第44話 A海岸の人殺しの話


 A海岸。その名はすでに幾つもの怪談に彩られ、恐怖の代名詞ともなっていた。夏の賑わいを終えた砂浜は静寂に包まれ、波の音だけが絶え間なく響き渡る。ざざーん、ざざーん。単調でいて、どこか不気味なリズムが夜の闇に溶け込む。そして、その海岸を見下ろすように聳える廃ホテルは、朽ち果てた外観とは裏腹に、何か得体の知れない気配を漂わせていた。白い外壁はひび割れ、カビと汚れに覆われ、かつての栄華を偲ばせるシャンデリアがロビーで傾いている。


 その日、五人の男たちがA海岸にたどり着いた。彼らは強盗犯だった。都会で銀行を襲い、大金を奪って逃走中だった。警察の手が迫る中、追跡を振り切るために人里離れたこの海岸に逃げ込み、廃ホテルに身を隠すことにしたのだ。


 リーダー格の剛田は、がっしりした体格に短く刈り込んだ黒髪、鋭い目つきの男だった。革ジャンを羽織り、擦り切れたジーンズにブーツを履いている。無精ひげが顔を覆い、威圧感を放つ。


「ここなら誰も来ねえ。しばらく潜伏して、熱が冷めるのを待つんだ」


 剛田が太い声で言った。


「マジかよ、こんなボロいとこで何日も過ごすのか?」


 次いで佐野が鼻を鳴らしながら埃っぽいロビーを見回した。佐野は瘦せ型で、色褪せたグレーのパーカーにキャップを被り、肩にリュックを背負っている。目が細く、常に不機嫌そうな表情が特徴だ。


「文句言うなよ。捕まるよりマシだろ」


 と松井が肩をすくめて返す。松井は中肉中背、チェックのシャツにカーゴパンツ、短い茶髪が乱れている。穏やかな顔立ちだが、どこか疲れが見える。


「でもさ、なんか気持ち悪いよな。ここ、虫とか出そうじゃん」


 高木が眉をひそめ、壁のひび割れを指差した。高木は小柄で、黒いスウェット上下にスニーカー、丸顔に少し垂れた目が臆病そうな印象を与える。


「虫なら俺が潰してやるよ。問題は警察だ。見つからなきゃいいんだから」


 そう、藤本が笑いものにするように言った。藤本は長身で筋肉質、赤いタンクトップに革パンツ、金髪をオールバックにしている。派手な外見が目を引く。


 五人──剛田、佐野、松井、高木、藤本は疲れ果てていた。逃走劇の緊張と睡眠不足が重なり、全員が苛立っていたが、とりあえず休息を取ることにした。一階のロビーに荷物を置き、各自が適当な場所に腰を下ろす。


「なぁ、剛田よ。このホテル、なんか変な噂あるって聞いたことねえ?」


 佐野が床に座り込みながら尋ねた。

 剛田は鼻で笑った。


「噂? んなもん知らねえよ。廃墟なんてどこも怪談の一つや二つあるだろ」


「でもさ、俺、こういうとこ嫌いなんだよ。暗いし、寒いし……なんか見られてる気がする」


「ビビってんのか? お前、銀行じゃ平気で銃振り回してたじゃねえかよ」


 藤本が佐野を笑う。



「うるせえよ! あれはアドレナリン出てただけだ」


「まあ確かに、ここの空気、なんかおかしい」


 高木がそうボソリと呟く。

 一同は静まりかえる。


「まあ、さっさと部屋決めようぜ」


 気分を変えるように、剛田が言った。



 五階の一室に決めた。



 夜が更けるにつれ、波の音が不思議と耳に残ることに、剛田は気がついた。


 ざざーん、ざざーん。


 剛田以外はすぐに眠りに落ちたが、彼は何か落ち着かない気分で目を覚ましたままだった。窓の外を見ても、闇と海しか見えない。だが、その闇の中になにかが蠢いているような気がしてならなかった。


