第6話 近江商人
「じゃあ桜川。俺は先に旧城に戻る。医療所は迷わずに行けるな」
「はい」
「紹介状を渡すの忘れるなよ」
「はい」
「あと、帰る頃には夕暮れ時だろうから、風見燈の火を焚いておいてくれ」
「うぃ」
「終わったら早く帰ってこい。『お前の手も』借りたいほど忙しいんだから」
「・・・・・・わかりました」
朝海は桜川に細かく指示を出すと、すぐにその場を立ち去った。桜川は独り言を呟く。
「最後、『猫の手も』借りたい、だよな。朝海さん、うっかりしてたのかな。まあいいか」
朝海の皮肉にも気がつくことなく、桜川は与えられた仕事をこなしに歩み始めた。大通りから少し外れた路地を行くと、そこに医療所があった。普段は病人も怪我人も少ないため、医者も儲かっていないのだろう。土地だけは広いが、柱の木は蟻に食われてぼろぼろで、門にはびっしりと苔が生えていた。門を通り抜けると、雑草だらけだったが、これは敢えてこうしてある、と、ここの医者と話したことがある。
腰が曲がったおっとりとした老人が一人でやっているのだが・・・・・・『これは薬草になるのじゃ。勝手に抜くなよ』と頼りない声で言っていた。だが、その時から草が減ることはなかったので、体力的に草抜きがしんどいのではないかと思う。
(今度、草抜きをしに来てあげた方がよさそうだな)
靱負の仕事その二。
住民との交流。大和國の情報や民の暮らしを把握するために、大切な仕事である。特に、医療所や寺子屋、市場など、人が集まるところには、良く顔を出している。だからここの医者とも、軽く交流があった。
桜川は戸を叩いた。
「ごめんくださーい」
しばらくして、中から声が聞こえた。
「はいはーい」
しかし、その声にふと違和を感じた。いつもとは違い、低くて、しっかりとした声だったからだ。首を傾げていると、がらりと扉が開いた。中から出てきた声の主は、桜川よりも背が高く、さらに頭に真竹でできた大きな笠を被っていたため、威圧感が出ていた。おかしい。いつもは桜川の腰ほどしか身長がないため、よく視界から見失うほどなのに、この目の前の圧倒的存在感たるや。桜川はその男に声をかけた。
「あれ、先生・・・・・・。背、すごく伸びましたね。僕より高い」
「別の人物だとは思わないのかい」
相手の男も予想外の問いに、ついついツッコミを入れてしまった。ただ、口調はおっとりとしていて優しかったが。
「・・・・・・確かに。それでは、改めて、先生ですか」
「その可能性は消えてないんだ。残念だけど全くの別人物だよ。ここの先生は今、近所のおばあさんの家に出張してるんだ。だからたまたま近くを通りかかった僕が怪我人を診ていた、というわけ。彼女、怪我をしているみたいだったから。さ、中に入って。様子を見に来たんだろ」
そう言って、桜川を中に通し、女の元へと案内をした。長い廊下で、男は桜川に聞いた。
「君は彼女の知人?」
「いえ。一応仕事で」
「仕事?衛府かい?制服は着ていないようだけれど」
「靱負という組織の者です。衛府とは少し違いますが、朝廷の人間です。大和國の守護という名目で活動しています。実際には旧城の掃除ですが」
「掃除ねぇ。ずっと?」
「僕は三ヶ月ほど前からこの仕事に就きましたが・・・・・・まあ基本ずっとですかね」
「大和國はずっと何もなかったからねぇ。でも、今日は大忙しだ」
「まあ、はい。そういう貴方は?お医者様ですか」
「いや、僕は商人さ。近江國を拠点として全国に薬や物を売ってるんだ。近江商人と呼ばれているかな。だから、医者ではないけれど、一応薬物には詳しいから、安心して欲しいな」
そう言って歩いていると、先程撃たれたという女性が椅子に座っているのが見えた。
「彼女の治療は終わっているから僕は行くね」
男は大きな薬箱に、包帯や薬を直し始めた。桜川はそこで男を止めた。
「あ、すみません」
「ん?どうかした?」
「僕にも薬を売って貰えませんか?捻挫とか打撲に効く薬」
「いいけれど。君も怪我をしたのかい?」
「いえ。怪我をした人を見たので、その人に渡そうかと」
「おっけい、まいどあり。でもお代はいいよ」
「え?」
「その代わりに教えてほしいことがあって」
「僕にわかりますかね」
「わからなくてもいいよ。
大和國に腕のたつ呪術師はいないかい?」
この日ノ本には、少数派ではあるが、呪術という、世の理を歪める力を持つ人間がいる。衛府の中にも呪術師は珍しいが存在し、戦いに有利な力を持つ呪術師は重宝されている。
「呪術師、ですか」
桜川もその存在のことは知っている。しかし、首を傾げてしばらく悩んだ。
「まあ、ゼロではないのかもしれませんが……。聞いたことはないですね。戦闘向きの呪術師なら老若男女関係なしに
「いやぁ、僕ら色々旅に出て商売するだろ?朝廷の管理が行き届いていないところも多くあってさ。危ない旅になることも多くて。用心棒をと思ったんだけど」
「衛府から引き抜いたほうが早いと思いますよ」
「はは、そうか。この國は異常に平和だったからさ。誰か凄腕の呪術師が紛れてるんじゃないかなーっと期待していたんだけど。残念」
そう言うと薬箱から、小さな壺に入った塗り薬を桜川に渡す。
「あまり力になれずにすいません」
「いやいや。十分。無駄な労力を使わずに済んだからね。怪我をした人には『お大事に』と伝えておいて」
「……ありがとうございます。あの、ところでお名前をお伺いしても?」
「ああ・・・・・・。そうだったね。
「桜川螢、です」
「螢君、ね。虫の名前か。僕の知人とおんなじだ。きれいな名前だね」
男はそう言いながら薬を渡し終えると、薬箱を背負い桜川とすれ違う。その時肩に手を置き、桜川の耳元でささやいた。
「君も。気をつけなよ。今から嵐が来るからね」
近江商人はそう言い残してその場を去ってしまった。その背中を目で追うと自然に外から差し込む光を感じた。
(いい天気だけどなぁ)
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