第17話 3才 No5への応援コメント
子供を連れてスーパーに買い物、結構大変ですね。我が家は長男、次男が2歳差でどちらも男の子。兄弟セットになったら、それぞれ別に行動するときの4倍はしゃいでました。「こどもちゃれんじ」を定期購読していたので、「ほら、しまじろう君が『お店の中では走らない』って言うてるやろ。今から買い物に行くけど、お店の中で走ったりしたらあかんよ!」と注意すると元気よく「はーい!」と子供たち。にもかかわらず、お店についたらお約束はどこかに飛んで行っていました。子供たちの手を力いっぱい握っていても、どうしても買い物をしていると手を離さざるを得ないことがあり、脱出した子供たちが走り出します。
一度、子供たちを必死に捕まえていたら、老夫婦が私たち家族を一瞥し、「子供は悪くないねん」と言い捨てて去っていきました(親の教育が悪い、と暗示)。妻と二人、ガックリしたことを覚えています。
アセトン血性嘔吐症とまではいきませんが、食事と食事の間の時間が夕食→朝食の間が一番長いので、「夕食を食べさせること」には気を使っていました。次男君が寝坊助(今もですが)で、お昼寝→そのまま朝まで、という事が子供のころからしばしばあり、「朝起きて、『気分が悪い』って言ったらどうしよう」とドキドキしていました。確かに夕食を抜くと、調子悪そうでした。
「アセトン血性嘔吐症」の根本原因はわかっていなかったと思います。ただ、「うれしい」につけ、「悲しい」につけ、何か負荷がかかると発症するので、親御さんも本人も大変だろうと思います。私が小学生のころ、友人が「自家中毒」と言われていましたが、「遠足」や「運動会」など、楽しい出来事も引き金になるので、その当日に発症してお休み、という事がしばしばで、残念そうだったことを覚えています。
「自家中毒(アセトン血性嘔吐症)のお母さんに片頭痛が多い」という事は、聞いたことがありません。これはただの都市伝説だと思います。幸いなことに、大きくなると、アセトン血性嘔吐症の発作を起こさなくなるので(成長するのはありがたいことです)、そこは「救い」だと思います。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。
育児に翻弄され、頑張っているにもかかわらず、他人からの辛口アドバイスは、グサリときますよね(>_<)
私も、しょっちゅう、刺さっていました(T_T)
息子のアセトン血性嘔吐症は、小学生まで続きましたが、回数を重ねて行くうちに、私が「あ、アセトンになりそう」と、早めに予防(食べさせる、休ませる等)する事が出来る様になりました。息子も、自覚して、頑張って「食べる」「休む」が出来る様になりました。
第16話 3才 No4への応援コメント
子供のころの遊びって、「空想力」がありますよね。見えない線路、見えない電車、大人は見えていなくても、子供には見えていますね。自分を振り返っても、幼稚園や小学生のころ、祖父母の家に行ったときには、「懐中電灯(祖父が夜、トイレに行くときに使っていた)」を地下鉄に見立てて、地下鉄ごっこをしていたことを覚えています。
お風呂のおもちゃ、うちもそうでした。次男君は水遊びが好きなので基本的に長風呂で、水と戯れていました(います?)。最近はなくなりましたが、つい数年前まで、「おニューの牛乳石鹸が3日で無くなる」とか、「シャンプーとリンスが1週間持たない」など、「あぁ、遊びで使っているんだろうなぁ」と思う事が多々ありました。注意はするものの、聞くはずもなく、「あぁ、もったいない」と思っていました。お風呂場から、子供の遊び道具、全く無くなったのはほんの2年ほど前です。
幼稚園入園の順番取り、すごいですね。私の街でも、人気の幼稚園はそんな感じなのでしょうか?我が家は二人とも「市立」の幼稚園に通ったので、そこまでのことはなかったように思います(私の仕事が忙しく、なかなか家族を顧みる余裕のない時期だったので、妻に任せきりでした)。
