風薫り、螢舞う

深藍

風薫り、螢舞う

第1話 風の古都

風が川辺の草むらを通り過ぎた。

無色透明だった風に万緑が色付き、そこに寝そべる青年の鼻をくすぶる。腕を組んで枕にしていたため、そろそろ腕がしびれてきた。優しい風が青年の頬を撫でて起こすので、うっすらと目が覚めてしまった。


青年の視界に、黒髪の誰かが映った。寝ぼけ眼にはどうにもそれははっきりと見えず、ぼやけて映る。黒髪の誰かは、寝そべる彼に向かって、優しく話しかけた。


「・・・・・・そろそろ、いかないと」


少し自信なさげなその言葉を受けて、青年は空に向かって呟いた。

「もうそんな時間か・・・・・・」

着物の袖で、うっすら開いた目をこする。こすってもその目はなかなか開いてくれそうにない。黒髪の人物は、呆れたように返した。

「起きないなら、もう先いくけど」

「起きる。起きるよ」


また、緑色の風が辺りに吹く。

リーン、リーン


どこか遠くで、風鈴の音が聞こえた。


リーン、リーン・・・・・・


――――――――――――



・・・・・・リーン



7月。

炎天下。沢山の風鈴の音が、、大和國に響いた。各々に異なる音を奏でる風鈴が、屋台や家屋の竹格子に吊されていた。その音と拮抗する蝉の叫び声。それに加えて、目眩がするほどの人混み。

中でも女性らは、自らが思う一番華やかな着物を身に纏っている。それらは夏の日差しにギラギラと照らされ、物言わぬ着物なのに大変やかましいと、青年には感じられた。


青年の名は桜川螢。その髪は異人を思わせるような金色で、日の光が当たると、光が透き通った。背も高く、そこらを歩く成人男性を頭1つ上回っているため、地味な着物を纏っていてもよく目立つ。


桜川は、人混みの中、フラフラと歩いていた。蝉と風鈴の音で耳と頭が引き裂かれそうになる。加えて額や背中からは尋常ではないほどの汗が噴き出した。脱水症状一歩手前。白い胴着は雨に打たれたように濡れ、頬には輪郭をなぞるように汗が流れる。そこに陽の光が映り込み、光る雫はそのまま地面に落ちた。地面の色がそこだけ変わったかと思えば、地の高温に水分は蒸発し、真夏の陽炎と化す。


桜川は立ち尽くして空の太陽を仰いだ。

「暑・・・・・・」

意識を空に飛ばした。真っ青な空に黒い鳥が一羽、飛んでいるのが見えた。一瞬、それが太陽を遮り、桜川の視界を影にした。


「あれ何だろう。おっきいなぁ」


ぼうっと空を眺めていたところ、少し先から彼を呼ぶ声がした。

「おい、桜川!そんなとこでぼさっとすんな」

強気な物言いにはっとして意識を地上に戻し、声の方を見た。黒髪の青年だった。肩ほどまで伸びた髪を後ろで束ねている。

桜川よりも5歳若く、歳は17。華奢で童顔なこともあり、青年、というよりは少年という言葉が合っているかもしれない。藍色に不規則な白の模様が入っている胴着、下は灰色の袴を身につけているのだが、今日は、周りの着物が賑やかすぎて、この変わった着物の柄も大分地味に見える。


「す、すみません。朝海さん」

少年は朝海薫。桜川との関係を端的に述べるとするのならば、上司と部下。態度からもわかるように、朝海(17)が上司、桜川(22)が部下だ。


朝海は小さくため息をついて言う。

「『すみません』て。別に注意してるわけじゃない。そこは日差しが強いだろ。早くこっちの陰まで来いと言ってるんだ。溶けるぞ」

叱られている訳ではないと分かり、桜川はほっとする。思えば朝海は言い方に少し毒気があるだけで、特に気性が荒い訳ではない。

「ああ、よかった。そういうことですか・・・・・・」

桜川は朝海の横に移動して、歩みを止めた。汗が吹き出したので袖で額を拭う。

「場所取りどうも。それにしても、人が多すぎませんか。いつもは全然なのに」



「そりゃあ。今日は皇尊すめらみことがこの大和國に巡幸する日だからな。伊勢國いせのくにからもこんなにを連れて来て。ご苦労なこった」

(巡幸って、確か、偉い人が地方に来ることだっけ。ここも、まあ地方と言えば地方なのか)


朝海と桜川は、人々の流れに目をやった。道行く人々の中、半分ほどの人間が、同じ着物を着ていた。左半分が紅、右半分が白の片身替わりの胴着。袴や羽織は各々好きな物を身につけてはいるが、その片身替わりの胴着は揃えてあり、またその生地も絹に統一されている。その為、確実に同じ組織の人間だということが一目で認識できる。

それらの人間達の腰には太刀が佩かれていた。


「確かに。がいっぱいいますね」

朝海と桜川に限らず、人々はその紅白の胴着の人間らのことを衛府と呼んだ。



現在、この日ノ本の大半を統治するは『大和朝廷』である。その大和朝廷の中心は4年前まで大和國であったが、今は朝廷の中心地が伊勢國に移動し、ここ、大和國はと呼ばれるようになった。


そして大和朝廷の盾であり鉾である存在、それが衛府だ。彼らの働きのおかげで、朝廷はここまで巨大かつ最強の勢力となった。ついでに言うと、兵部省という組織の中にも兵士は大勢いるが、その中でも優れた技量を持つ者が、別組織の衛府に選抜され、紅白の制服を纏うことができる。正直、教養も必要なことから、由緒正しい家の人間が多い。また、帝の護衛をする上位の衛府であれば、なにかと心強い。そのため衛府を夫にしたい女性は沢山いる。本日女性らが華やかな着物を着ていたのはそういうことだ。



衛府の内、誰かが叫んだ。

「道を空けろ!」

ドラのように大きく、街に響く声だった。


その言葉を合図に、徐々に人の流れは止まり、人々は道の両端に避け、中心を広く空けた。


衛府らは人々がこれ以上道の中心へと飛び出ることがないように、自らの体を柵として皆を道の脇に押し込んだ。


「ようやく、始まりますね」

「ああ、そうだな」




-2025/7/6公開-

※大和國=現奈良県

※伊勢國=現三重県

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