第2部

第1話 セントリージュ公国へ

 今日こそ、デートに誘うんだ!と男は拳に力を入れる。周囲には誰もいない。ここにいるのはシアと自分の二人だけ。

「あの…リージュ祭に、ぼ、わ、わた…自分と一緒に行きませんか?」

 あれ?いつもの口調はこんな口調だっただろうか。

「ごめんなさい、コリン。もう既に他の人と予定が入っているの」

 シアは少し顔を俯かせる。その姿は、普段の自信満々の騎士ではなく儚い少女のようだった。

 白銀の乙女の幸せを願う会の人たちから何か言われたのか、誰もいない場所では時折シアとしての一面を見せてくれるようになった。

 セントリージュ公国に行くのはお互い仕事だから、そんなに時間は取れないかもしれない。それでも、どこか休みが合うところがあれば屋台を回るなんてこともできるかもしれない。コリンの淡い期待は一瞬にして打ち砕かれた。

「そ、そうですよね」

 既にセントリージュ公国行きが決まってから数日経っている。他の婚約者候補がシアを誘い終わったとしてもおかしくはない。

 コリンはシアの従騎士であるから、シアと二人きりになる機会は何度もあるはずだった。しかし、そのたびにバロウズ伯爵家の次男と三男がひょこひょこと顔を出して、機会を潰されてしまった。今日は誰もいないと思ったら、既にシアの予定が全て埋められた後だった。

 自分は、本当に要領が悪い。伯爵家の兄弟がいようがいまいが、関係なく堂々とシアを誘えばよかったのだ。

「あ、そうだコリン。今日の仕事上がりに新しくできた店にいかないか?」

「西区にできた居酒屋ですよね。自分も気になっていたんですよ。行きましょう!あ、お嬢、他の団員を誘うのは無しですよ!」

「分かった、分かった。じゃあ、君と僕との約束だな!」

 シアは数多の女性の心を射抜く笑顔をコリンに向けた。

「た、楽しみです…」

 久しぶりにシアと二人で過ごせることは嬉しい。だが、すっかりアルフの口調と表情に戻したシアにコリンは胸に小さな痛みを感じた。



 セントリージュ公国への行程は概ね順調であった。二週間、時折休憩と宿泊を挟みながら馬車で移動をした。途中の山道で小規模の魔物の襲来はあったが、護衛の騎士や兵士たちの練度は高く、難なく討伐することができた。

 王妹殿下の側仕えとして王妹殿下と共に馬車に乗っているシアが戦いたくてウズウズしていたが、残念ながら最後までシアの出番はなかった。

 最初の襲撃でこんな一幕があった。

「シア、今のあなたは私の側仕えですよ。ここでじっとしていなさい」

「そう言われますが、マクシミリアン王子だって戦っているじゃないですか?」

 王子が魔物相手に戦っているのに、騎士であるシアが他の騎士たちに守られているという状況は納得できない。

「王子は有事の際に軍を率いて戦う立場ですよ。いい機会だから出しているだけです」

 レオノーラ王妹殿下はもっともらしいことを言っているが、本当のところは、我が甥も他の婚約者候補と同じく戦えるというところを見せてあげてもいいかと思って魔物退治に行かせたに過ぎない。

「大して強くない魔物ばかりです。あなたが出なくてもすぐに倒せるでしょう」

 王妹殿下の言葉通り、半刻もしないうちに全ての魔物を討伐した。

「どうだったかしら?彼らの戦いぶりは」

 レオノーラ王妹殿下は、戦いを終えて休憩しているバロウズ伯爵家の兄弟、コリン、王子に目を向けた。

「そうですね。王妹殿下の近衛隊の皆様と白銀の騎士団たちの連携は問題なかったと思います。出発前に合同訓練をした成果が出ていると思います。それにしても、近衛隊の皆様は実力者ぞろいですね」