うちの長男君は、成人を迎えても、「心の底から謝罪する」という事が苦手なようです。少なくとも私たち家族の前ではその姿を見せません。モゴモゴと言葉を濁しています。小さいころからそうでしたが。「これで、『ちゃんと謝罪する』ができるようになれば、安心なのになぁ」と先日18歳の誕生日を迎えた長男君を見ながら思っています。本当に困ったことです。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。
子供の空想力、お風呂のオモチャ、モゴモゴ、多くのお子さんに『あるある』ですね。本当に、その当時は大変な事もたくさんありましたが、今は、良い思い出です。あの時期があったから、今も頑張れるし、もう大人に近くなった息子の事も、愛おしく思えます。
この日記を読んで下さった方が、子育て時期を思い出しながら「懐かしいなあ」と言う気持ちになったり、今子育て中の方が「みんな、こんな感じなんだ」と安心して下さると、嬉しいです。
編集済
第15話 3才 No3への応援コメント
自家中毒(アセトン血性嘔吐症)、大変ですね。病態と治療についてはわかっていますが、発症のきっかけのメカニズムが今でも不明なので困ります。楽しいこと、嫌なことが待っているときなど、何かのストレス(良きにつけ、悪しきにつけ)で起きるので、「遠足当日」などに発症してお休みせざるを得ない、などとよく聞きます。
「点滴路を確保する」という事は一般の方が考えている以上に難しく、高齢者や乳幼児は特に難しいです。高齢者は血管が脆くて、「点滴路が取れた!」と思ったら血管が破綻して腫れてくることが多く、子供は「暴れてしまう」ことと、多くの場合、血管が見えにくいことが原因です。
小児科研修を2か月受けましたが、点滴や採血の時は、ご両親は部屋から出てもらう病院のルールでした。一つはご両親がいると、助けを求めて、より暴れること、一つは泣き叫ぶ子供の声にご両親が負けてしまう事でした。「治療に必要」とご理解いただいていても、親御さんが処置室のドアを開けて、怒鳴られることはしばしばでした。
研修病院では、採血や点滴路の確保は、年次の低いものの仕事です。一番の理由は「数をこなさないと上達しないこと」です。時に「1本の点滴」が子供の命を左右するので、「素早く、確実に」できるよう、必死でした。
1年次が3回失敗すると、2年次に交代でした。2年次も3回失敗すると、スタッフDr.(小児科専門医)に交代でした。スタッフDr.が頑張ってもなかなか点滴路が確保できないことは少なからずありました。難しいです。
以前勤務していたところは、「ゆりかごから…」の診療所だったので、小児科も内科(私は内科が本職)も、時には整形外科的な仕事や傷の縫合など、外科的なこともしていました。
自分の子供たちも、基本的には私が診察、治療をしていましたが、点滴が必要なほど重症、というのは少なかったです。ただ、毎年のワクチンも私が打っていましたが、暴れずに指示に従って「接種」ができるようになったのは、小学6年生くらいからだったように思います。それまでは、妻と看護師さんに一生懸命ふん捕まえてもらい、ワクチンを打っていたことを覚えています。
おやつ、我が家では高校生になっても帰宅の第一声は「ただいま!おやつ!」です。自分自身が子供のころ、おやつを食べる「習慣」がなかったので、個人的には「高校生にもなって、そこまでおやつにこだわるかね~」と思って見ています。
もし、遠方の大学に進学し、一人暮らしを始めたら、「おやつ」の習慣はどうなるのだろうか、見てみたい気がします(笑)。
作者からの返信
コメント、ありがとうございました。
とても専門的で具体的な回答で、勉強になりました。幼児の点滴や採血の大変さ、何故親と引き離すのかと言う理由など、お医者様からの体験と意見、沢山の方に知ってもらいたいです。
息子は、アセトン血性嘔吐症で点滴する事が、小学校高学年まで続きました。全部で11回。酷い時は、入院もしました。今でも、ちょっと気持ちが悪くなったり、体調が悪くなると、私の方が「また、アセトンか…」とドキドキしてしまいます。
あの頃は、ネットで検索しても、あまり情報がなかったし、周りに同じ様な症状の子がいなかったので、とても不安でした。
