第22話 後宮への誘い

 万明玉のあきれ顔を見て、武俊煕は楽しげに「はは」と笑うと体のむきをかえ、楊冠英たちのいるほうへと歩きだす。歩きながら、彼は話をつづけた。


「母上に似たのかも。母上も過度に着飾るのを嫌い、ひっそりと暮らすのを好んでいるんだ。皇帝陛下も知っていらして『淑妃』の称号をくださったほどなのだよ」


 武俊煕の言葉がほかの者の耳にも届いたようだ。楊冠英たちに近づくと、ひさしぶりに曲春華が口をひらいた。


「伯母さまは無欲がすぎて、お従兄さまにまで害をなしているわ。お従兄さまこそ皇太子にふさわしいのに。才覚にみあった役職をお従兄さまに与えてくださるよう、皇帝陛下にお願いすらしてくださらない!」


 曲春華があからさまな不満を言う。

 すかさず武俊煕が「小華。バカを言わないでくれ」と、曲春華をたしなめた。従妹に忠告した武俊煕は、うんざりした表情をしている。話題をかえたかったのだろう。彼は「そうだ、妻殿」と口にし、万明玉に提案した。


「明日、いっしょに母上に会いにいこう。妻殿に会いたがっているんだ」


「わたしが後宮へ?」


 万明玉は驚いて声をあげる。

 宮廷での婚儀で父母に拝礼したが、皇后は武俊煕の実の母ではない。彼の母は皇帝の側室のひとりで、もちろんだが皇帝の側室は後宮に暮らしている。よって、武俊煕の母に会いにいくとは、後宮へ足をふみいれると同義だった。

 万明玉は、慌てて武俊煕に耳うちする。


「わたしは偽物の王妃なのよ? 怪異をしずめに王府に来たの。あなたの母親の機嫌をとるためにいるんじゃないわ!」


 すると、武俊煕が万明玉に耳うちしかえす。


「きみが偽の王妃だなんて、母上は知らないんだ。行かなければ波風がたつ。そうすれば、きみの方士の仕事にも支障をきたしかねない」


 ――つまり『あいさつに行かなければ嫁姑問題に終始して、怪異の鎮圧どころじゃなくなるぞ』と脅したいわけ?


 怪異を沈静化できない事態は、柳毅に関する情報が収集できない状況を意味する。それはさけたいと感じた万明玉は、思い悩んでだまりこむ。

 あとひと押しと感じたのかもしれない。武俊煕がさらに言葉をたたみかけた。


「後宮では長く怪異さわぎがつづいていてね。最近は沈静化しているが、気の弱い母上はまだ心細く思っているはずだ。妻殿がおとずれれば、いい気晴らしになるだろう」


 迷う万明玉の耳に聞き捨てならない言葉がとびこみ、彼女は「後宮で怪異さわぎ?」とたずねかえす。

 たいして気にする様子もなく、武俊煕は「ああ」とうなずいた。彼は「わたしは、くわしくないのだが」と前おきし、知るところを教えてくれる。


「召使いがときどき失踪していたんだ。ここ二年ほどはないが、それ以前は頻発していたらしい。母上付きの侍女も数人、行方不明になっているはずだ」


 ――失踪なんて、まるで柳師兄みたい。


 万明玉が武俊煕の話に考えをめぐらせていると、曲春華が「きっと淳皇后一派の嫌がらせよ!」と声高に言い、彼女が思う理由を口にした。


「お従兄さまの人望をねたんで、生母である伯母さまに怪異とみせかけて嫌がらせしていたんだわ」


 すかさず万明玉は「どうして皇后さまが嫌がらせを?」と、曲春華にたずねる。

 気にいらない万明玉の質問だったが、興奮していた曲春華は「だって」と口にすると、勢いのままに語った。


俊軒しゅんけん殿下が皇太子にえらばれたのが、ちょうど二年前なの。淳皇后は息子が皇太子になって満足したから、伯母さまをいびるのをやめたのよ」


「なるほど。立太子りったいしと怪異収束の時期がちかいわけね」と万明玉。


 ――きゃんきゃんとうるさいわりに、意見は意外とまともだわ。


 万明玉は曲春華の考察のするどさに感心した。

 しかし、曲春華の万明玉に対する評価はかわらない。彼女は「それよりも」と言い、万明玉をじろりと見て叫んだ。


「あなた、お従兄さまにいつまで抱かれてるつもり? そろそろ、はなれなさいよ!」


「!」


 曲春華の忠告が、万明玉に現状を理解させるきっかけとなった。彼女は、武俊煕を見る。すると、万明玉を見つめかえす武俊煕の顔が思いのほかちかい。それもそのはずだ。彼女はまだ、武俊煕の腕のなかにいて、彼の首にしがみついているのだ。状況の気まずさに、万明玉の顔はみるみる赤くなった。

 あわてふためく万明玉を見て、武俊煕は楽しそうに微笑み、冗談混じりの言葉を口にした。


「わたしはもうしばらくこのままでも、かまわないのだが」


 ◆


 次の日。

 万明玉たちは、さっそく武俊煕の母、玥淑妃に会いに宮廷を訪れた。

 武俊煕と共に歩く万明玉は、外廷から私的な空間である内廷、すなわち後宮へと向かっている。


 後宮とは、かんたんに言えば皇帝の個人的な居住空間だ。後継皇子が生まれる場所であり、血脈の正当性を守るため、基本的に皇帝以外の男性は入れない場所だ。

 しかし例外もあった。

 その筆頭は宦官だろう。彼らは生殖能力を失った男性で、侍女たちとともに皇帝とその家族の世話をするのが役目だ。

 あとひとつの例外は、成人した皇子や妃の親族だ。彼らは皇帝からの特別な許可をもらえれば、母や娘をたずねて後宮にはいれる。

 特殊な技能を持つ者、たとえば医師などは、男性であっても後宮に入ることが許されやすい。とはいえ、後宮への出入りはしっかりと管理されていて、用もない男がはいれる場所ではない。

 もちろんだが、皇帝の妻である妃たちにも制約は多い。よほどの事情がないかぎり、彼女たちは後宮のそとへは出られないのだ。それは、息子の婚姻の儀に玥淑妃が顔を出さなかった現状からもうかがえる。

 そして皇帝や妃の世話をする侍女もまた、後宮からは基本的には出られない。そのかわり、皇帝とのあいだに子をなした者は、侍女であろうとも妃の末席にならぶ可能性があった。

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