 ざざーん、ざざーん。


 波が打ち寄せる音。


 ふと、何十年前の新婚旅行を思い出す。

 グアムの海は生ぬるかった。

 遠く岩礁が波を阻んでいて、砂浜までは来ないのが、日本と違って面白いと思った。

 逃げるなら、グアムだな。剛田はふと思った。

 バスは傾いてるし野犬も鶏もいるが、それでも悪くない土地だ。日本車も多い。


 老後は此処に引っ越そうか、そう話したんだったか。皮肉なことだ。と、剛田は思う。


 戻れないのは分かっている。

 何年も前に、娘を連れて行方を絶った女など、どうでもいいはずだ。


 剛田としても思い出すのは久しぶりだった。


 変にセンチメンタルになっているのは、厭な体験をしたせいか。

 強盗そのものの興奮は既に冷めている。

 右手をじっと見た。よく拭いたから、普通の手にしか見えないはずだ。


 目を覚ましたのか、松井が眠そうに目をこすりながら尋ねた。


「寝ろよ剛田。いざって時に持たねえぞ」


「なんか落ち着かねえんだよ。……この波の音のせいかな、うぜえな」


「神経質だな、リーダー。まぁでも、確かにデカい音だよな。耳に残るっていうかさ…………」


 そう、松井は欠伸交じりに言って、再び眠りに落ちた。





 やがて、疲労に抗えず剛田も眠りに落ちた。そして、夢を見た。




 剛田の夢の中では、彼は僧侶だった。古びた袈裟をまとい、粗末な草鞋を履き、他の五人の仲間とともに旅を続けている。


 六部と呼ばれる巡礼僧の一人だった。


 剛田を含めた彼らは、全国を歩き、托鉢しながら祈りを捧げる日々を送っていた。


 その日はA海岸沿いの小さな村にたどり着き、村人から粗末ながらも温かい歓待を受けた。


 ざざーん、ざざーん。


 波の音が遠くから聞こえ、村の外れに広がる海が闇に染まっている。


 剛田──いや、夢の中の僧侶──は仲間たちと笑い合い、火を囲んで夜を過ごした。


 村の広場には小さな焚き火が灯され、木々の影が揺れている。


 佐野は瘦せた僧侶としてそこにいた。袈裟の裾が擦り切れ、細い手で木の枝を火にくべている。松井は穏やかな顔の僧侶で、静かに経を唱えながら火を見つめていた。高木は小柄な僧侶で、臆病そうな目で周囲を見回し、時折火に手を近づけて暖を取っている。藤本は背の高い僧侶で、袈裟の下に筋肉質な体が隠れ、火のそばで大げさに笑い声を上げていた。


「おい、佐野、もっと薪入れろよ。寒いんだよ」


 と藤本が僧侶の姿で言った。


「これで十分だろ」


 と佐野が低い声で返す。


「倹約すべし、だ」


「まじめなこと」


 呆れたように高木が肩を竦める。


「まぁ、皆、今日はよく歩いた。休息が大事だ。明日はまた長い道のりだからな」


 剛田が太い声で締めくくった。




 村人たちは食事を提供してくれた。


 干した魚と少しの米、それに薄い味噌汁だ。

 僧侶たちは感謝の言葉を述べ、静かに食事を進めた。


 ざざーん、ざざーん。


 波の音が夜の静寂を埋め、火のそばで温まりながら、剛田は仲間たちの顔を見回した。皆、疲れ果てているが、どこか穏やかな表情だ。村の長老が近づいてきて、火に手を翳しながら言った。


「旅のお坊さんたち、今夜はゆっくり休んでくだされ」


 剛田は頷き、「ありがたく思います」と答えた。


 村人たちは親しげに笑い、火のそばで少し話した後、それぞれの家へと戻っていった。僧侶たちは火を囲み、夜が更けるのを待った。


 ざざーん、ざざーん。


 波の音が徐々に大きくなり、風が冷たく感じられる。剛田は袈裟を少し引き寄せ、火を見つめた。仲間たちは次第に眠気に襲われ、あてがわれた小屋へと、一人、また一人と向かい、横になった。


