1.6
第26話 予備と言えど大切なローブ
「少し遅くなってしまいました」
いつもなら同級生や先輩の誘いをやんわりと断り直ぐに帰路につく紅華だったが、担任に仕事を頼まれ、椿と共に学校に残って作業していた。
「けど、時彦さんの役に立てましたし、結果オーライですかね」
紅華は手に持った買い物袋を見やった。帰宅途中に時彦に買い物を頼まれたのだ。
雨が傘を打ち鳴らす小気味よい音に合わせて、紅華は鼻歌を歌う。
紅華は雨は嫌いではない。
雨の静かな音や雰囲気、人の外出が少なる事や傘と雨粒によって人からあまり見られない事。あと、堂々と家に引きこもれる事。
それらの理由から、むしろ雨は好きな方である。
(けど、一番の理由はあの日が雨だったからでしょう……)
上機嫌の紅華は傘を畳み、玄関引き戸を開く。
「おかえり、紅華」
直ぐにリビングの扉から時彦が出てきて、紅華を出迎えた。紅華は頬を小さく緩めた。
「時彦さん、ただいま」
「ん。濡れなかったか?」
「大丈夫でしたよ」
「なら、よかった」
時彦は紅華が持っていた買い物袋を受け取る。
「買い物ありがとう。突然言って悪かったな。雨が降ると安くなるから」
「時彦さんが帰宅した時はまだ降っていませんでしたからね。これくらい、気軽に頼んでください」
紅華は濡れた傘を傘立てに立てローファーを脱ぎ、洗面所で手を洗ってリビングの扉を開く。
そしてダイニングテーブルに置かれていたローブや裁縫道具、ミシンなどが目に入った。
「時彦さん、あれ……」
「ああ、殆ど作り終えてたんだ」
「ッ」
紅華は驚く。
「生地を買ってから、二日ですよ!? 無理してませんかっ!?」
「心配してくれてありがと。けど、無理はしてないから。というか、時間がかかりすぎてるくらいだ。それより、最終調整をしたいから、着てくれないか?」
「ちょっと待ってください。今すぐ着替えてきます!」
紅華は慌てて自室に戻り、慌てて薄手のTシャツとズボンに着替えて、再びリビングに出てくる。
時彦がローブを手に持って待っていた。
「紅華、どうぞ」
「……はい」
紅華は少し緊張した様子でローブを受け取った。時彦は説明する。
「昨日、紅華と話し合って作ったデザイン通り、羽織るというよりは着る感じのローブだ。ちょっと複雑なんだが、着方は分かるか?」
「はい、なんとなく」
スヴァリアたちがソファーから顔を出して見守る中、いつの間にか用意されていた姿見で自分の姿を確認しつつ、紅華はローブを着た。
そのローブは薄墨がかった淡くくすんだ薄桃色、つまり桜鼠色を基調とし、薄緑色の刺繍がお淑やかに裾に施されていた。
形状は少し複雑で、前方部分だけが二重構造となっており、内側はフロントボタンと紐を使った前開きタイプとなっている。外側は襟元の内掛けボタンで止めるタイプで、内側のフロントボタンや紐を隠すような構造になっていた。
フードや裾口は紐で調節可能で、小さな可愛いらしいリボンが取り付けられている。
時彦は緊張した面持ちで紅華を見やる。
「どうだ? なるべく動きやすいように作ってみたんだが……」
「凄くいいです!」
紅華は無邪気な子供のようにくるりと一回転する。桜鼠色のローブが共に舞う紅華の鮮やかな桜色の髪を際立たせる。
口元を綻ばせた紅華は、その嬉しさのあまりか、一瞬だけ時彦に抱きついた。
「ありがとうございます! 本当に嬉しいです!」
「ちょっ」
慌てる時彦に微笑んだ紅華は、大切な宝物を扱のようにローブを抱きしめる。
「嬉しい。姉さんと父さんが近くにいるみたい。ふふ」
紅華のその姿に慌てていた時彦は少しだけ目を奪われ、小さく尋ねた。
「……髪の色と目の色、だったか?」
「はい。姉さんが桜鼠色の髪で、父さんが薄緑色の目をしてるんです。どちらも私の好きな色です」
「そうか」
時彦は穏やかに微笑む。
「ところで、動いてみて少しきつかったり、逆にブカブカだったりしないか? ちょっとした違和感でもいいんだが」
「そうですね……」
紅華はローブの裾を上げる。
「裾が少しだけ長い気がします。それに――」
「なるほど。じゃあ、一つづつ――」
紅華はいくつか思うところを伝え、時彦がその部分を直そうと裁縫道具箱を開けようとしたとき。
ピンポーン。
インターフォンが鳴った。
Φ