編集済
第14話 3才 No2への応援コメント
♪お馬の母さん 優しい母さん♪
私も母によく歌ってもらいましたが、「お馬の母さんは優しいのに、なんで僕のお母さんは怖いんやろ」と私も思っていました。喜寿を過ぎて、ずいぶん小さくなった母ですが、怒るとやはり怖いです。凍り付きます。
うちの長男君は、「ジングルベル」の歌詞(いろいろなバリエーションがありますが)で、いつも「鈴の音 カンカンカンカン それ走れ ヘイ!」と歌っていました。「鈴の音」なら「カンカン」ではなく「リンリン」だろう、と不思議に思っていました。保育園に長男君を迎えに行ったとき、先生に尋ねてみました。「鈴の音 高らか それ走れ」だそうです。「高らか」確かに保育園児には難しい言葉です。
とある日、家族みんなで京都の哲学の小道~銀閣寺周辺を散策しました。地下鉄の駅に向かって歩いていると、おしゃれなケーキ屋さんが。イートインもできるようで、家族4人で入りました。家族みんなケーキセット。お勘定を見て「ウッ!」と思いましたが、「ここは僕が払うよ」と妻に伝えると、妻は「わーっ!お父さん、太っ腹~!」と大喜び。つられて子供たちも訳が分からないまま大喜び。そして次男君が「わ~っ!お父さん、太っちょ~!」と(実際私は「太っちょ」)。
妻と私、二人とも周りの迷惑顧みず、涙を流して笑い転げました。
懐かしい思い出を、思い出させてくださいました。ありがとうございます。
作者からの返信
コメント、ありがとうございました。
子供の勘違いや、思い込みは、悪気がなくて、面白いですよね。
“”懐かしい思い出を、思い出させてくださいました。ありがとうございます”との事、こちらこそ、嬉しいお言葉をありがとうございます。
思い出があるから、頑張れたり、愛おしく思えたりしますよね(^_^) 私も、自分で読み返しながら、隣でダラダラ・ゴロゴロしている息子(受験生なのに)を、愛おしく思っております。
第13話 3才 No1への応援コメント
子供たちが生まれたとき、「抱っこ」と言われたら必ず「抱っこ」してあげる、と妻は誓いを立てたそうです。妻は立派なことに、その誓いを忘れず、「相当怒っている」時以外は、妻が不機嫌でも、子供が「抱っこ」と言えば「抱っこ」をしていました。
子供たちもずいぶん大きくなり、次男はめったに妻に甘えることはなくなりました。が、長男は今でも妻に甘えています。
長男は、「色々なものを口に入れる」というのが本当に長く続きました。口にいれなくなったのは、小学校高学年くらいからでしょうか?
「そんなに、口寂しかったら、西松屋でおしゃぶり買ってくるよ」と注意したくなるほどで、小学1年生の時は、それで消しゴムを飲み込む始末でした。
子供、それぞれ個性があって面白いです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
奥様の「誓い」、ステキですね。男の子2人の「抱っこ」攻撃は、かなり腰にきたのではないでしょうか(^_^;)
私も、文句や条件を言いつつ、一応頑張ったつもりです。
兄弟でも、個性はそれぞれですね。
私も、息子が、持って生まれたモノを、大事に育てたいと思います。
第11話 2才 No6への応援コメント
夫さんの「帰る」の言葉、モヤモヤしますね。本当は帰る場所は「ここ」のはずなのに。でも夫さんにとっての実家は長い間「帰る場所」だったので何も考えずに行ってしまったんだろうなぁ、と思います。私もそうですが、男性の多くはそういうところに「疎い」です。私が学生時代の6年間、生まれ育った街を離れて、他県で生活していましたが、地元には「帰る」、大学のある街にも「帰る」と言っていたように記憶しています。
夫さん、結婚前などで一人暮らしの経験はなかったのでしょうか?お金のない一人暮らしをすると、男性でも生活力がつきます。私の性格上、「整理整頓」は苦手ですが、後は一通り家事はできます。この10日ほどで、私以外の家族がことごとくA型インフルエンザに倒れたので、特に妻の調子が悪かった期間は、頑張りました。炊事・洗濯・アイロン、洗い物、消費量の多い麦茶の用意などなど。働いている女性の多くは、仕事をしながらこういったことをこなしている、と考えると尊敬します。