 だが、夢はそこで更に変化した。



「小林がいなくなった」


「朝起きたらいなかった」


 藤本と高木がそう言った。


「いなくなったってどういうことだよ」

「一人だけ先に進んだのか」

「いや、荷物はある」

「じゃなんで」「小便しようとして海に落ちたんじゃねえの」「砂浜だぞ」「山の方に行ったんじゃないか?」


 佐野の呟きに一斉に黙る。


 この海岸を見下ろす山には、タデボウという魔物が住むと言われている。

 タデボウは人を食う。食うために人を呼ぶ。


 小林が山に向かったなら。


 いや、そうでなくとも真夜中に山へ行くなど命知らずにも程があるおこないだ。旅をしているからこそ、全員が、闇夜での山中彷徨が持つ危険を理解している。


 理解しているからこそ、尋常な事態とは思えなかった。


 小林は何処へ消えたのか。



「まあ待て。落ち着け。とにかく、まず、聞いてみるべきだ」

「聞くって」


 剛田が他の面々を落ち着かせるように言った。


「村の人らにだよ」






「村の者たちに聞きましたが、小林さまが山の方へ行ったと、そう見た者たちがいます」



 村長が心配そうに報告した。



「やっぱり呼ばれたんだよ」


 佐野が言う。

 対する剛田はぶすっとして答えた。


「馬鹿なことを言うな。まずは山狩だ。小林探すぞ」

「でも俺らまでタデボウにあったら」

「説教でもしてやるだけだ」



 結論から言えば、タデボウも小林も見つからなかった。



 日が暮れる。

 昨日の穏やかさは何処かへ去っていた。

 山での捜索で体力を大きく使った彼らは、直ぐに小屋で眠りに落ちた。



 夢が変転する。

 剛田は違和感を覚える。それは僧侶の剛田ではなく、夢を見ている剛田だ。


 剛田の視点が体を離れ浮上する。


 六部の泊まる小屋。

 それを見つめる者たちがいる。


 村人だ。


 夜が深まり、村人たちの態度が変わっていた。

 その目が、冷たく鋭いものに変わる。



 僧侶たちは気づかないまま眠りに落ちていた。


 視点が剛田の体に降りる。


 剛田の意識は白熱するが、体は熟睡していて動かない。


 ざざーん、ざざーん。


 ざ、ざ、ざ、ざ。


 波の音に混じって、誰かが近づいてくる気配がある。


 渾身の力で目を開けると、小屋の扉が開かれ、闇の中から村人たちが現れた。


 手に持つのは刃物──短刀や鎌だ。彼らの目は貪欲に光り、僧侶たちの所持品を奪うため、静かに、だが確実に命を奪おうとしていた。


「おい、何だ!? 何してんだ、お前ら!」


 全力で体を覚醒させ、剛田が叫んだが、遅かった。


 最初に殺されたのは佐野だった。一人の村人が近づき、短刀を振り上げ、佐野の喉を掻き切った。血が噴き出し、佐野は目を開ける間もなく事切れていた。


 だがその気配に飛び起きたらしい、松井が


「お前ら、やめろ!」


 と立ち上がったが、次の瞬間、別の村人が鎌で彼の胸を刺した。


「ぎょっ!」


 と短い叫びを上げ、松井は血を吐いて崩れ落ちた。

 既に他の面々は置きていて、中でも高木は逃げようとした。


「何!? 何だよこれ!」


 叫びながら後ずさったが、後ろから来た村人に頭を棍棒で殴られ、鈍い音とともに倒れた。


「やめてくれ……」


 そう呟いたが、動かなくなった。

 藤本は抵抗した。


「てめえら、何しやがる!」


 そう喚いて逆に村人に飛びかかったが、二人掛かりで押さえられ、縄で首を絞められた。


「がぎっ……!」


 息を詰まらせ、顔が紫色に変わる。


 そして最後に、剛田自身が立ち上がった。


「お前ら、何だ!?」


 村長らしき男が短刀を振り下ろし、剛田の胸を貫いた。冷たい刃が肉を裂き、血が袈裟を染めた。


「ぼば……!」


 と呻きながら、剛田は膝をつき、やがて倒れた。


 ざざーん、ざざーん。


 波の音が彼の意識を飲み込むように響いた。





 夢の中で死に、剛田は叫び声を上げて目を覚ました。



「剛田さん、どうしたんだよ!?」


 佐野が慌てて駆け寄ってきた。剛田は汗だくで息を切らし、震える手で額を拭った。革ジャンが汗で重く感じられる。


「夢だ……ただの夢だ……」


 そう呟く剛田だったが、心の底から恐怖が消えなかった。夢があまりにもリアルだったのだ。仲間たちの死に様が、まるで実際に起こったことのように脳裏に焼き付いている。


「おい、剛田さん、大丈夫か? 顔真っ青だぞ」


 と小林が心配そうに声をかけた。

 チェックのシャツが寝汗で湿っている。

 小林が水を差し出す。

 剛田がそれをもぎ取り、飲み込み、そして震えながら答えた。


「夢で……俺たちが殺された。村人に、僧侶の姿でな」


「僧侶? 何だよそれ、頭おかしくなったか?」


 藤本が笑いものにするように言った。赤いタンクトップが闇の中で目立つ。


