実にもぶつかっている現状、里美の立場として弱音を吐けるのは修二と利佳子の前だけだった。


「亮二さ、一時保育に預けないと流石に仕事に集中するのは無理だな。全然やんなきゃなんないこと終わんねぇ。」

「そうね。」


身重の体にまだまだ赤ちゃんの息子。

修二のドイツ行き後は里美一人での育児が始まる。



ドイツ出発予定日三日前、早朝。


「嘘でしょ…痛いんだけど…」


次の健診日までは一週間ある。

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