奇縁
ヘルヘイムの聖教国入国より数週間前。
グリフィル神聖国の王城にて、とある会合が開かれていた。
王城側に座るのは、第五王女アーシャ・エル・グリフィル。加えて、国王代理としての責務を担った第三王子セナム・エル・グリフィルだ。
二人の対面のソファーに腰かけたのは、まだ年端も行かない少女。
鈍色の髪が窓から差し込む光を受けて鉄の如く輝き、厳かな落ち着いた雰囲気を助長していた。アーシャは、自分とほとんど変わらないその少女が纏った覚悟のような何かに、自ずと息を呑む。
お付きの使用人を下げさせ、アーシャたちの対面に座する少女——アイレナ・ウィル・アイロンは粛々と礼に徹した。
「本日は由緒ある神聖国本城にお招きいただき、恐悦至極にございます」
アイレナの社交辞令を淡々と会釈で流し、セナムは本題へと入る。
「アイレナ殿、ガギウルでの一件、その後どうだ?」
「アーシャ様、ひいては神聖国のご助力の下、無事復興の目処が立っております。本当に、感謝の念に絶えません」
「アイロン伯爵も?」
「ええ、順調に全快に向かっています。執務においては、ほぼ以前と変わらないほどにまで」
「そうか……領主不在と言っても過言ではなかったガギウル領だったが、好転したようで何よりだ」
セナムの顔にはわかりやすい安堵が浮かんでいた。
ガギウル領は、鉄鋼都市の名を有する栄えた工業都市。少し前から領内の不作や領主である伯爵の乱心などの芳しくない状況が続いていたことは国主の悩みのタネであった。
しかし今回の騒動を皮切りに、そのほとんどの原因は取り除かれ、グリフィルが誇る工業都市はみるみる活気を取り戻していた。
「これもすべて、御家のご支援あっての賜物にございます」
あくまで礼を失さないアイレナの姿に、セナムは深く頷いた。
末子である妹のアーシャと変わらない年齢でありながら成熟した精神が垣間見える彼女の姿は、第三王子である彼の心を打って止まない。
「アイロン伯爵の不調の間、領主代理としての責務を良く果たしてくれた。貴殿失くしては、今回の結果はなかっただろう」
「恐縮です」
誇るでもなく、セナムの言葉に頭を下げて見せるアイレナ。
アーシャには、その姿が空恐ろしく映った。
アイレナはガギウルの騒動を解決した。
言葉にするのはとても簡単だ。だがその実態はそれだけにとどまらない。
アイレナの怒号と一撃によって沈んだ諸悪の根源の姿を、ガギウルの誰もが目撃していた。彼女は正しく、ガギウルの英雄の名にふさわしい女傑であるのだ。
そんな彼女が尊大になることも無く、その栄誉をただの事実の一つとして受け止めていることは、精神性の完成という一言で片づけていいことなのだろうか。
自分を訝るアーシャの視線に気が付いたのか、アイレナはそれに応えるように彼女に目を合わせた。
見つめ合う構図になった二人に、セナムは咳ばらいを一つ。
「アイレナ殿、実は本題はここからになる。今回、貴殿に用があるのは妹、アーシャの方でな」
促されるまま、アーシャは一度頭を下げてから切り出した。
「久しぶりですね、アイレナさん」
「はい。アーシャ様のおかげでガギウルの復興は驚異的な速度で成されています。重ねて感謝を」
「感謝するのはこちらの方です。あの時のガギウルにあって、被害が復興できる範囲に収まったのは偏に貴方の尽力あってのことに違いありません。それは建造物や政治的被害だけでなく人的被害もです。救われた人間の中には、私や我が国の勇者様方も数えられています。私にとって貴方は、命の恩人と言っても何ら言い過ぎではありません」
屈託のないアーシャの本意を受けたアイレナの表情は、およそ賞賛された人間のそれではなかった。
悲愴、なのだろうか。重々しく目を伏せ、口元はきゅっと強く引き結ばれている。
セナムはその様子に目を細めるが、アーシャはそのまま話を続ける。
「そう、私の話というのは、ガギウルでの一件についてのことです。きっと、貴方には私が聞きたいことがわかっているはずです」
「…………」
剣呑な雰囲気に、今度はセナムが息を呑む番だった。
こういう時の妹の強情さは身をもって知っていた。口を挟むのではなく、成り行きを見守る役に徹することが最善であることも。
場を任せられるまでに成長した妹の姿に頬を緩めながらも、自分にとっても興味深い話のその先に耳を傾けていく。