「笑えねえよ。リアルすぎたんだ。佐野、お前喉切られてたぞ」


 剛田が睨みつけた。


「はぁ!? 俺が!? やめろよ、不吉なこと言うな!」


 佐野が顔をしかめ、パーカーの紐を引っ張った。


「俺も刺されてたって言うのか? マジで気味悪いな」


 松井が首を振った。


「全員だ。全員殺されてた。俺が最後だった」


 剛田が低い声で締めくくった。


「まあ……嫌な夢を見ることもありますよ。だって剛田さんは■■■をした後ですから」


 小林が言う。


「寝ましょう。寝て解決することもありますよ」




 だがその夜、眠りに落ちた全員が同じ夢を見ることになる。


 佐野は自分が喉を切られる瞬間を体験し、目を覚ました。


「何だよこれ! 剛田さんの言う通り喉切られた!」


 叫び、首を押さえた。自分の首に傷がついていないか確かめようとしたらしい。


 松井は胸を刺される痛みに悶え、


「胸が……痛ぇ……!」


 呻きながら、シャツを握り潰した。

 高木は頭を殴られる衝撃で飛び起きた。


「頭が割れるかと思った……」


「息できねえ……首が締まる……!」と絶叫して飛び起きたのは藤本である。


 そして、それぞれが気づいた。夢の中の僧侶たちが、自分たち五人だったのだ。


「何だよこれ……俺たち、夢の中で殺されてたぞ……」


 松井が震えながら呟いた。


「偶然じゃねえだろ。同じ夢なんてありえねえ」


 そう、佐野が目を吊り上げた。


「おい、剛田さん、これどういうことだよ! お前が言い出したから変な夢見たんじゃねえのか!」


 高木が怒鳴り、剛田が吠え返す。


「俺のせいじゃねえ! たぶんこのホテルだ。んなかおかしいんだよ、ここ! 波の音もうっせえしよォ!」


 藤木が立ち上がる。


「だったらさっさと出ようぜ! こんなとこ、もう嫌だ!」






 彼らは脱出を決意した。警察に見つかるリスクよりも、この場所に留まる方が危険だと感じたのだ。


 しかし、一階の扉は開かなかった。


「なんでだ!」


 力づくでこじ開けようとしたが、まるで何かに封じられているかのように動かなかった。


 窓も同様だ。

 一階の全ての出口が閉ざされていた。


 ざざーん、ざざーん。


 波の音が嘲笑うように響く。


「波の音、デカくなってないか?」


 佐野が震えた声で言う。


「黙れ! ふざけたこと言ってんじゃねえ!」


 藤本が叫びながら窓を叩いた。


「どうなってんだよここは!」


「落ち着け。……上の階だ。非常階段を探すぞ」


 剛田が指示を出した。


「上の階!? 本気かよ」


 高木が反対したが、


「どうせこの階は無理なんだ。とにかく総当たりで出口探すぞ」


 そう、剛田に押し切られた。


 だが


 二階も、三階もダメ。四階も出口はない。


 やがて彼らが五階にたどり着いた時だった。上から音が聞こえた。


 ず……ず……。


 ごと……ごと……。


 何かが床を擦り、転がるような音。そして、ドタドタと複数の足音が響き渡る。



「六階だ……何かいる……」


 高木が呟いた。


「六階って、まさか噂の……?」


 佐野が顔を強張らせた。

 剛田は彼らを振り切り、


「知るかよ。とにかく空いてる窓さが」


 言い終わる前に、隣の部屋から何かが飛び出してきた。


 それは巨体の大男。

 彼は大木じみた腕を振るい、手近にいた男を───佐野をぶん殴った。

 佐野は一気にふっとばされて壁に激突する。


「ああ!?」「佐野!」「んだテメ……!!」


 大男は紙束を掴んでそれを振り回していた。常軌を逸した振る舞いに気圧された四人を置いて、そのまま廊下を駆けていく。



「なんだよいまの」

「いってぇ……」


 佐野が、藤本の腕を借りて立ち上がる。


 その時だ。

 天井からぬっと染み出すように姿を現したのは真っ白な禿頭が都合六つ。


 ざざーん、ざざーん。


 波の音が拡大する。浜辺にいるのと同じ音量だ。


 染み出した禿頭がぎろりと彼らを見る。



「逃げろ!」


 剛田の叫びとともに、五人は階段を駆け下りた。


 恐怖に駆られながら三階にたどり着いた瞬間、窓から白い何かがぞろぞろと這い入ってきた。白い服をまとった無数の人影──。


 階段に戻ると、上から転がってくる僧侶の首たち。血に濡れた禿頭が床に転がり、夢の中で剛田たちが扮していた六部があの後どうなったのかを突きつけるようだ。


「ひとごろし!」


 その首の一つが甲高い声で吠えた。


「下へ! 一階へ!」


 剛田は叫び、全員がロビーへと駆け下りた。

 ロビーにたどり着いた時、白いものたちがすでに溢れていた。天井から滲み出すように現れ、蠢きながら彼らを取り囲もうとしていた。だが剛田は見た。そして、仲間たちに合図を送った。


