第18話
五月も後半になり、夏の気配が感じられるようになってきた。研究テーマが決まってからというものの、陸と熊谷、橋本は週のほとんどで居残っている。三人とも、この課題に取り組むことが煩わしくなく、寧ろ積極的であった。
「でもストランディングだっけ? よく思いついたよね、天貝君」
「小学校の時に自由研究にしようと思っていたんだ。テーマを考えてたら思い出して」
「思ってた? つまり、しなかったってこと?」
「うん、ちょっとね」
まさかこんな所で自由研究の続きのようなものをするとは思わなかったけれどと陸は苦笑いを零す。その手にはこの五年間で起きたストランディングの事例と、その生き物の種類が記されていた。
「まあそれで、早いうちからテーマに悩まなくなってよかったよ。まだなにをするか悩んでいるグループもあるって。テーマの発表、もう来週だよ?」
「けっこーマジメなんだ、私たち」
「一人除く、ね」
借りた自習室にマーカーの滑る音が響く。
「そういえばさ」
集中が途切れたのか、熊谷が口を開く。手だけは動かそうと、マーカーで紙に書いた字を縁取っているのが見えた。
「うちのサッカー部って強いんだっけ」
熊谷は暗にここにいない一人が本当に忙しいのか疑問に思っているようだった。それに答えたのは橋本だ。
「地区大会は毎年出場してるよ。それと、去年は全国に行ったんだ。ベスト14だっけ」
「えっそうなんだ?」
「まだ垂れ幕がぶら下がってるよ。学校始まって以来だったから……もしかすると、この先ずっとぶら下がってるかも。全国常連の水泳部をライバル視してるみたいだし……」
橋本の言葉に校舎の外壁に揺れる垂れ幕を思い出したのか、ああ、と熊谷は声を漏らした。そして合点がいったかのように、肩を揺らして笑う。
「つまり……あいつは誉れあるレギュラーの座を狙っているってわけね」
肩を竦めて熊谷が茶化せば、あれ、と橋本が首を傾げた。そして少し躊躇ったあと、言葉を続ける。
「私のお兄ちゃん、キャプテンなんだけど」
「え、うそ、あの噂のキャプテン? お兄ちゃんって……あっ、名字……!」
「うん、でも皆が思ってるほどかっこよくないよ。いつも母さんに怒られているし……靴下を脱ぎっぱなしにするな、とか……。それでお兄ちゃん、言ってたんだけど、レギュラー発表は三年生の引退後、秋なんだよね。でももうこの時期でほとんど決まってるって……」
「え、じゃあ平田くん、レギュラー候補ってこと?」
知らなかった。レギュラー候補まであがっているならばもうレギュラーになった同然といの一番に自慢してきそうなものなのに。内心訝しがりながら陸が問えば、橋本は歯切れ悪く、ううん、と唸る。その様子に何かを察したのは、熊谷だった。
「――望み薄そう」
「今年はレギュラーを狙っている子、多いみたい。二年連続で全国に行くぞ! って感じ。……あの、でも努力次第だよ。頑張れば……まだ望みあり、じゃないかな……」
「まあ、うるさいのがいないから、いいんだけどさ……そういえば天貝君はあいつと近所なんでしょ。仲良いの?」
「親同士が同級生」
「てか、帰宅部って珍しいよね。手伝い?」
「運動が苦手なんだよ。かと言って文化部もしっくりこなかったし……」
陸のややぶっきらぼうな答えに、熊谷は目を丸くした。
「うっそだ。あたし覚えてるもん、小学校の運動会」
「え、なに?」
熊谷がペンを動かすのを止め言い放てば、橋本も興味を引かれたのか身を乗り出してくる。
「天貝君、六年の徒競走速かったじゃん。平田にもめちゃくちゃ差をつけてさ! あ、でもゴール間際でこけちゃって一位にはなれなかったんだっけ……でも、全然速かった!」
「そんな前のこと、よく覚えてるな」
「それくらいキョーレツだったってこと。だってさ、天貝君って徒競走の最下位あたりにいるイメージだったし? あの時の平田、すごい顔してたよ? 納得してないって感じで」
よし、と熊谷が書き上げた紙を眺める。橋本もルーズリーフに纏めていたものが出来上がったらしく、それをトントン、と揃えていた。
「テーマの発表の練習もしなきゃ。でも、いいのかな……私で」
「いいよ。たぶん橋本さんが一番落ち着いてやってくれるって思ってるし。俺には無理だ」
「あんた、気が小さそうだもんねえ」
「うるさいな、目立ちたくないだけだよ」
軽い調子で言い合えば、三人が顔を見合わせて笑う。教室の外はすっかり暗くなっている。
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