自転車も懐かしいですね。前に次男、後ろに長男を乗せて妻も走り回っていましたし、私も走りました。うちのチビちゃんは二人とも、自転車のヘルメットやチャイルドシートを嫌がることがなかったので助かりました。嫌がるお子さんをお持ちだと、本当に大変だと思います。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。
ホントに、モヤモヤしました(>_<) 今はもう、夫の実家は、なくなってしまったので、ココ(一緒に住んでいる所)が、帰る場所になっていると思うのですが…。
川線・山線さんの家事力、素晴らしいですね。やはり、今の時代は、男女問わず、子供の頃から家事に参加させた方が良いですよね? 今は、男性も育児や家事に参加する時代ですから、ジュウちゃんにも、「今の時代は、家事ができないと、結婚してもらえないよ」と、常々言っております。
夫には、これからの老後生活の為にも、いろいろと出来る様に、努力してもらいたいです。
自転車のヘルメットは、その後ジュウちゃんも、小学校中学年くらいまでは、素直に被っていましたが、高学年頃になると、嫌がって被りませんでした。やはり、ヘルメット着用を義務付けして欲しいなあと思います。
第10話 2才 No5への応援コメント
「もう少し何かしてあげたら? 一日1回決まった時間に電話するとかさあ。いつもいつも受身でいていいの?父親と息子の関係は、私には立ち入りできない部分もあるんだから。今しか出来ない事、たくさんあると思うよ。」の一節、大変私にも応えました。子供たちが小さいころ、よく妻から言われていたからです。
「子供たちと過ごせる時間、短いよ。今のうちから子供たちと関わって、信頼関係を作っておかないと、思春期になって「父親でござい」と出てきても、「何じゃ、このおっさん!」と思われるのがオチでしょ。自主的に子供たちと関わってよ」とたびたび言われたことを思い出しました。
妻がそう言って指導してくれたおかげで、今のところ思春期真っ最中の息子たちとも関係良好です(子供たちの精神年齢が高い、という事もあるのだろうと思っていますが)。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。
そうですか~、川線・山線さんも、言われちゃったんですね。
「家だけじゃなかった」と、思ってしまいました(^_^;)
奥様のお言葉、お宝ですね。
第9話 2才 No4への応援コメント
子供の寝相、面白いですよね。昨日のYahooニュースで、「寝相が悪いのは脳がちゃんと休めているサイン」という記事があって、なるほど、と思いましたが、あの、二人の子供の寝相の悪さ(今は大丈夫)は、ちゃんと意味があったのだと思い出しました。
長男君が小学校高学年になるまでは、家族4人、和室で布団で川の字+1で寝ていました。天井から和室をのぞき込み、掃き出し窓を左手に置くと、左から、私・こども・妻・こどもの順で寝ていました。子供たちにとって父と母の間で寝ることはうれしかったらしく、長男と次男、毎日交代していました。
朝起きると、たしか寝入った時は妻の向こうにいたはずの子供が、私と窓の間にいたり、私の枕元で畳の上で爆睡していたり、妻との間にいた子供が、和室の出入り口あたりで、頭と足が逆向きになって寝ていたり、と、起床時は「カオス」になっていたことを覚えています。
ご主人が別居状態になってしまったこと、寂しかったでしょうし、子育てもワンオペになって大変だったことと思います。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます♥
長男君と次男君の寝相も、凄かったのですね。そうかあ~、脳がちゃんと休めているサインだったのか~。脳って凄いですね(^_^;)
