第43話
いたる浜を歩くと、色々な物が流れ着いてくる。流木、貝殻、魚の骨、鳥の羽、丸くなったガラスの欠片。イタルはその中にある気に入ったものを拾い集めるのが好きだった。
年の初めに流れ着いたクジラの名残はもう見当たらない。砂が吸った血も、切り取られた肉も波と海鳥がすべて攫っていったのだろう。骨は、どこかに埋まっている。
寄せる波が運んできた一枚の羽根を、イタルは拾った。それを空に翳し見る。濡れたそれが、陽の光にあたって輪郭を輝かせていた。
「イタルさん」
声をかけてきたのは、女だった。痩せた女。名を呼ばれたが、イタルは彼女を知らない。
「だれ?」
「天貝祥子と申します」
あまがい、と聞いてイタルはあ、と声をあげた。つまり、彼女は陸の家族ではないか。――おそらく、母親なのだとすぐに悟った。
「リクのお母さん? ちょっと口元が似てるかも」
「……」
天貝祥子はイタルの言葉に、唇を噛んだ。言われた言葉が気に食わないと言いたげに、己の息子が助けた青年を、きっと睨みつけた。
「お母さん、どうしたの? ボクに用?」
「陸のこと、どう思います?」
「どうって……」
祥子の問いに、イタルは言葉に詰まった。どう思う、と聞かれれば答えに戸惑う。祥子の落ち窪んだ目に見つめられながら、イタルはおずおずと答えた。
「作ったご飯はおいしい。あと、なんだかんだ世話焼きで、でもちょっと頑固」
「じゃあ、引き取ってもらえませんか、あの子」
祥子は手に持っていた封筒をイタルに押しつけた。中には、紙幣――一万円が二十枚ほど入れられていた。驚いて顔を上げたイタルの目の前で、祥子は表情を動かさず立っていた。まるで小さな買い物をしているように、無感動を貫いている。
「え、……なに、これ?」
「そのお金で、あの子を引き取ってください」
「なんで? これ、リクに言った?」
「言うわけあらへんよ。そんなん言うたら、殺される」
「リクが!? ねえ、おかーさん、リクはそんなことしないよ!」
「うるさいなあ! アンタらはあの子の本性を知らんねん、騙されとるんや! あの子は――」
「聞きたくない! これ、返す!」
押しつけられた封筒を、イタルは祥子に投げつけた。その拍子に中身が滑り落ち、砂の上にばらまかれる。イタルの目に怒りを見て、祥子は忌ま忌ましげに顔を歪めた。何故誰も理解しないのか、納得出来ないというような顔だった。それがまた、イタルの怒りを大きくさせた。
「お前が、リクを悲しませてるんだ! お前がどんなに酷い母親でも、リクはお前が母であることをしょうがないって言ってるのに……!」
イタルを見る祥子の目は怯えていた。くらい目だ。泥のように濁って、己が見たいものすら見ることが出来ないような目。そんな気がした。
哀れだと思う。だが彼女を母に持つ陸は、もっとかなしい。
祥子はなにかを言いかけて、口をぱくぱくとさせた。釣り上げられた魚が、苦しんで喘いでいる顔とそっくりである。魚にしてしまえ。魚にして、そのままこの砂浜に生き埋めにしてしまえ。イタルの脳裏に、そんな突拍子も無い考えが浮かんで、思わず口端を歪ませた。彼女が小さな悲鳴に似た声をあげる。イタルを凝視する目が、怯えきっていた。彼女が砂を蹴って去る音を聞きながら、イタルは足下を見る。紙幣が、砂にまみれて汚れながら揺れている。
このことを、ついにイタルは陸に話さなかった。
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