なんもかけんか
何にも書けない。
様々趣向を凝らしてみたが、まだ5000文字しか書けていない。泣けてくる。
皆様もあまり強い言葉のタイトルを(見切り発車で)付けたり、本文中やあらすじに約束事を気安く取り付けない方が良いかもしれない。こういう風に後始末をしなければならなくなるから。
世間には【モチベーション(やる気・動機)】という概念があって、それが努力や行動に対して大きく影響を与えているというお話がある。
そのお話に従って「部下のやる気を引き出す方法」という本やら、自己嫌悪の際に「やる気が湧かないから何事にも挑戦できない」という台詞が出てくるわけだが、個人的には少し疑問符が浮かんでいる。
疑問は大まかに分けて2つある。
まず、1つ目は「やる気」とは別に「やり続ける気」というものがあって、それは明確に区別されるべきではないかということだ。
「やる気=何らかの行動」という等式が成り立っている節があるが、誰しもが何らかの行動はとっている。「何もしていない」人なんていないのではと思う。
「何もしていない」と聞くと、ぼーっとしていたり、寝ていたり、ネットサーフィンやゲームしたりというイメージがあるが、それらの行動を「している」じゃないかと思うのだ。
そして、それを「している」ということは、それを「する(したい)気」があったから、実際にしているということなのだ。
まあ、屁理屈だろというのはわかる。「やる気」というのは世間が「良いね」と思ってくれるものに対する事柄……ビジネスであったり、勉強であったり、スポーツであったり、(写真映えする)趣味であったりということで、それ以外の行動は別に「やる気」がなくても、惰性でも出来ることだろ、と
しかし、それだったら「やる気がない」という問題は、「絶対量が足りない」というより「自分の求める方向に注げない」という点に由来するものではないか? と思うのだ。
つまり「やる気はある」のだ。誰においても。
じゃあなんで身につかない……というか、「やる気のある人」がごくごく限られているように見えるかというと、それが「やり続ける気」というものの有無なのだ。
最初から一定量満たされている(代わりに増減することもない)「やる気」と違って、「やり続ける気」は最初は存在しないので、何とかして手に入れる必要があるのだ。
「やり続ける気」は、その行動をしたことによって、自分に利があった場合に初めて発生するものとみている。
「利」とは気持ち良かった、楽しかったという感覚的なものから、換金できたとか、入賞できたとかの実績的なものでも良い。そういった経緯があって「ああ
そして行為のたびに「やり続ける気」というのは蓄積していく。それが閾値を超えるとどうなるかというと、その行為は習慣・趣味といった要素になる。つまり、いちいち「やる気」を出す必要がなくなる。
周りの人が「この人は凄いやる気(エネルギー)があるなあ」と思っている人は、実はそれを習慣としているからなのかもしれないのだ。つまり、その人と比較して「私はやる気がないからダメだ」と感じることは、実際は少しずれている気がする。
もう1点の説明「やりたくない気」(逆モチベーション)の説明については次回になりそうだ。
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