第14話 地味な魔術

「試す魔術はこれです」


 紅華は魔術調合大全のあるページを開き、時彦に見せる。アルファベットにも似た文字で書かれたそれに時彦は目を細め、ポツリと読み上げる。


「ねんちゃく……わな……うさぎ……脱兎の奪捕だっと? え、ダジャレ?」

「アルターリア語が読めるのですかっ!?」


 紅華が酷く驚く。


 アルターリア語は魔女や精霊たちがよく使う言語の一つであり、つまるところ時彦が読めるはずのない言語なのだ。


 時彦は少し慌てた様子を見せつつ、答える。


「か、カヤンが前に少し教えてくれたので」

「そうなのですか?」

「は、はい。けど、少しだけなんで、あまり。それよりこの魔術の名前、“脱兎は奪捕”でいいんですか?」


 紅華は頷いた。


「“脱兎の奪捕”であっています」


 紅華が感心した表情を時彦に向けた。


「それにしても、よく正式名称が分かりましたね。元々この魔術は日本の魔女が作ったものなのです。けど、それをアルターリア語に翻訳した際に多少変化してしまって、日本語に訳しなおすと、『俊敏に逃げるウサギみたいな妖精を捕まえる煙の魔術薬』という長い名前になるんですが……」

「ああ、それは映像イメージに浮かんだ言葉がそうだったというか……」

映像イメージ?」


 紅華がコテリと小首を傾げた。同時に、時彦はヤバッと焦り、話を逸らす。


「そ、それより、髪の毛と唾をどうやって使うんですか?」

「……見てみますか?」

「はい」


 時彦が話を逸らした事を深く追求せず、紅華は木製の大きいケースから試験管たてを取り出し、髪の毛と唾がそれぞれ入った試験管を立てる。


 また、乳鉢や薬さじ、ビーカー、計量器、OPP袋に入った乾燥された植物と砕かれた黄色い宝石をアルコールランプなどの近くに並べる。


 そして紅華は計量器の上にビーカーを載せ、右手の人差し指を向ける。


「あ」


 時彦が目を丸くする。紅華の人差し指の先から、水がチョロチョロと流れ、ビーカーに注がれたのだ。


 魔法である。


 さらっと魔法を使った紅華は、時彦の様子を気にすることなく、作業を進める。


 小さな薬鍋を計量器の上に載せ、計量器の数字を見ながらビーカーの水を注ぐ。三脚台の上に載せる。


 次に魔法で指先に小さな火を作り出し、アルコールランプに点火する。小さな薬鍋の水を温めていく。


 その間に乳鉢を計量器の上に載せ、OPP袋に入った乾燥された植物と砕かれた黄色い宝石を薬さじを使って、乳鉢の中に適量入れる。すり潰す。


 乾燥された植物と砕かれた黄色い宝石が良くすり潰され混ざったのと同時に、小さな薬鍋に入った水が沸騰する。


 紅華は火の付いたアルコールランプを一旦、三脚台の下から動かし、乳鉢ですり潰した中身を小さな薬鍋の中に入れる。


 再びアルコールランプを三脚台の下に戻し、薬さじを使ってかき混ぜながら更に加熱していく。


 小さな薬鍋の水がかなり蒸発したところで、紅華はアルコールランプの火を消す。


「さて、と。天井さん。少し大きな音が鳴るので気を付けてください」

「あ、はい」


 紅華は試験管から時彦の髪を取り出し、少しぎゅっと何かを込めるように握り、髪を時彦の唾が入った試験管に入れた。


 ポン!


 大きな音がなり、時彦の唾がいつの間にか真っ黒の液体へと変わった。そして紅華はその黒い液体を小さな薬鍋の中に入れた。


 ポンッポポンッ!!


 先ほどよりも大きな音が響き、小さな薬鍋からもくもくと黒い煙が立ち昇る。紅華は黒い煙に動揺することなく、ジッと小さな薬鍋を睨む。


 そしてビーカーの中の残りの水を小さな薬鍋に入れた。すると、立ち昇っていた黒い煙は一気に消え、代わりにモクモクと白い煙が上がる。その白い煙も数秒すると直ぐに消えた。


