お酒の後にはアイスコーヒーを

 マッチを擦るジュッと掠れたような音。温かな、けれどもちょっと安っぽいオレンジの炎をアルコールランプに近づけた。オイルの甘い匂いと一緒に火が灯る。そのままフラスコの水を温め始める。サイフォン式コーヒー。大人だけに許された、ちょっと贅沢な時間の使い方。

 沸騰するまでゆっくりとフラスコの中を眺め続ける。心地よく火照った身体。ちょっとだけ酔っているせいか、そんな些細なことすら楽しい。

 こぽこぽお湯が沸騰してきた。ロートを入れる合図。フラスコの中に入れるとお湯が上っていく。まるで小さな頃に遊んだおもちゃのよう。楽しくって、ほんの少しわくわくする光景。

 私には一つ奇妙な習慣があった。それはお酒を飲んだ最後の締めに、アイスコーヒーを飲むというもの。友人からは「ちょっと変わってるね」なんて苦笑いされた。私自身そう思う。人それぞれ色んな締めがあるけれども、アイスコーヒーは聞いたことない。

「そういえばどうしてかしらね」

 ロートの中のコーヒー豆を撹拌しながら独り言ちる。ちょっと頭を動かしてみるけれども、ぽやぽやしちゃって思い出せそうにない。

ロートの中がぎゅっと黒く色づき、コーヒーらしくなってきた。すっとアルコールランプの火を消して、最後にもう一度撹拌かくはんする。あとはフラスコの中に出来立てのコーヒーが落ちてくるのを待つだけ。

 このままゆっくりそれを眺めているのもいいけれども、私が飲みたいのはアイスコーヒー。冷凍庫から氷を取り出し目一杯タンブラーに入れる。これで準備万端。ちらりとフラスコへと視線を向けると、コーヒーの方も準備オッケー。

 フラスコの中のコーヒーをタンブラーへ。カラカラと氷が音を立てる。まるできゅっとコーヒーが引き締まるかのよう。

 ゆったりと、けれども待ち望んだ一杯。いざ飲もうと口元へと運び、スッと香るほろ苦さ。

「あ」

 不意に彼のことを思いだした。


『この爽やかな苦味と酸味。これが火照った身体を冷ますのに丁度いいのさ』


 そっか。彼がそうしてたんだっけ。口元に持って行ったタンブラーを下ろして、苦笑いと共に首を振る。それは思い出かつての恋。ゆっくりとタンブラーに口をつけた。こくりこくりとアイスコーヒーが喉を通る。すぅーっと走る苦味と酸味。ツンと火照った身体に突き刺さり、思わず私は息を漏らした。


 かつての貴方は、もういない。





 後書き


以前櫻井るなさんという方と雑談した際に思い浮かんだもの。櫻井さまからの掲載等の許可はいただいでおります。

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