ワンオペは、ジュウちゃんが小学校1年生の時に、終わりました。ジュウちゃんと2人だけだと、洗濯物とか、食事の仕度など、少量ですむし、「早く帰ってご飯の仕度をしないと」と言う事がなく、気楽な部分もたくさんありました。ジュウちゃんは、淋しかったと思いますが(>_<)
第6話 2才 No1への応援コメント
お父さんに毎日会えなくて、ジュウちゃん、寂しく感じていたのかもですね。
長男が3か月、4か月の2か月間、単身赴任をしたことがあります。久々に帰ってきたら、長男君「知らんおっさんが来た~!」と言って泣くこと泣くこと。
1週間ほどで慣れてくれましたが、新生児期、あれだけ頑張ってお風呂に入れていたのに、お風呂に一緒に入ろうとするとギャン泣きでした。
泣かずに一緒に入れるようになったのは、1歳8カ月頃からでしょうか。
妻からは今でもその時のことを「あなたは、ギャン泣きするから」と入浴の仕事を私に押し付けたけど、私はギャン泣きしようが何であろうが、きちんとお風呂に入れていたんだからね」と言ってきます。そういうことは、「お風呂に入れてほしい」とお願いした時に言ってくれれば頑張ったのになぁ、と思わなくもないです。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。
長男さんのギャン泣きは、心にグサリときますよね(^^;)
丁度、人見知りの時期だったのかなあ。
お風呂で泣かれると、エコーがかかって、数倍大声に聞こえますよね(笑)
第5話 1才 No5への応援コメント
子供に初めてのものを食べさせる時、気を使いますよね。初めての味がおいしくなかったばかりに、その食べ物を嫌いになったらどうしよう、と心配しながら、主に妻が選んで食べさせていました。確かに「嫌な印象」を持ってしまうとその後は食べたがりませんね。で、今頃になって、もう一度食べさせてみると「おいしい。食べられる」とのこと。それで食卓に復活した食材が複数あります。
その一方で、それまで平気で食べていたものが、急にダメになることもありました。長男君のマヨネーズがそうです。2歳くらいまでは平気で食べていたのに、急に「大嫌い」になりました。今でも「マヨネーズ」や「マヨネーズ」を連想させる「白い」系のドレッシングは嫌がります。私はマヨラーなので、休日は「マヨネーズトースト」を食べるのですが、その匂いを敏感に感じ取り、「マヨネーズ!」と文句を言っています(笑)。
夜中の病院通いも困りますね。長男君が年中さんのころ、深夜23時くらいに「お腹が痛い~!」と激しく泣き出したことがありました。数日便が出ていなかったので、便秘だろうと思っていましたが、手持ちの浣腸がなく、「しょうがない。夜間診療所に行こう」と思いタクシーを呼びました(そのころは車を持っていなかった)。タクシーを待っている間に、長男君は「ウンチ!」と言ってトイレに籠り、たくさん便が出たそうです。「まだお腹が痛い」と言う事と、せっかくタクシーを呼んだので、長男君とタクシーに乗り、夜間診療所に向かいましたが、道半ばで「お腹、痛くなくなった」と、のたまいました。タクシーの運転手さんは不機嫌そうに「このまま帰りますか?」と聞いてきました。小心者の私は、「いえ、少し大回りして帰ってもらえますか」とお願いし、深夜のドライブ、となったことを覚えています。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
食べ物の好き嫌いは、年齢や状況で変化する事もあるんですね。私も、偏食気味で、食べれない物がたくさんありましたが、授乳中はそんな贅沢を言っていられなくて、「食べれる時に食べないと」と、今まで食べれなかった物も食べていました。息子も、今は、給食や友達との外食のおかげで、食域が少しは広がりました。
幼児の「お腹痛い」は、本人がまだ具体的な言い方が出来ないので、判断に迷いますね。私も、あの頃は、経験不足でした。
長男くんとの「深夜のドライブ」、長男君は楽しかった事と思います。そういう時の無邪気な様子が目に浮かぶようです。
第4話 1才 No4への応援コメント