「それはありがとう。でも、私が聞きたかったことはそれじゃないわ。あなたの婚約者候補たちはどうだったかしら」

「えっ、あ…」

 シアはカァーと赤らめる。答えを大きく間違えたようだ。

「それで、どうだったかしら?」

「えっと…、まぁ、ヴィクター兄様もトーマスも普段の遠征とあまり変わらずに動けていたと思いますし、コリンは私がいないせいか、自分から切り込んでいました。危なっかしいという感じもなかったので、今後は前面に出した戦い方もできそうだなぁと。それから、王子がここまで動けるお方だとは知りませんでした。剣筋に迷いがありませんでしたし、かなり鍛錬を積んでいらっしゃるのではないかと」

 シアらしい、実に真面目な回答だった。第二側妃であるメアリがいれば、シアをからかってもっと面白い回答をさせることはできるだろうが、レオノーラはそこまでの技量はない。

「いいでしょう。帰りの馬車ではもう少し面白い話を聞けることを期待しています」

 レオノーラ王妹殿下は口の端を釣り上げた。



 セントリージュ公国への入国手続は、リージュ祭目当ての商人、旅行者、旅芸人、シア達のような外国の使節が列をなしていたため、かなり待たされることとなった。

「レオノーラ王妹殿下、さっきから全然進んでないですね」

「仕方ないでしょう。この時期はいつもそう。元々閉鎖的な小さな国ですから。祭りの時期は解放されていると言っても入国には慎重にならざるをえないのでしょう」

 仕事上、待つことに慣れているシアではあるが、かれこれ半日以上馬車に詰めるという経験はあまりない。王族が使用している馬車であるから他の馬車よりは快適だが、身長の高く、足の長いシアには少々窮屈さを感じる。騎士の恰好であれば足を広げられるが残念なことに今のシアはドレス姿のためそうはいかない。

「…何か楽器の音が聞こえてきますが、あれは」

 シアは音のする方に顔を向けた。外の様子が気になるが警備の都合上レオノーラ王妹殿下の姿を晒さないように馬車の窓のカーテンを閉めているため、カーテンの隙間からそっと覗くのが限界だ。

「あぁ、あれは旅の一座が入国手続に待ちくたびれた人達からお捻り目当てで演奏したり踊ったりしているのでしょう」

「シアは、楽器の嗜みはあるのかしら」

「一通りはしていますね。領内の教会の手伝いで年末にいつもオルガンの演奏をしていましたし、地元の楽団で人が足りないときは参加していました」

「すっかりアルフの姿になじんでしまったけれど、本来のあなたは女性らしい人ですものね」

「そ、そう言われればそう…かもしれませんね」

 思わずシアは顔を仄かに赤らめた。

 アルフが亡くならなければ、シアは今でも慈善事業に勤しみ、暇があれば刺しゅうや読書をするそんな女性だったはずだ。アルフが結婚した後は、シアは修道院で修道女としてつつましく生きていたかもしれない。

「そういえば、女性らしくない出来事が一つだけありました」

 シアはふと十年以上前の記憶を呼び起こした。

「マクシミリアン王子のダンスの練習相手として呼ばれたことがあったのですが、その頃の私は成長期で王子の身長を大きく上回ってしまいまして、靴底の厚い靴を王子に履いていただいたのですが、全く練習になりませんでした。父上も周りの大人達もそこまで身長差があるとは思っていなかったようで、年の近い令嬢を急遽呼ぶことにしたのですが…」

「あの子、あなたと踊るって言ってきかなかったでしょう!」

「そうなんです。それで仕方なく、私が男性役で王子が女性役をしました。女性側の立場を理解した上で踊れるようになった方がいいという名目にして」

「あら?その時からシアは男性役ができたの?」

 レオノーラ王妹殿下は、シアが男爵家令息アルフとして令嬢とダンスをしている姿を何度も見ている。しかし、そんな昔から男性役ができたとは少々意外だった。

「実はですね、子供のころから令嬢、特に男性に慣れていない令嬢のダンスの練習相手になることが多くて男性役で踊る機会があったんです。それで王子と踊りまして、当時の私は、王子相手に自分でも大変上手にリードできたと満足したのですが、お、お、王子の方はと言いますと、大泣きしまして」