 紅華は木製の大きなケースから一枚の薬包紙とミトンを取り出す。ミトンを両手に着け、熱せられた小さな薬鍋を持つと、薬包紙の上でひっくり返した。


 コトリ、と手のひらサイズの白い球体が薬包紙の上に転がる。その白い球体を指先で摘まみ、紅華は満足そうに頷いた。


「成功ですね」

「それが“脱兎の奪捕”ですか?」

「はい。これに魔力マナを込めて衝撃を与えると、煙となってウサギを捕らえるんです」


 紅華は白い球体である“脱兎の奪捕”を薬包紙で包みながら、言う。


「本当は実演して効果を確認したいんですけど、流石にウサギを捕まえる機会なんてそうそうないですし……」


 紅華が残念そうに溜息を吐いたのと同時に、


「帰ってきたよ、我が家!!」


 ガラガラと玄関の引き戸が開く音と同時に、司乃の声が響いた。ドタバタと廊下を歩く音が響き、ガチャリとリビングの扉が開く。


「ただま~、二人とも!」

「んなっ!」

「!」


 司乃が現れ、紅華と時彦はその服装に目を丸くする。


 司乃が着ていたのは、華やかなドレス。白を基調とし、多様な色彩と独特な刺繍が施され、幅が広いスカートには宝石も散りばめられている。髪には亀の甲羅などで作ったコームを基礎に、花や蝶々などを模ったおオパールや細工ビーズ、布などが彩る髪飾り。


 煌びやかな民族衣装を纏った司乃は、満面の笑みで年季の入ったドローストリングバッグをダイニングテーブルに置く。


「これ、パナマのお土産だよ! パナマコーヒーのコーヒー豆に、同じくパナマコーヒーのチョコレート。それと珍しいカエルと鳥の模型に、民芸品の布!」


 ドローストリングバッグから次々に物を取り出し、ダイニングテーブルに並べる司乃。


 司乃の恰好に呆然としていた紅華がようやく我を取り戻す。


「お土産もですけど、その恰好は何ですか!?」

「ああ、これ? これはパナマの民族衣装だよ。ポジェラって言うんだって。髪飾りは確か、テンブレッケだっけ? なんか仲良くなって貰ったんだ!」


 司乃はクルリと一回転する。スカートの幅が広いドレスが華やかに舞う。紅華は目を奪われる。


「ふふん、可愛いでしょ!」

「まぁ、確かに可愛いですが……」


 司乃は、パナマコーヒー豆に手を伸ばしていた時彦を見る。


「時彦くんも可愛いと思うよね?」

「あ、はい。可愛いと思います」

「だよね!」


 司乃は嬉しそうな表情を浮かべる。と、インターホンが鳴った。


「お、来た来た。ぴったりだね!」


 時計を見やり、司乃はタッタッタッと玄関の方へと向かった。紅華と時彦は顔を見合わせ、困惑する。


「ごめんね。こっちに来てもらって!」

「こちらこそ、お時間を頂きありがとうございます」

「ふんっ、正人まさと。このちゃらんぽらんに気を使わなくともよい」


 そんな話声が聞こえ、物腰の低そうな白衣と紫の袴を履いた中年男性とその男性の頭の上に座っている二本の尻尾が生えた白狐が、司乃と共に現れた。


 

 Φ



「どうぞ」

「どうも、ご丁寧にありがとうございます」

「感謝するぞ、わっぱ

「いえ」


 時彦がダイニングテーブルに座った中年男性と白狐の前に紅茶とチョコレートケーキを並べ、紅華の隣に座る。司乃がぶーっと頬を膨らませる。


「時彦くん、私のケーキないのっ?」

「昨夜作ったばかりなので、うちに帰ればまだありますが。取ってきますか?」

「天井さん、取って来なくていいです。アホ師匠の言葉は無視してください」

「紅華ちゃん、酷い!」

「酷くありません。帰ってくる連絡も一切しない人が文句言わないでください」


 紅華と時彦の向かい側に座っていた中年男性が苦笑いする。


「突然、押しかけてすみません」

「いえ。師匠が連絡していなかったのが悪いんです。気にしないでください」


 司乃に向けていた凍える表情から、一変。紅華は柔和な笑みを浮かべ、中年男性と白狐に小首を傾げる。


 それに気が付き、中年男性たちが自己紹介を始める。


わしはシロギク。見ての通り、白妖狐はくようこだ」

「始めまして、私は鈴木正人と申します。近くの神社で神主をしており、またシロギク様の仕事の手伝いをさせてもらっています」


 紅華たちも自己紹介をする。


「師匠のもとで魔女修行をしています。春風紅華と申します」

「僕は、天井時彦です」

 

 シロギクが鋭い視線を時彦に向ける。


「魔法使いか?」

「いや、違うよ。時彦くんは稀子だね」

「ふむ、そうか……」


 シロギクは少し納得いかなそうに二本の尻尾を揺らす。正人がそれに苦笑いしつつ、紅華を見た。


「今日は春風さんに仕事の依頼があって来たのです」

「仕事、ですか?」


 紅華は目を丸くしたのだった。





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