第323話 逆襲



 ***



 ネバダ州、北緯41度の荒野にはアメリカが絶対の自負を以て敷いた「暴力」の結実、極秘軍事要塞が存在していた。


「――熱源感知、太平洋上より急速接近! 速度……マッハ10、いえ、計測不能! なおも加速しています!」


 要塞の最深部――地下深くにある管制制御室で、戦術オペレーションセンターに悲鳴のような報告が響いた。


「馬鹿を言え。最新の極超音速ミサイルか!」


 モニターを睨みつける司令官ロバート・ダリア・メイソンが怒鳴り返すが、レーダーに表示された光点は既存の航空力学を完全に嘲笑っていた。


「軌道が不規則すぎます! これは……ミサイルの類ではありません。……まるで空路進行……空間そのものを滑走しているような――」

「どういうことだ!?」


 ロバートの眼前に映し出された数値。それは、人類の叡智を集わせてなお実現しないレベルの速度、物理的に到達できる速度を遥かに逸脱していた。


「なんだこれは……!! UFOなのか!?」

「UFO……ですか?」

 

 オペレーターの一人が固唾を呑む。


「着弾まで、三秒(スリー)! 二(トゥー)、一(ワン)……消失しました!!」

「消失だと? どういうことだ! その物体をさっさとレーダー網にかけろ……!!」

「無理です! できません!」

「できない……? なぜだ?」

「レーダーの更新速度が追いついていないだけです! 推察するに、本当はもっと速度が……」


 他の者がセリフを遮り、報告を叫ぶ。


「緊急事態です!! 未確認物体……奴は既に、この要塞の地上防衛ラインに到達しています!!」

「なんだとッ!?」


 ロバートは得体の知れない存在に、歯ぎしりを鳴らした。



 ***



 砂漠の中央部。巨大な岩壁が暗雲を突き刺すようにそびえ立ち、その表面は鋭い棘のような突起と、鉄の爪のような鋭角的な構造物で覆われている。要塞の外壁は厚さ数メートルにも及び、黒光りする金属板で補強されている。鋼鉄の壁には無数の監視カメラと赤い閃光を放つセンサーの目がびっしりと並び、敵の動きを一瞬たりとも見逃さない。


 要塞の四方には鋭い角度を持つ防御壁が巡らされ、迷路のように入り組んだ通路と重厚な扉が侵入者を寄せ付けない。


 その迷路の奥――。


 沈黙は、ただの静寂ではない。


 重厚な扉の影、鋼鉄の柱の裏、監視塔の内部、通路の折れ角――あらゆる死角に、迷彩服の兵が息を潜めている。装甲は光を吸い込むような艶消しの黒。肩には識別灯すらない。呼吸音を抑えるためのマスクが規則正しく微かな機械音を刻み、照準器のレンズだけが鈍く赤を宿す。


 彼らは壁と一体化していた。


 迷路状の通路の天井には可動式の射撃台。床下には圧力感知式の罠。重火器を構えた分隊が三層構造で配置され、第一射線が崩れれば即座に第二、第三射線が十字砲火を形成する。狙撃兵は高所の隙間に身を伏せ、射線はあらかじめ精密に計算されている。侵入者がどの角度から現れようと、必ず交差する弾幕の中心に立たされる設計だ。


 指揮系統は無線に頼らない。振動通信と光学信号。ほんのわずかな赤い閃光が、次の殺意を伝達する。

 誰一人として無駄口を叩かない。

 砂嵐が遠くで唸る。暗雲が空を覆う。だが、この要塞の内部にあるのは嵐よりも濃い殺気だった。


 未確認物体……侵入者を誘い込むために、あえて一部の門は半開きにされている。無人に見える通路。灯りの落ちた区画。だが一歩踏み込めば――天井が落ち、壁が閉じ、四方八方から銃口が現れる。


 待っている。

 無数の兵が。

 命令一つで、対象を蜂の巣に変える覚悟で。


 瞬間――。

 

 砂漠の静寂は、一瞬にして銃弾の喧騒へと塗り替えられた。

 地上に展開していた、M1エイブラムス戦車師団と無人迎撃ドローンの群れ。それらが「敵」を認識するより早く、その中心地がガラスが割れるような音と共に爆ぜた。




 ―――領域構築『時空零域』




 砂塵の中から歩み出たのは、一人の青年。

 名瀬統也はコートのポッケに手を入れたまま、退屈そうに前進を開始した。


「射撃開始ィィッ! 目標を、一欠片も残さず消し飛ばせ!」


 指揮官の絶叫と共に、120mm戦車砲の斉射が放たれる。数トンの鋼鉄を貫く徹甲弾、空を覆う機銃の雨。だがそれら数千の弾丸は、統也の周囲数メートルでピタリと静止し、そのまま無力な鉄屑となって足元に転がり落ちた。