来訪者はシロギクと正人であった。お茶を出した時彦も席に着き、紅華は二人の来訪理由を尋ねる。
「それで、今日は何の御用でしょうか?」
「む? あのちゃらんぽらんから聞いておらんのか?」
「師匠は今朝、慌てるように出張に行ってしまい……」
「むぅ、あのアホめ……」
シロギクは呆れたように溜息を吐き、頭を下げる。
「では、突然来て申し訳なかった」
「い、いえ。連絡もしなかった師匠が悪いのですし、頭を上げてください」
「だが、取り込み中だったのだろう?」
シロギクはローテーブルの方に置かれてた裁縫道具や桜鼠色のローブなどを見やった。
「いえ、大丈夫です」
「……そうか。では、手短に終わらせよう」
「お二人とも、どうぞ」
シロギクは正人をチラリと見やれば、正人は黒の自立するバッグから二つの小箱を取り出した。
それぞれを蓋を開け、紅華と時彦の前に差し出した。時彦は首を傾げた。
「
「魔晶石ですよっ!」
小箱の中には玉虫色に輝く小石が入っていた。時彦は三つ、紅華は十二個だった。
「魔晶石?」
「
「そうなのか……」
時彦はマジマジと魔晶石を見つめる。シロギクがコホンと咳払いした。時彦が慌てて魔晶石から視線を外した。
「エンガニャールの捕獲は難易度が高かったがゆえ、魔晶石はそれなりの数が出ておる。時彦は協力者であったため、少なくなっておるが。申し訳ない」
「い、いえ。気にしないでください」
「そうか」
シロギクの頷きに合わせて、正人がカタログを二つ、紅華たちに渡す。シロギクが説明する。
「それは魔晶石と交換できる物が載っているかたろぐだ」
軽く頭を下げてから、紅華と時彦はパラパラとカタログをめくる。
カタログには色々な種類の魔法具や異世界の素材、果てには日用品までもが載っていた。
「あ、A5ランク黒毛和牛もある」
「……現金もありますね」
そのカタログに載っている多種多様な項目に時彦たちは少し驚いていた。
「そのかたろぐは魔女たちの中でも交換頻度が高い物が載っておる。他にも様々なカタログがあり、一番後ろのページに記載されておる」
「……なるほど。シリーズ系で纏められているんですね」
「うむ、魔女協会に言えばくれるだろう。それ以外だと、いんたーねっととやらでカタログを見れるようではあるが」
「なるほど」
それでだ、とシロギクは続ける。
「本来なら仕事の報酬である魔晶石はそれ専用の口座に送金され、カタログの品を選ぶとそこから引き落とされる仕組みとなっておる。しかし、あのちゃらんぽらんが口座を作っていないため、
「……師匠」
紅華が頭を抑える。シロギクが憐憫な目を紅華に向けた。
「兎も角、今のお主らは魔女協会に直接出向いて、カタログの品と魔晶石を交換するしかできない。が、儂らはこれから魔女協会に行く予定でな。そのついでだ。何か交換して欲しい物はあるかの?」
「……僕はないです」
「そうか。
「私はそうですね……」
紅華はパラパラとカタログをめくる。
「あの、現金との交換の場合はどうなるのですか?」
「お主の銀行の口座に直接送金されるな」
「なるほど……なら、魔晶石を三つほど換金していただきたいのですが」
「うむ、分かった。……正人」
「はい」
正人は二枚の書類とボールペンを紅華に差し出す。
「一枚目はカタログ用の書類でございます。二枚目は、私どもと春風さんの誓約書でございます。魔晶石は貴重ですので」
「……分かりました」
紅華は二枚の書類を読み込み、情報の取り扱いなども理解して頷く。ボールペンで、丁寧に書いていく。
「ここは
「はい」
紅華は親指の先に朱肉をつけて、両方の書類に印として押す。そして三つの魔晶石と一緒に正人にそれらを渡す。
「……確かに。不備もありませんね」
「よろしくお願いします」
「はい。責任をもって協会に届けさせていただきます」
正人は丁寧に書類をファイルに入れ、魔晶石を鍵のついた小箱に入れた。二人は席を立とうとする。
「では、儂らは失礼させて――」
「あの、少し待ってください」
時彦がシロギクたちを呼び止めた。
「む、どうかしたのか?
「いえ、そうではなく……」
時彦は逡巡した後、恐る恐る尋ねた。
「エンガニャールは、あの子はどうなりましたか?」
紅華が「あっ」と声を漏らしたのだった。
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