第30話
週明け、平田が持ってきたのは一冊のノートとカセットテープだった。ノートは古く、昭和の日付が書かれている。
「これ……」
「おふくろに聞いたら、おもしれーこと言ってた。瀰境町の海底は大昔の地殻変動で、他とは違う複雑な地形になっている。……で、その地形が音を出すんだとさ」
「音?」
「それがこれだ」
平田が指し示したテープに、三人の視線が集まる。水色が買った透明の、見慣れない物には黄ばんだラベルが貼られていた。それにも昭和の日付がボールペンで書かれている。
「これ、なに?」
「音を録音したテープ……をダビングしたやつ。親父が調査の手伝いをしたときに貰ったんだと。これがその時のノート」
「でもこれって、どうやって聞くんだ……?」
「視聴覚室!」
熊谷が叫ぶ。あっ、と橋本が声をあげると、四人は顔を見合わせ立ち上がった。
教員室で鍵を借り、視聴覚室へ。そこには埃の被ったミニコンポが置かれていた。電源を繋げれば緑の光がぱっとついて、Hello! と表示される。
「あっ、うちにもあるよ、これ」
「いいなあ。テープからMDまで全部聴けるやつ!」
「テープはここから入れるんだよな……」
平田がミニコンポにカセットテープを差し込む。ぱたん、と蓋を閉じて再生ボタンを押せば、さらさらと微かなノイズがスピーカーから流れてきた。
皆、固唾を飲んでミニコンポを睨んでいる。すぐに海中、ごぽごぽと泡の音が聞こえてきた。くぐもったそれが、二、三分。時折、海流に弄ばれた石同士がぶつかり合っているのか、カチカチと硬い音も聞こえてくる。
「海底ってけっこう音がしてるんだね」
「私も。もっと静かなものかと思ってた」
「――……待って、今、なにか……」
陸が耳をすませば、皆が黙り込む。コロコロと泡が転がる音は相変わらず聞こえてきている。
唸り声、だと思った。それとも、低い笛のような音。柔らかな音が、微かに聞こえてくる。
「何の音?」
「さっき言っただろ、瀰境町の海底は地形が複雑で、それが音を出すって」
「不思議な音だね。ほわーんって感じで」
「海の底でこれが聞こえてきたらちょっと怖くなっちゃうかも」
無邪気なことを言う皆の前で、陸は乾きすぎた喉を動かした。そしてゆっくりと息を吐いて、震える唇を動かしたのだった。
「クジラだ」
「天貝くん?」
「クジラの鳴き声そのものだよ、これは」
陸の言葉に、皆が顔を見合わせる。熊谷が恐る恐る、口を開いた。
「でも、クジラの鳴き声に似た音がしたとして、どうなるの? それこそ海の中でクジラがいて、それが鳴くって当たり前じゃない?」
「クジラは歌をうたうんだ。地域によって歌い方も違うし、年齢によって変わっていく。イルカも、クジラもそれで仲間とコミュニケーションをとるって言われてる」
陸が一息に言って、それから黙った。他の三人も言葉を発さず、陸の言葉を待っている。
「……この音が、クジラやイルカを勘違いさせていたとしたら?」
「勘違い?」
「ここに仲間がいる。呼んでいる。助けを求めている。どれでもいい。……そういったふうに、聞こえてしまった個体がいるとしたら?」
「あっ……」
橋本が目を見開く。平田も、何かに気がついたような顔をさせた。
「勘違いして、迷い込んだ先の浜辺に乗り上げてしまう……?」
カセットテープはまだ海の中の音を再生している。目のような穴がくるくると回って、海中の音と、誘うような呻き声を無感動に流していた。
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