 

 真空。

 彼の周囲には空気も、摩擦も、運動エネルギーを伝える媒質すらも存在しない。


 統也の体が相対的に光速で動き始めると、周囲の空気が次第に引き離されていく。彼の速度がマッハを超えた瞬間、空気の圧力はほぼゼロに近づき、周囲はまるで真空のような無音に包まれる。これは、彼の超音速移動によって発生する衝撃波が、空気の分子を後方に押しのけ、圧力の低い状態を作り出すためだ。


 つまり領域内、物理的な攻撃そのものが現在の統也の前では意味を成さなかった。


「……1」


 統也が静かに呟き、一歩を踏み出す。

 その瞬間、彼の輪郭がブレた。

 律空間での加速。前進し速度が乗算され、わずか一歩で光学的な観測限界を突破した。


 兵士たちの視界には、統也が「消えた」と映ったはずだ。

 直後、進路上にあった重装甲車が、内側から爆発したかのようにひしゃげ、空中へと撥ね飛ばされた。

 触れてすらいない。ただ、統也という「質量」が、その速度で「そこを通った」という物理現象だけで、大気はプラズマ化し、鋼鉄の装甲は紙細工のように引き裂かれる。


「化け物め……死ね! 死ねぇ!」


 パニックに陥った兵士が対戦車ミサイルを放つ。だが、統也はそれを避けることすらしない。

 彼の領域では、時間は停止しているに等しい。

 統也は目の前で静止したミサイルの弾頭を、歩きながら指先で「コン」と軽く弾いた。

 それだけでミサイルは逆方向へと弾き飛ばされ、発射したばかりの装甲車を直撃し、焔の華を咲かせた。


 戦車砲も、レーザー兵器も、数に頼った物量作戦も。

 すべてはこの絶対的な「速度」の前では止まったカカシと同じ。


「2」


 さらに加速。

 衝撃波は局所的に圧力を極端に低くし、理論上は気体の密度をほぼゼロに近づけることができる。これが「圧縮波」として空気を押しのけ、結果的にその周囲に「真空に近い領域」を作り出す。

 もはや統也が通り過ぎた後には、真空による強烈な内破が発生し、周囲の兵士や兵器、罠を巨大な掃除機のように吸い込み、粉砕していく。

 

 かつてIW(インナーワールド)最強を誇ったアメリカの一個師団が、たった一人の男が「ただ歩く」という所作だけで、抉られ、地図から削り取られていく。

 統也は、一度もポッケから手を出すことはなかった。

 首元のマフラーを夜風に揺らし、まるで公園を散歩するかのような足取りで、要塞の入り口へと向かう。

 

 厚さ数メートルの特殊合金製の防壁。

 核攻撃にすら耐えると言われたその扉の前に立った統也は、ゆっくりと、呼吸を整えるように呼気を吐き出した。


「……3」


 加速は極限に達した。

 

 ドォォォォォォォォォォンッ!!


