第22話

何かに引っ張られた。徐々に狭くなっていた視界に、人の影のようなものがうつる。ざあっ、と大きな波の音が一際、耳元で唸り、撫でられたかと思えば陸は波止場の段差に流れ着いていた。

「陸! おい、陸!」

 平田の声。しっかりしろ。己の身体がひっぱりあげられるのを、陸が受け入れれば肺に空気が入り込み、げほ、と咳き込んだ。

「大丈夫か!」

 駆けつけてきた大人に呼びかけられ、二、三度瞬きをする。橋本と熊谷の血の気の引いた顔が見えた。

「はい、……あの子は?」

「意識はある。いま病院に連れて行ってる所だ。……お手柄だよ、お前!」

 ばしん、と背中を叩かれ激しく咳き込む。ようやく気持ちが落ち着いて、目の前の大人の顔を見ればいつも父や平田と働いている漁師仲間だった。よかった、と熊谷と橋本が腰を抜かしてしまったのか、へたりこむ。

「もう、びっくりしたよ……」

「お前無茶しやがって! ダメかと思ったぜ!」

「でも平田くん、引っ張り上げてくれたじゃないか……なんで、ここに?」

「……別にいていいだろ。近所なんだし」

 平田が唇を尖らせる。どこか強がるような彼に熊谷が口を開いた。

「でも、あんたがいなかったら……私たちじゃ引き上げられなかったよ」

「ありがとう、平田くん」

「ンな大したことしてねぇ」

 くしゃみをした陸に、橋本が彼が置き去りにしたシャツを差し出す。濡れた身体に、布がひっつくのを感じて顔を顰めた。

「お前も病院行くか?」

「いえ、大丈夫です」

「そうか、風邪ひくなよ」

 子ども達にお前らも帰れと促すのを見届け、陸が素足のまま靴をはく。海水のせいで身体が重い。

「歩けるか」

「うん」

「送る」

「いいよ。……ごめんね、二人とも。お祭りの日に……また」

「しょうがないよ。じゃあ、私は橋本さんを駅まで送る。またね、皆」

 橋本と熊谷が去って行くのを見届け陸がひとつくしゃみをする。夏といえども濡れたままだと寒い。濡れた足跡を残しながら、陸と平田は歩いて行く。暫く無言で歩いていたが、やがて平田が口を開いたのだった。

「お前、すげーよ」

「何が?」

「あんなに泳げたんだな。知らなかった」

「……好きなだけだよ」

「オレは泳げないって思ってた。だってお前、俺が海に突き飛ばした時溺れて泣いたじゃん」

「覚えてたんだ、それ。保育園の時だろ」

「だって親父にめちゃくちゃ怒られたんだぜ。謝りにいっただろ」

「うん、それで……平田くん、謝ったら忘れそうだなって思ってたから」

 珍しく陸が率直に言えば、平田は少し苦い顔をした。そして暫く考え込んだ後、小さく息を吐いた。

「親父に言われてたんだ。お前の親父が、陸くんのことを心配してるから遊んであげろって。オレ……ちょっと、いやかなり嫌だった。だってお前は泳げねーし、走るのもノロいし、うじうじしてつまんねーヤツだから、なんで遊んでやんねーとダメなんだって」

「……知ってたよ。だから俺も、平田くんを避けてた」

 沈黙が落ちる。暫く歩くと、自分の家が見えた。灯りが点いている。平田の家はもう過ぎていた。

「ありがとう」

「おう。……また祭りでな」

「うん、また」

 一歩、二歩とアスファルトを濡らしていた陸が不意に立ち止まる。くるりと振り向いて立ち竦んだままの平田へと叫んだ。

「ねえ、平田くん!」

「なんだよ」

「助けてくれてありがとう。それと……グループ研究、たまには顔だしてよ。サッカー部がないときとかさ、案外楽しいよ」

 陸が笑えば、平田は目を見開き、頷いたようだった。門を開いて家へと入っていく陸の姿を、平田は暫く眺めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る