第46話

 朝起きると、イタルはいなくなっていた。寝室ももぬけのからで、台所にも本殿にもいない。慌てて港町へと向かっても、見つからなかった。

「おう、陸。どうした」

 漁に出る準備をしていた父が慌てた様子の陸を見て、呼びかけてきた。

「父さん、イタルを見なかった?」

「イタル?」

「朝起きたらいなくなってて……」

「イタルって、誰だよ。どっかの家の犬か?」

「は? 何言ってんだよ……神社の……」

 行方どころか存在自体にも覚えが無いといった顔の父に、陸は苛立った。人が行方不明だというのに、暢気な親だ。しかし、父は本当に分からないと言った顔をしていることに気がつき、陸の背筋が凍った。

「…………え、ほんとに、しらない……?」

「知らん知らん。……そんなことより、母さんと仲直りしろ、な?」

「……」

「陸!」

 父の言葉を無視し、覚束ない足取りで神社へと戻る。しんとした社務所はどこかもの寂しい。

「どこに行ったんだ……勝手に、いなくなるなよ……」

 ぽつりと呟いても、なんの返事も無い。一年近く過ごしたというのに、何の言葉もないまま、姿も、自分以外の記憶からも彼は消え去っていた。幻のように。

 何の手がかりも掴めないまま、無為に日々は過ぎ去っていく。いよいよ自分さえ、彼の事を忘れてしまうのではないかと、恐れた。思いついたのはあの磯に彼がいるかもしれないという考えだった。

「くじらもどきなら知ってるかも」

 いてもたってもいられなくなり、社務所を飛び出す。真っ暗な道の中、波の音だけが大きい。


 くじらもどきはいつもの磯にいた。大きな背中を軽く丸め、海を眺めているようだった。ほっと安堵しながら陸が駆け寄ると。

「うわ!」

「あっ!」

 岩場に腰掛けていたくじらもどきの前、海面から顔を出していたのは男――の人魚だった。やってきた闖入者を見るなり、さっと顔色を変え睨みつけてくる。

「人間じゃねえか!」

「友だちだよ」

「お前、ヨソ者のくせに町の人間まで呼び込みやがって……!」

 非難する人魚にくじらもどきは眉を寄せ、陸を見やった。その瞳には愛想や親愛というものは一切無く、むしろ嫌悪しているように見える。

「は、はじめまして……あの、……ここに友だちは来なかった?」

「友だち?」

 くじらもどきが首を傾げる。この前言っていた子、と言えばああ、と合点がいったようだった。

「浜辺に流れ着いた子だったかな」

「そう。あいつ……イタルっていうんだけどいなくなっちゃって……。それに父さんたちも変なんだ、イタルのこと知ってるのに、知らないって……!」

 陸がくじらもどきの尾ひれに縋りながら、声を震わせる。落ち着くんだ、とくじらもどきが宥めると、それを見ていた人魚が目を見開いた。

「おい、浜辺に流れ着いたって、誰が?」

「イタル。……えっと、去年の夏祭りに流れ着いたんだ……記憶がなくて、だから神社に住まわせて――」

 陸の言葉が終わらないうちに、人魚は海面の下へと潜っていった。そのただならぬ様子に唖然としていると、数分もしないうちに人魚は戻ってきた。彼だけではない、彼の家族か、それとも同じ群れか、幾人かの人魚が顔を出したのだった。皆、苦々しい顔をしている。

「こいつだ! こいつがワダツミさまを攫っておかしくしたんだ!」

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