 激突音ではない。それは空間そのものが「悲鳴」を上げた音だった。

 防壁は紙屑のように弾け飛び、その衝撃波だけで地下要塞の全階層が地震のように揺れた。

 内部、入口を囲んでいた兵士たちが、天井から降り注ぐ瓦礫に身を縮める。


「なんだッ!?」

「地震か……!?」


 その土煙の向こう側から、コツ、コツ、と場違いなほど静かな靴音が近づいてくる。


「4秒か……。随分かかったな。さすがはアメリカ最高の軍事要塞と言っておこうか」


 砂煙の中から現れたのは、傷一つ負っていない名瀬統也だった。

 冷めた瞳で部屋を見渡し、彼はようやくポッケから右手を出し、首元のマフラーを少しだけ緩めた。


「……ただ、これだけの物量をつぎ込んでオレから奪えた時間はそれだけか。随分と高くついたな、この4秒は」


 一個軍隊を灰にし、絶対の要塞を歩みで食い破り。

 特級異能者『00(ダブルゼロ)』が、ついに要塞施設の内部へ、その泥さえ付いていない靴をかけた。



 ***



 戦略会議室。

 円卓を囲むのは、アメリカの影を操る八名の軍産複合体の重鎮たちだ。


「あの特級魔法士ロバートですら彼を一度では仕留めきれなかったそうだ」


 苛立ちを隠せないスミス将軍が机を叩く。


「ふざけるな! オリジン本社から圧がかかっているぞ。任を遂行しなければ消されるのは我々だ! クソ……! 早い所、ミスター・ナセを始末しなければ!」


 額に汗を浮かべ、リングスが吐き捨てる。


「ロバートとジェームズは一体何をしているんだ……!? コンダクターの情報提供があっても奴を仕留められないとなると、IW(インナーワールド)のS級異能士を借り出すしかなくなる」

「閣下、いいのがいますぞ。アダム・グレイス、リンカー・スミス、クリス・ダーニエル……以上三名のS級異能士は我々の意向を汲みながらトウヤ・ナセの暗殺命令を受諾しました」

「おぉ! なるほど、あの『リッチ・アンド・メロウ』に、『フォールン』『アイアンクラッド』か。それならばこちらに分があるな」


 勝利を確信したような笑みが漏れたその時、デスクの通信機が着信音を鳴らす。

 一人が「開始」ボタンを押し、スクリーンが「通信中」に切り替わるや否や、


「なんだというんだ!? 今大事な会議中だ!!」

『いえ……それが!!』


 スピーカー越しに、絶望に染まった兵士の怒号が響く。


『現在、名瀬統也(トウヤ・ナセ)と交戦中!! いいや、交戦中というか、蹂躙されています……!』

「なんだと!?」

「どういうことだ……!? トウヤ・ナセがなぜここまで!?」

「ふざけるな! 入口の隔壁をすべて閉じ、ここを最優先で守れ」

『了か――あ゛ぁぁぁぁーーー!!』

「なんだ……ッ!?」

「トウヤ・ナセを何としても殺せ、殺すんだ! おい、聞いてるのか、A16、A14……! 聞いてるのか、H32! K19!」


 返答はない。ただ、通信の向こう側で「空間が削り取られる音」だけが虚しく響く。


「どういうことだ!? 一体、何が起こっているというんだ……!?」

「やむを得ない。トウヤ・ナセを殺す命を、アメリカ全隊に告げるぞ」

「ですが閣下。それでは――」

「構わん。我々が生き残ることが最優先だ。何が何でも殺せ!! トウヤ・ナセを!!!」


 瞬間、ふわりと落下する物体――いや、人物。


「―――呼んだか?」


 頭上。

 円形に抉り取られた天井から、重力に逆らうこともなく、統也が円卓の真ん中にスタッと降り立った。

 ポッケに手を突っ込んだまま。マフラーすら乱れていない。


「そんな大声で呼ばなくても聞こえてるさ」

「は、がッ……!?」

「どう、して……!?」


 怯え、瞠目、驚愕。椅子から転げ落ちる重鎮たちを見下ろし、統也は無機質な声で点呼を始める。


「ウィリアム、リングス、ブラッドリー、ヘイワード、ミラー、ウォーカー、サリバン、そしてスミス。前八名は多額の資金援助を条件に、U.E.C.O.の兵士たちに命じてオレの暗殺を企てた。そうだな?」

「死ねッ!」


 右端に座っていたブラッドリーが懐から拳銃を取り出し、至近距離で引き金を引く。

 だが、銃声が響いた瞬間には、統也の姿は消えていた。

 

「オレを殺すと、さらに財布が肥えるのか? どうなんだ? リングス」


 統也はいつの間にかリングスの背後に立っていた。


「ヒッ……!? あ、ああ……」

「そうか、当てずっぽうだったがやはりお前がリングスだったか」

「いや、待て、違う――!! 我々はお前から手を引く!! だから、命までは!!」


 その言葉に、統也の瞳から温度が消えた。


「オレから手を引く? 違うだろ。オレ『たち』から手を引け。オレは別に命を狙われても構わない。それに対し武力行使を厭わないことも事前申告したつもりだ。ただ、そのために茜に目を付けたのは許せない。……誰だ? 誰が茜に目を付けた?」


