人生における偏りについて

だいぶ間が空いてしまったが書いていこうと思う。


今回は人生における偏りについて


人は誰しも偏っている。

偏りとはその人間が持つ個性とも言い換えられる。

他人と比較し、より上手にできたり。時間をかけたり、好意を抱くと人はある特定の領域に偏る。

人間一人一人はあまりにもできることが少ない。ただし、世の中にこうして偏りを持つ人間が無数に存在する。自分にとって不得意なことも誰かにとっては得意なこととなる。そうした一人ひとりの偏りがお互いを支え合って世界のバランスはかろうじて保たれているのだろうと思う。


私には偏りがない。


たぶん、人は何かに特化すべきなのだと思う。

生涯をかけて、一つ、物事に没頭するはずであり、するべきなのだと思う。

でも私にはそれがない。

何もかもが中途半端なのだ。

私はそこそこの年数生きてきたつもりで、一応はある程度のことは達成した。

たぶん、他の人から見ればなかなかすごいことなのだと思う。

だが、私はそれを達成した瞬間、なんというかこう、冷めてしまったのかもしれない。

結局上には上がいて、たとえ私がいなくなってもその世界になんら影響がないのだと日々思わされる。

日々もがき、才能を見つけ、個性を磨こうとしてもある程度まで行ったところで飽き、次の分野に手を出してしまう。その繰り返しだ。


小説もそうだった。

私は本を読むのが好きで、とりわけ小説を読むのが好きだ。私もこんな素敵な物語を書いてみたいと思うこともあった。途中までかき上げ、中には無理やり終わらせた作品もあるにはあったが、結局それらが続くことはなかった。

今ならばたぶんもう少しまともに続けることもできるかもしれないが、一向にやる気が起きない。

こうして感情に任せ、駄文を打つことはできても、素晴らしい物語を紡ぐための努力と才能が私には欠けている。


結局私は何になりたいのだろう。

たぶん、私は自由になりたいのだと思う。

誰にも咎められず、自分のしたいことを自分でしたいのだと思う。

困難でさえも他人から理不尽に与えられたものではなく、自分の裁量でコントロールをし、覚悟を持って迎え入れたいのだと思う。


ここ数年はいろんなことがあった。

それらは私自身に多くの知見を与えてくれた。同時に多くの不安や悩みも生まれた。

その一つがこの偏りだ。

みなさんにはあるだろうか?

好きで好きでたまらない。

胸を張って前を見て、まっすぐ向き合って

私はこれが好きで、生涯追い求めたいと言えるようなものがあるだろうか?

私はそれがとても羨ましい。

羨ましい、が同時に諦めたくないと思う。

いつか私もそうしたものを手に入れたい…いや手に入れる。

そのために今日も試行回数を重ねていく。

幾度失敗を重ねても諦めずに画面に向かう。

その日まで

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小説のようなもの 理科 実 @minoru-kotoshina

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