「扉が開いてる! 今だ、走れ!」


 五人は扉へと突進した。白いものたちが反応する前に、剛田が先頭で扉をくぐり、佐野、松井、高木、藤本、小林が続いた。外に出た瞬間、冷たい海風が彼らを包んだ。廃ホテルから脱出できたのだ。


 ざざーん、ざざーん。


 波の音が耳に突き刺さる。


「おい、剛田さん! あれ……!」


 高木が振り返り、叫んだ。


 廃ホテルの入り口に立つ影。僧侶の姿をした剛田が、そこに立っていた。そして、その隣には佐野、松井、高木、藤本の僧侶姿が並んでいた。五人の強盗犯と同じ顔をした僧侶たちが、無表情で彼らを見つめていた。


「何!? 俺たちはここにいるだろ!」


 剛田が叫んだ。


 だがその瞬間、彼らは屋上にいた。


 そこはホテルからでた駐車場ではなく、ホテルの屋上だった。

 遥かな高さからA海岸を見下ろす位置。



「おい、どうなってんだ!? 俺たち、いつこんなとこに!?」


 佐野がパニックに陥った。


「あーーーーーーー!!」



 松井が叫ぶ。脳の許容を超えたのだろう。


「お、落ち着け……」


 藤本が声を震わせた。

 だが、その時、剛田が気づいた。


「おい、小林はどこだ?」


 五人の中で一人だけ、小林がいなかった。


「お前ら、下を見てみろ……」


 高木が震える声で言った。

 屋上から見下ろすと、ホテルの下に小林が立っていた。こちらを見上げ、薄く笑っている。


 青白い顔だ。


 瘦せた体に灰色のコート、短い黒髪が風に揺れている。


「小林、お前だけなんで!?」


 藤本が叫んだ。

 だが、小林はただ笑うだけだった。


 その胸から血が滴っている。



 剛田は自分の手を見た。

 右手が赤色の液体に染まっている。


 彼は諒解した。


「お前ら、覚えてるか? 銀行の、あの、ガキのこと」


 と剛田が呟いた。


「あのガキ……まさか!?」


 目を丸くしたのは、誰だっただろうか。

 もはや関係ないことだ。

 彼らは思い出していたから。


 彼らは一人殺害している。


 その被害者が、あの────小林。


「俺たち、五人だっただろ……」


 剛田が、そう言った。

 佐野が崩れるように膝をついた。





 小林は強盗犯の仲間ではなく、彼らに殺された亡霊だった。




 小林の姿が消え、代わりに屋上とホテルを繋ぐ扉が開く。夢で見た村人たちが現れ、刃物を手にゆっくりと近づいてきた。その中には、なぜかあの六部もいる。

 屋上にいる五人は逃げ場を失い、ただ恐怖に震えた。


 ざざーん、ざざーん。



「お前が仕組んだのか、小林! 復讐かよ!」


 剛田が叫んだが、返事はない。


「やめろ! 俺たちは悪かった! 許してくれ!」


 高木が泣き叫んだ。

 だが、村人たちは無言で迫り、ざざーんざざーんと波の音が異様に大きく響き渡る。



 死ぬ。夢と同じように。だが今度の死は、過去の追体験ではない。この死からは、覚めることができない。



「最悪だ……」


 佐野はそう言って


「でも、もっと怖い話を知ってる。

 こんな体験よりもはるかに、ずっとずっと恐ろしいものを。それが何かみんなにおしえてやるよ。あの村人たちも、坊主も、俺達が死んだ後に落ちるんだろう地獄よりも、そのどれよりも怖い話を俺は知ってるんだおしえてやるよみんなになこれは冥土の土産ってやつ小林にも聞かせてやりたかったけどしかたねえやとにかくおい、剛田、藤本、松井、高木、聞けよ聞けって、いいか、これは俺がさ、小さい頃に聞いた話なんだがよ…………

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る