 静かな問いかけ。だが、部屋全体の酸素が凍りついたような重圧に、アメリカの影のお偉いたちは息を呑む。


「妙なんだよ。茜はその存在が公になっていないとはいえ、今や禁忌を破りこちら側に足を踏み入れた犯罪者。オリジン軍では有名人のはずだ。死刑対象なんだろ? 彼女を捕まえるとかなんとか、そんな報告をミカエラから受けて、欲深いお前達が何も考えなかったとは思えない。一石二鳥などと考え、殺す算段を企てた輩がこの場にいるはずだ」


 視線を走らせる。一際激しく震え、目を泳がせたスミス将軍の顔で、統也の視線が止まった。


「なるほど、お前か」

「ま、待て! 違う! 違うんだ!」

「何が違う? でないと、U.E.C.O.を丸々動かす後ろ盾や資金がなくなるはずだが?」

「確かに当初は抹殺する予定だった……。しかし、ある事実により路線変更した。これは本当だ!」

「路線変更?」


(茜の力か、その他の起源的な秘密に気付いたか。凡そそんな所だろう)


 統也は冷静に分析する。


(だが、こいつらは深い事情を知らなそうだな)

(おそらく、ミカエラの計画とこいつらの謀(はかりごと)は別物)

(ここでミカエラの脅し文句を作ってもあまり意味はないか)


「……で、その茜はどこだ?」


 統也はあくまで冷静に問う。


「知るか、あんな鬼の女! 我々はその一件についてすべてユウキ・ミカエラ主任に委ねた。ミカエラの異能であの女を洗脳し、隷属させたあとは簡単だ! 女王に祭り上げ、このインナーアメリカ合衆国を再編成する! そうして我々が大統領に代わり、真の支配者としてこの国の頂上に君臨する。そのために必要だったのだ」


 欲に駆られたミラーが立ち上がり、吠える。


「トウヤ・ナセ、お前の命には関係ないだろ! 我々は茜を傀儡にし、その後大統領を殺すことだけが目的だ。貴様は関係ない!!」

「"関係ない"? いや、関係はある。お前らはオレの逆鱗に触れた。オレの大切な人を、殺そうとした」

「はッ……待て!」

「待つ? 何を」


 ここで初めて統也は眉を顰める。


「我々はまだミス・アマギリを殺していない! そして殺す予定もなくなった! 本当だ!」

「殺す予定……ね」


 統也が低く呟く。


「そうだ、我々が殺したいのは大統領だけだ!!」

「――だそうだ、現大統領クラン・J・ケネディ」


 統也がポッケから取り出したスマホ。その画面には「通話中」の文字が。


『……ふむ、なるほどね。そうか……君たちはそんなことを考えていたのか』


 スピーカーから漏れるクラン大統領の声に、会議室の温度がさらに数度下がった。


「な……これはッ!」

『国を脅かす。合衆国憲法を破り、大統領である私を手にかけようとした。特例として命じよう、ミスター・ナセ。この場にいる全員を処刑したまえ。この私が許可する。これを以て君の宣言の確約と、我が国への違法入国を帳消しとする。以上』


 統也は静かに顎を引く。


「了解です、大統領。では、切ります」

『ああ、これでお相子だ』


 プツン――通話終了の電子音。それは単なる終話音ではない。判決確定を告げる鐘の音だった。

 次の瞬間、悲鳴が会議室を引き裂く。


「うああああああ!!」

「がああああっ!!」


 統也は一歩も踏み込まない。ただ、マフラーを一振りする。

 布は空間を切り裂き、青い軌跡を残す。迷いも躊躇もない一閃が、赤を散らす。


「あ、が、やめ……う゛っ、お……っ!」

「も、もうやめてくれ……これ以上は……!」


 命乞い。しかしそれは、救済を求める声ではない。

 己が積み上げた罪から逃れようとする、最後の悪足掻きに過ぎない。

 統也の瞳は揺れない。


「今まで何人殺してきたんだ?」


 その場にあるのは激情ではなく、私怨でもない。

 ただ一つ――執行。


「そうか、数えてないか」


 マフラーは正確に、容赦なく、必要最小限で最大の結果をもたらす。

 苦痛は短く、裁きは迅速に。それが彼の流儀だった。


 数秒後、豪奢な会議室に漂うのは、焦げた鉄の匂いと重苦しい沈黙。だがそこに緊張はない。あるのは清算を終えた空気だけ。


 統也は血の一滴すら浴びることなく、再びマフラーを整え、その蒼き視線を前へ向ける。


「……さて」


 彼は振り返らない。

 血の海となった部屋に未練はない。

 彼は会議室を後にし、茜を救い出すため、さらなる深淵へと足を進めた。 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る