ジュウちゃん、うちの長男君と同い年です(笑)。
みずえさんの文章を拝読していると、長男君、次男君の小さい頃の思い出がよみがえってきます。
次男君がお腹の中にやってくる前、私、妻と長男君で初めての府営公園デビューの時。長男君はキュウリも食べる、そのころはマヨネーズも大丈夫(今はマヨネーズ大嫌いですが)、パンも大好き、卵も大好き、ハムも大好き、ということで、妻がサンドウィッチを作ってくれました。
「さあ、お昼ごはん」ということでサンドウィッチを出すと、わざわざ分解して、パン、卵、キュウリ、ハム、そして下のパンとそれぞれの層に分けて食べ始めました。妻と二人で「一緒に食べたらおいしいよ」と言っても、バラして食べ続け、妻が「サンドウィッチの意味ないやん」と嘆いていたことを覚えています。
長男君はガーゼではなく、口に入る大きさのものを加えるのが大好きでした。多分小学校6年生くらいまではそうしていたと思います。レゴブロック、小さなおもちゃのパーツ、大きくなってきたら、ビー玉、碁石、とか消しゴムなど、多分彼は無意識のうちに口に入れていたのだと思います。
「窒息するから出しなさい」と注意をすると吐き出しますが、またしばらくすると口にくわえていました。小学1年生の時は使い古した消しゴムを飲み込みました。窒息しなくてよかったです。小学校くらいになると、さすがにやめてほしいと思い、「あんた、なんでも口に入れるのやめときなさい。それで口が寂しいと思うんやったら、西松屋でおしゃぶり買ってくるから」と何度も言ったことを覚えています。
「そんなんいらんわ!」と言いながら、また何か口に放り込んでいたことを覚えています。さすがに中学生になったら、その癖はやみましたが、その代わりに「つまみ食い」を無意識にしています。困ったものです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
長男さん、ジュウちゃんと同級生なんですね。この年代は、大事な時に、コロナで長期間の休校や、たくさんの学校行事が中止になりましたね(>_<)
消しゴムゴックンは、ちょっとびっくりしました。つまみ食いに代わって良かったです。ジュウちゃんも、小食ですが、つまみ食いは大好きです。何故か、つまみ食いの方が美味しい様です。
編集済
第3話 1才 No3への応援コメント
子供の成長、見ていると楽しいことが多いように思います。もちろん、イライラしたり、ストレスがたまったりと大変なことも多いと思います。それでも、子供たちが大きくなって、そのころの写真を見返すと、「あの頃はあんなだったね~、かわいかったね~」と妻と二人で話をしています。
子供は身体のサイズのわりに内臓が大きいので、どうしても「お腹ポッコリ」になります。ユニセフのCMに出てくるような、「手足はガリガリで、おなかだけが異様に大きい」というのは、栄養失調のサインですが、普通に子どもを育てていれば、栄養失調にはならないです。母子手帳についている成長曲線を見て、身長と体重が適切であれば、「お腹ポッコリ」は次第になくなります。
夫さんは関西の方ですか?まぁ、パートナーに「アホ」だの「バカ」だのというのはとても失礼とは思いますが(そんな言葉、恐ろしくて奥さんに言ったことは一度もありません(奥さんからは言われますが))、関西弁での「アホ」は、関東の方での「バカ」と同じくらいの軽さだと思っていただければと思います。関西弁の「何やってんねん、アホやなぁ」というときの「アホ」という言葉は、関東での「何やってんのよ、バカねぇ」というときの「バカ」と同じように、言葉の背後に"I Love You."が隠れています。
その後、お子さんのおもちゃをぶつけられて、夫さんのおでこが赤くなったとのこと。そういう時に関西弁で、「大切な妻にひどい口をきいた罰が当たったんや!アホ!」と言い返しましょう。夫さんが関西人で穏やかな人なら、「苦笑い」です。
