第40話

地域探究コースは一学級しかないので、顔ぶれも二年生からのままだ。

「おはよう!」

 春休み明けにも関わらず熊谷は元気に挨拶をしてきたし、橋本はちょっとした旅行に行ってきたのか、菓子のお土産を手渡してきた。

「博多ってことは九州?」

 佐藤が手渡された饅頭のパッケージを眺めながら橋本に聞くのを横目に、教室を眺める。丁度やってきた平田は、相変わらず仏頂面だった。

「あ、平田くん。おはよう。はい、これ、お土産」

「……おう」

 橋本が平田に饅頭を手渡す。短く答えたきり、平田はさっさと自分の席に座ってしまった。

 顔見知りばかりとはいえ、進級したクラス内は落ち着かない様子だった。

「ねえ、あのこと、考えてる?」

「え、なに? あのこと?」

「やだ、三年っていったら、あれよ」

 熊谷が答えようとした瞬間、予鈴が鳴った。皆いそいそと席に戻っていく。始業式は、教室の校内放送執り行われることになっていた。


「さて、三年生です。いよいよ最終学年。進路を決める時期になりました」

 始業式を終え、小野寺先生が話し出す。そうか、熊谷が言っていたのは進路のことか、と合点がいきながら、陸は何も書かれていない黒板を見つめていた。進路。

「皆さんのほとんどは進学すると思います。自分の目指す大学に行くために、もうすでに勉強を始めている人もいるでしょう」

 進路に関する具体的な話題があがったことで、教室がざわつき始めた。静かに、と小野寺が窘め、年間スケジュールを配り出す。手渡されたプリントを見つめながら、陸は自分がどうしたいのか、まだぼんやりとして決めかねていることに気がついた。

 進学、とはいえ。


「何書いてるの?」

「手紙」

 帰宅して夕食をとったあと、陸は文机にかじりついていた。イタルが不思議そうに覗き込む。ペンを走らせていた便せんを隠しつつ、陸は答えた。

「手紙?」

「遠くの人と喋りたいときに紙に書いてポストに入れたら、郵便局の人がその人のところに送ってくれるんだよ。今はメールのほうが使われてるけど……俺、携帯電話なんて持ってないし……」

「遠くの人って?」

「俺の従兄弟。めちゃくちゃ勉強出来るんだ。今は大学で研究してる……」

 陸が書いた手紙の宛先は、従兄弟のなおちゃんに向けたものだった。進学のことで、相談しようと思ったのだ。Eメールのほうがやりとりは楽だが、生憎、陸は端末を持たされていない。

 陸は冬の終わりに出会った研究員の話と、自分の進路の話を書いた。海のことを研究したい、それが将来どんな役に立つのかもぼんやりとしているが、自分は漁師の息子だから、きっと将来はそれに関わる職につくのだろう。海のこと、特にクジラのことがやはり気になるのだと、書き綴っていく。

「進路って、なにするの」

「将来のことを考えるんだ。いつまでも高校生じゃいられないだろ。将来、大人になって何になりたいか、とかとりあえず大学にはいって、就職がちょっとでも有利になれば、とか。そういうの。面倒だけどさ……」

「リクは、ここにいるといいよ」

「ばか、お前はもしかするともう、神社の管理人としてここに住んでいいって言われるかもだけど……俺はそうはいかないだろ。ただのお前の世話係なんだし……そうだ、お前もそろそろちゃんと、一人で暮らせるようになれよ。大学に行ったら――」

 言いかけて、陸が口を噤む。自分の進路次第では、ここを暫く離れなければならないことに、気がついたのだ。くじらもどきの姿が、一瞬頭を過った。

「リク?」

「俺が、大学にいったら四年間はここにいないんだから……」

「えっ、そんなの、寂しいよ」

「そんなこと言ったって、しょうがないだろ。それに最近、お前は港町の人とちゃんと仲良くしてるじゃん。この前だって、手伝いにいったんだろ」

「うん。ヨネ子おばあちゃんの家の片付け! おばあちゃん、遠くにいっちゃったから、お家を取り壊すんだって。片付けたお礼にお魚貰っちゃった」

 それならもう、町の人に受け入れられていると同じではないか。陸はそう考えながら、書き切った便せんを丁寧に折った。

「いつまでもお前の世話係ばっかりしてられないってこと……」

「リクも、ここの管理人さんになったらいいのに……いたる浜に流れ着いたものを拾い集めてさ……おばあちゃんやおじさん達のお話を聞いてあげて……そしたら、皆に感謝されるよ」

「お前はそうだろうけどな」

 陸の声の素っ気なさに、イタルが眉根を下げる。

「リクは違うの?」

「元々ここに生まれたから、お前みたいにカミサマの使いだーってならないんだよ。ここに住むなら漁師になるか、市場でそろばんはじくか……それとも、役場で働くか……それぐらいだな。サラリーマンになるなら、この町出るし……どっちにしろ、大学は出ておかないと」

「でもリク、リクの家には帰りたくないでしょ?」

「……なんでそう思うんだ?」

「……帰りたくないって顔してる」

 イタルが澄まし顔で言えば、陸は顔を顰めた。月のうちに一度、父が顔を出しに来るので、それで充分に思っていた。

「べつに、帰っても困らないし……」

 陸の頭には正月明け、ゴミ箱に捨てられた年賀状の姿が浮かんでいた。この手紙に従兄弟が返事をくれるとして、それを捨てられる前に回収するしかない。

「他の人はどう思うかなんて、知らないけどさ……」

 あそこにいると、息が詰まるんだ。そう言いながら陸は便せんを封にし、学校鞄に入れた。

「中間テストが終わったら三者面談なんだ。たぶん母さんとだ……何言われるんだろうな」

「リク」

 陸を呼ぶイタルの声に、真剣なものが混じった。それに違和を覚えて陸はイタルに視線を向けた。青みがかった目が、こちらをじっと見据えている。

「ボクはずっと、リクの味方でいるよ。君が安らかでいるならば、何をしたってかまわない」

「……なにそれ、本の受け売り?」

 思わず陸が笑う。しかしイタルの顔は至って、大真面目であった。

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