第34話
年も明けた。参拝客で賑わう神社でこれも風習らしく、三が日のあいだ、イタルは社で参拝客一人一人に拝まれていた。小さな町とはいえ、ひっきりなしに訪れる参拝者の相手にイタルはどっと疲れたようだった。
「イタル、俺は家に行ってくるから!」
「はーい……」
初詣も落ち着いてようやく休めるようになったイタルはこたつに潜り込んで籠城の構えを見せている。菓子でも買っていってやろうかと考えながら、陸は社務所を出て自分の家へと向かった。
「ただいまー……」
呼びかけながら家に入るも、居間には誰もいないようだった。しん、と静まりかえる部屋に虚しさを覚えながら、そういえばとテーブルを見渡す。自分宛に少ないながらも年賀状が届いているはずだ。テーブルに置かれたぶ厚いはがきの束は、恐らく父のものだろう。
「部屋に置いてくれてるとか……」
数ヶ月ぶりに自室に戻る。扉を開けた瞬間、ひんやりとした空気が陸の身体を包み、思わずくしゃみをした。社務所に入る時に片付けたまま、部屋はひっそりとしている。陸の予想に反して、デスクの上にも陸宛ての年賀状は置かれていなかった。今度父に聞こうかと居間に戻る。
「えっ……」
ふと目についたのはゴミ箱だった。そこに、輪ゴムで束ねられたはがきの束が捨てられている。まさか、と嫌な予感がよぎり、一瞬目をそらした。意を決して、それに手を伸ばす。――宛名には、自分の名前が書かれていた。輪ゴムをとり、はがきをめくっていく。熊谷、橋本、小野寺先生、祖父母からの年賀状もあって、端のほうには油が染みこんでいた。そして従兄弟である、なおちゃんからの年賀状も。誰が捨てたかなんて考えるまでもない。
自分を落ち着かせるようにゆっくりと息を吐く。ゴミ箱から拾い上げたそれを、ジャケットのポケットに突っ込む。逃げるように、家を出た。
ポケットの中の年賀状はひんやりとしている。落ち着いてから読んでみようと決めて、神社への道を戻る。それでもすぐには帰ろうという気分にはなれなくて、そのまま、いたる浜への道をぷらぷらと歩いて行った。
たくさんのウミネコが、ぐるぐると空をまわり、一羽、一羽と浜へ降り立っているのが見えた。その動きが奇妙で、陸はウミネコが降り立った方向を見た。
「なんだ、あれ……クジラ……?」
紡錘形のそれは波打ち際に横たわっている。赤褐色のそれは、まだ生きているようだった。すべすべとした身体にはところどころ白い傷が刻まれている。
ストランディングした、クジラ。
陸は直感したと同時、それに駆け寄ろうとした。冷静に考えると考え無しの行為であったが、思わず足が動いたのだ。
「リク!」
イタルの声がなければ、陸はこの哀れなクジラに駆け寄っていただろう。咎められたような気持ちで陸は足を止め、やってきた同居人を見た。
「イタル……」
「……」
「まだ生きているみたいだ……海に戻せるかな……」
「いや、もう……駄目だよ。戻せたとしても……」
イタルの声はどこか無機質だった。そんな、と彼とクジラを交互に見る。漂着したクジラの黒々とした目がこちらを見ているが、何も写していないようにも見えた。イタルはクジラに歩み寄り、その頭部をゆっくりと撫でる。何事かをクジラに囁いたかと思えば、クジラはゆっくりと身体を波打たせた。呼吸をしている。頭部にある鼻腔から、白い噴気が時々溢れた。
「お、俺……大人を呼んでくる!」
いてもたってもいられず、陸は駆け出した。その姿を見送り、イタルはもう一度、漂着したクジラを見た。
「もう迷わなくていいんだよ」
青みがかった目が、クジラを見つめる。彼の言葉の意味を悟ったのか、クジラは身体をゆっくりと膨らませ、そして、それきりぴくりとも動かなかった。
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