我が家は大皿料理(大きいお皿に盛りつけて、各人、小皿に取り分けて食べるスタイル)なので、子供たちの小皿やコップは、基本的にプラスチックにしていました。お茶用のコップもプラスチック製です。コーンフレークを食べたり、カレーを食べたり、シチューを入れたりする食器は、長男は、私の友人がくれた誕生祝の黄色いプラスチック製食器、次男君のは、ケーキ屋さんでタルトを一皿買ったときに、タルトが入っていた厚めの陶器を使っていました。二人とも、小学校卒業まではそれを使っていました。数日前、長男君(もうすぐ成人)が、あの頃の黄色いお皿でコーンフレークを食べていました。そういうのを見ると「愛い奴じゃ」と思います。
拝読させてもらい、子供たちの小さなころを思い出して、笑顔になります。ありがとうございます。
作者からの返信
川線・山線様、コメントありがとうございました。
(前回のコメントの返信時、お名前を間違えてしまいました。すみませんでした(>_<) )
夫は、関東の人です(^^;)
あの頃の夫は、仕事が夜勤続きで大変だったのと、独り暮らしをしていたお義父さんのサポートで、いっぱいいっぱいの日々だったと思います。
この日記は、ジュウちゃん(仮名)が小さい頃に書き留めていた物をまとめた物で、ジュウちゃんは、今は高校3年生になりました。相変わらず、痩せ気味で、小食で、健康診断の結果はBMIが14前後です。私のを、少し分けてあげたいです(^_^;)
長男君が、まだ黄色いお皿を使っているとの事、可愛いですね。男の子って、独特の愛おしさがありますよね。
編集済
第2話 1才 No2への応援コメント
子供の乳幼児のころ、振り返るとかわいい思い出になりますが、真っ最中は毎日必死ですよね。私も夜10時ころ帰宅すると、妻に抱っこされて、眠れず不機嫌な長男君がいたことが何度もありました。妻と交代して抱っこしていたことを覚えています。
長男君は、babyちゃんのころは寝つきの悪い子供で、寝かせるのに妻は苦労していました。私は当直もある仕事についていたのですが、当直明けも通常勤務をして、22時ころ、そーっと玄関を開けて家に入ったのですが、何かにつまづいて物音を立ててしまいました。残念なことに、ウトウトしていた長男君は物音で目が覚めぐずり始め、妻は「不注意やねん!!」と私にブチ切れでした。36時間働いて、フラフラなのに怒られて、しょんぼりでした。
そんな長男君も3歳を過ぎると生活のリズムが身につき、早寝早起き君になりました。高校の修学旅行でも、22時を過ぎると一人で寝てしまっていたそうです。「修学旅行は、夜中が醍醐味やん」と思いましたが、長男君らしいです。
次男君は、babyちゃんの時はよく寝る子でした。今では、寝付きにくく起きにくい、という厄介な睡眠パターンです。遅刻せずに学校に行くだけで立派です。
「鉄道ファン」、通ですな(笑)。
「ご飯ぽーい」は長男君も次男君もしていたそうです。妻は「ガックリ」とひどく落ち込むこともあれば、その思い切りのよい投げっぷりに吹っ切れることもあったそうです。子供の食事あるあるです。
離乳食も二人それぞれ苦労した、と妻が言っていました。長男君は、育児書を見て分量を調整した離乳食をあげると、食べるのですが、食べ終わると泣いていたそうです。ある育児書に「好きなだけ食べさせて良い」と書いてあるのを妻が見て、通常量の2倍の量を用意したそうです。長男君はそれを間食してニコニコ。「なんや、あんた、食いしん坊やっただけなんか~い!」と妻はホッとしたそうです。8か月では柔らかく炊いたうどんを1食で一玉食べていました。かといって太っているわけではないのです。長男君はもう成長期を過ぎたようで、あの頃の食欲はどこへやら。男性としてはやや小食です。
次男君は離乳食を開始し、重湯から始めても泣き続けて全然食べなかったそうです。これまた妻は神経をすり減らしたようですが、ある日「パンがゆ」を食べさせると完食!「何や、あんた、おかいさん(関西では「お粥」をそう呼ぶことが多いです)が嫌いなだけやったんか~い!」と、今度はそれまでの苦労の日々を思い出してガックリしたそうです。