 シアは申し訳なさそうな顔を作ったが口の端が引きつっていた。

「シア、目と口が合っていないですよ」

 レオノーラ王妹殿下は口では窘めているが、目が笑っていた。

「すみません。あの頃の王子が可哀そうと思いながらも、どこか滑稽で」

 ボクがやりたかったのはそれじゃない!と何度も言い、床に仰向けになって手足を大きくバタバタさせていた。目からは大粒の涙が次から次へとこぼれていた。

「あの子には悪いけど、今でも男女入れ替えて踊れそうね」

「それは、さすがに王子が可哀そうでは…」

 王子がシアの身長を追い抜く日は果たして訪れるのだろうか。

「あの子、女装しても違和感がなさそうな気が…」

「いや、いや、これ以上は王子に失礼ですよ…」

 そう言いつつも、シアは笑いをこらえるのに必死だった。ここで笑ってしまっては不敬罪になってしまう。王族への忠義に厚いスプリングフィールド家に生まれた令嬢として、それだけは絶対にしてはいけない。シアは口元を扇子で隠し、お腹にぐっと力を入れて我慢した。



「王子、風邪でもお引きになられたのですか?」

 王子の盛大なくしゃみにコリンはハンカチを取り出した。馬車の中には王子とコリンしかおらず、さっきまでそれぞれ仮眠を取りながら静かにしていたため、くしゃみの音が大きく車内に響いた。

「いや、そんなことはないはずだ」

 王子は自分のハンカチを取って口元へ運んだ。

「それにしても、こんな長時間待たされるとは思ってもいなかった」

「そうですよね。あの?王子?」

 コリンの問いかけに王子は片眉を上げた。

「オラ…自分が王子の側仕えをして良かったんでしょうか?」

「いや、まぁ。コリンも他国とはいえ王族だしな。兄上から、将来のためになるから俺の近くで学んでおけとのことだ」

「でも…オラには少々荷が重すぎると言いますか」

「完全に、『オラ』に戻っているぞ」

「すっ、すみません!王子!」

 コリンはすぐさま平伏した。

 こういうところなんだよな、直すところはと思いながら、王子はコリンを眺めた。

「外でしっかりしてくれれば構わない。それに今回の公務は俺自身、叔母上のおまけみたいなものだ。おまけのおまけであるお前に何かしろというようなものは『ぼぼ』ない」

「ほぼ?」

 聞き返したコリンに王子は鷹揚に構える。

 『ほぼ』ということは、全くないというわけでもないため、不安がぬぐえないコリンであったが、これ以上王子を困らせても仕方がないので、きゅっと口を引き結んだ。

「それよりも、だ。お前、シアと居酒屋デートとか言うものに出かけたらしいな」

 王子は苦虫を噛み潰したような顔をした。

「王子、ものすごく嫌そうな顔をしているのに醜悪に見えないなんて、イケメンはずるいですね」

「そんなことはどうでもいい!それでどうだったんだ!」

「どうと言われましても、会話はそこそこ弾みましたけど普通にアルフ様と居酒屋に行っている感じで終わりました。自分の中ではあれはデートに入りません」

 あの時のシアは、男性用の服を纏っていたのだ。最初から、シアとして振舞う予定はなかったのだろう。

「あの…王子?何か憐れむような目をしていますが、何か?」

「シアからお前を誘ったと人づてに聞いて羨ま…いや、驚いたんだがデートではなかったんだな」

「残念ながら男同士の個人的な飲み会でした」

「お前も頑張れよ」

 王子はなぜかライバルであるはずのコリンの肩を優しく叩いた。

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