「——屍王。そう名乗る男が、あの時、ガギウルに……貴方の前に現れていたはずです。彼とあの一件との関係を……知っているのですか?」
遠回りに聞く、などという選択はアーシャの中には無かった。
誠実に、実直に。駆け引きなどは介在しない。
そんなアーシャに、アイレナもまた目を逸らさない。明るい表情ではないが、彼女の瞳の中にもまた燃ゆる覚悟のようなものが見て取れた。
「——お答えできません」
「————ッ」
アイレナは、そうきっぱりと言ってのけた。
アーシャはあまりの予想外に瞠目し、人伝に事情を聴き及んでいたセナムも同様の反応を示した。それは、『屍王』の名を忌々しい伝承として語り継がれている王家の人間であれば、誰にとっても衝撃的な返答だった。
「ア、アイレナさん……?」
尋常ではない反応を見せるアーシャに、アイレナは引き下がらない。
「私は、彼の敵ではありません。そして、ガギウルもまた、彼と相対することはありません。これが、私からの返答の全てです」
揺るがない意思。
アーシャにはその言葉以上に、彼女の瞳からそれを感じていた。
屍王を『悪』の象徴として見ている自分たちに、彼女がこれ以上の情報を齎すことは無いのだろう。
「……アイレナ殿。その名が何を示すか、正確に把握しておられるか?」
「恐らく」
「……ヘルヘイムの名も?」
「ええ。幸か不幸か、我が家に与えられた領はグリフィル国領内では帝国に近い。その悪名は当然のように耳に入ってきますので」
「屍王は……奴らの首魁。もしや庇い立てするつもりではあるまい?」
王子としての責務を全うすべく、セナムは幼い少女に重圧をかける。
しかし、どうやらそれは無意味であるようだ。
「——私の意思は、変わりません。これを謀反であるとするのなら、どうぞ私の首を落としていただいて結構。所詮、この身はあの街に沈みゆくものだったのです。ならば、ここに沈むも同じこと」
「……はぁ。そうか」
剣幕を緩めたセナムは、「すまない」と詫びの言葉を吐いた。
「アーシャ。彼女を無碍にすることはできない」
「ですが兄様っ」
「やはり、我々が自力で追う以外に方法はないようだ」
煮え切らない沈痛な面持ちで唇を軽く噛んだアーシャに、セナムも同様に表情に影を落とした。
アーシャが感じているのは、屍王に繋がる情報を得られない無力感と、アイレナが屍王の存在を隠そうとする意図への猜疑心によるものだ。
しかしセナムのそれは、アーシャとは違っていた。
アイレナは、「この身はあの街に沈みゆくものだった」と語った。つまり、あの時死んでいてもおかしくなかったという意味だろう。
しかし彼女は今も生き続け、ガギウルの英雄としての賞賛を受けている。
そんな彼女が屍王の存在を認めながらも敵ではないと語ったのだ。その言葉に内包された様々な事情や感情を察するのならば。
(……屍王に救われた……とでも言うのか?)
何も言わないのではなく、彼は敵ではないと断言したアイレナ。
恐らく軽い口止めを受けているか、自分の判断で隠そうとしたかの二択。
セナムの脳が忙しなく、危機感を持って回り続ける、
(ここで返答を誤ってはいけない。彼女……ひいては、屍王の機嫌を損ねるのは、今の状況にあっては非常に旨くない)
アーシャから聞いた状況を鑑みるに、屍王は一瞬で都市を凍りつかせる魔法と、それが可能な魔力を有している。
鉄鋼都市の面積をグリフィル王都に重ねると、およそ王都半分。王都の半分を機能停止に追い込むであろう相手となれば、これまで以上に慎重にその足取りを追わねばならない。
少なくとも、アイレナに助力を乞うという選択は、これ以上取れそうになかった。
「……御足労いただきありがとう、アイレナ殿。これは別件だが、貴殿が討伐した
「かしこまりました。父上の回復にもあり、私が都市外に出ることも難しくありません。私としましては、明日からでも赴く準備はできています」
「良い。買い手は——聖教国の天女と呼ばれる予知者だ。詳しく言えば、彼女に仕える騎士であるらしいがな」
セナムの言葉にアイレナは確と頷き……、
「予知者……」
アーシャははっと顔を上げ、セナムを仰ぎ見た。
「お兄様っ! それですっ!」
そうして、彼女は立ち上がった。
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