妻は私に「お手伝いはいらんねん。私は一緒に子育てしてくれる『パートナー』が欲しいねん!」と言ってくれました。自分では頑張っているつもりでも、できていないことにはどんどん指摘してくれました。そのようにして、子供のころから私と子供たちのかかわりを作ることで、二人の子育てと一人の父親育てをしてくれたと思っています。ありがたいことに二人とも思春期真っ最中ですが、私と子供たちとの関係は「良好」です。時に腹も立ちましたが、妻には感謝しています。
長文失礼しました。
作者からの返信
川線・山線様、コメントありがとうございました。
いろいろなタイプの子供がいるんだなあ、と安心しました。ご兄弟でも、違うんですね。持って生まれた物ってあるのですね。今、育児で悩んだり、不安を抱えている方がいたら、川線・海線さまのコメントを読んでもらいたいです。
編集済
第1話 1才 No1への応援コメント
息子たちの小さいころを思い出しながら読ませていただきました。
一つ一つ、「あぁ、そんなこともあったなぁ」と懐かしくなりました。
仕事に追われ、子供たちとの時間を取るのに苦労していたころですが、それでも、寝つきの悪い長男君を、寝付くまで抱っこしていたり、家族旅行の先で、初めてフラフラながら、部屋の端から端まで、自力で歩いたり、なんてことを思い出しました。
妻が子供たちを散歩させるときは、子供たちを自由に歩かせ、その歩みに付き添っていたそうですが、私が子供たちと散歩するときは、手をつないで、私がスタスタと歩いていくのに子供たちを付き合わせてしまっていたので、「あなたのは『お散歩』じゃなくて、『子供たちを引きずり回す』というのよ!」と妻に怒られたりしたこともありました。
今は子供たちの方が速く歩くようになって、家族で出かけるときは、妻と手をつないで歩きながら、「お~い、ちょっと待ってよ~!」と子供たちを待たせるようになりました。
子育て真っ最中は、毎日必死ですが、過ぎ去ってしまえば、「あっという間」に子供は大きくなりますね。
作者からの返信
川線・山線様、コメントありがとうございました。
父親目線と、母親目線の違いは、私も時々感じます。さまざまな家庭がありますが、子供を慈しむ気持ちは同じですね。
私も、自分で読み返しながら、懐かしく思っています。タイムマシンが欲しいです(^_^)
第19話 3才 No7への応援コメント
ジュウちゃん、大きくなって来たねぇ、と読ませてもらっていたら、最後の最後で衝撃でした。心肺停止となられて、そこから社会復帰をされたのですね。本当に良かったと思います。
私は今50代で、これからどんどん同世代の人が病に倒れていく年齢となりましたが、ここまで生きてくる間にも、友人たちの幾人かはこの世から離れていってしまいました。突然の事故、突然の致死的な疾患などなど、「若い」「年を取っている」ということにかかわらず、人は「死ぬときには死ぬんだなぁ」と思っています。こう書いている私自身が、明日も生きている可能性は100%ではないのだ、まだ大きな可能性ではないものの、常に「死の確率」はゼロではない、と思っています。
ジュウちゃん=ハルくん、お元気になられたこと、本当に良かったと思います。
作者からの返信
川線・山線様、毎回コメントを書いて下さいまして、ありがとうございました。
コメントを頂きながら、こんなに子供の成長ぶりを見届けているパパさんもいるんだなあ~ステキだなあ~と思っておりました。
命に関わるお仕事をされているとの事で、日々、様々な事を体験されて、感じていらっしゃる事と思います。これからも、『「何でも内科」に所属する私の、「何でもない」ことのない日常』、拝読させて頂きます。
「明日も生きている可能性は100%ではない」、その通りだと思います。それでも、大抵の人は「じゃあ、もう働かないで遊んで暮らそう」とはしないで、先の事を考えて働いたり、学んだりします。親の立場になると、子供の未来の為に、躾をしたり、勉強させたり、食べさせたりします。明日の事はわからないけど、取り敢えず「たぶん明日も生きているだろう」と思って、日々を送る。生きるって、そういう事なのかな…と、時々、思ってしまいます。
ジュウちゃんの事を慈しく思って下さり、ありがとうございました♥