第29話 セイナッドの猿、ハンゾウを追いつめし件

 やがて、ハンゾウの目の前に浮かんでいたオレンジの影が薄れ、視界が戻って来た。夜目を取り戻したハンゾウが見たものは、何もない夜空であった。


「ぬっ? 確かに奴の気配がそこに……。空蝉うつせみか?」


 ハンゾウが散々攻撃していたのはヨウキが飛ばしたダミーであった。等身大の空気人形を心気で固め、宙に放り出したのだ。


 気配だけを写した空蝉。


 ハンゾウは、それにまんまと引っ掛かった。


「しまった! 猿はどこだ?」


 ハンゾウの目が中空と地上との間を行き来する。


(心気波!)


 肉眼でヨウキを捉えられないハンゾウは、球面状に心気を飛ばして気配を探った。いわば全周型三次元レーダーである。

 広がる波が建物の影に生命の存在を告げた。


(そこか! 猿!)


 ハンゾウは心眼が捉えた気配を頼りに、直径15センチほどの火球を飛ばした。

 ばらばらと仮小屋の壁を壊しながら、火球が燃え上がった。


 どぉんと地面から爆発が起こり、ヨウキが三方向に・・・・走り出した。

 これもまたヨウキの「空蝉分身の術」であった。


「ちぃっ! 鬱陶うっとうしい!」


 懐から鉄丸を掴みだすと、ハンゾウは三つの気配に向けてそれを投じた。

 二つの気配は鉄丸を受けて砕けるように消滅した。


 残る一つは鉄丸を受け止め、勢いそのままに投げ返して来た。


(それが本体か! 遠当て!)


 戻って来る鉄丸をはねのけるように、ハンゾウは空気弾に心気をまとわせて撃ち出す。

 一つ、二つ、三つ。


 ヨウキは飛んで来る空気弾にそっと手を添え、するりと受け流す。そして、弾の間をすり抜けるように前に出た。目で見て判断していては間に合わない。

 ヨウキは攻撃の全てを第三の眼で見極め、最小の動きで無効化していた。


(くっ! 正面からの攻撃は、こいつに効かぬ! 意識の外から攻めねば……)


 しかし、放った術は真っ直ぐにしか飛ばない。相手の横や後ろから攻めることはできないのだった。


(ならば、こうだ! 雷撃!)


 ハンゾウは金行の気を載せて、鉄丸を二つ放った。一つは右へ、一つは左へ、ヨウキを挟む形で。

 二つの鉄丸の間にヨウキが入れば、雷撃が飛んで体を撃つ。


 陰と陽の雷気を同時に操る秘術だった。二つの電極に挟まれて、ヨウキの体を電流が駆け抜けるはずだった。


 ヨウキがこれを逃れるためには、上方に跳ぶか、鉄丸を叩き落とすしかない。ハンゾウの狙いはその瞬間にこそあった。

 ヨウキが動けば、それが隙となる。その瞬間に全力で遠当てを放つつもりでいた。


 しかし、ヨウキは動じなかった。


 表情一つ変えず前に進む。


 雷気を宿した鉄丸は空しく背後に通り抜けた。


「馬鹿な!」


 飛ぶはずだった雷気が封じられてしまった。ヨウキは身の周りの空間に薄く陰気を満たし、鉄丸の雷気を誘導して逃がした。


 苦し紛れに、ハンゾウは用意していた心気を遠当てとしてヨウキにぶつけた。ヨウキは右手を差し出して、これを受ける。


 前に向けた手のひらに心気が満ちている。ハンゾウの空気弾と触れた刹那、ヨウキは手首を返してそれを受け流した。

 二発、三発と遠当てを放っても、ヨウキの防御を崩すことはできない。


 ハンゾウは焦った。これ以上ヨウキに踏み込まれれば、主サイバッタを戦いに巻き込んでしまう。


(うぬっ!)


 唇を噛んだハンゾウは、懐から爆裂弾を取り出し、導火線に火をつけた。

 ギリギリまで火を回すため、すぐには投げず、手に持ったまま反対の腕で遠当てを飛ばし続ける。


 ヨウキはそれを見て、前に出る速度を速めながら自分も攻撃を加えた。


 火球。氷弾。かまいたち。


 ハンゾウは後ずさりながらヨウキの術をさばく。しかし、徐々にヨウキの手数に押されそうになった。

 その時、ようやく導火線が十分に短くなった。


「くらえっ!」


 爆裂弾を投げつけると同時に、ハンゾウは大きく後ろに跳び下がりつつ土行の気で前面に防壁を張った。

 ハンゾウの右手に意識を集中していたヨウキも、間髪入れず防壁を張って後退した。


 その結果、爆裂弾は見えない壁に前後を挟まれた状態で爆発した。急激に膨張した燃焼ガスと爆散した弾殻とが、板状の薄い空間に沿って広がった。


 ハンゾウが投げた爆裂弾はヨウキを傷つけることができなかった。しかし、それは初めから計算に入れた上の行動だ。

 お互いに飛び離れたお陰で、間に距離が生まれた。これこそハンゾウが求める結果であった。


(よし! 時を稼げる!)


 ハンゾウは次なる爆裂弾を取り出し、導火線を短く切って火をつけた。それをヨウキの足元めがけて投げつける。


 直接ヨウキを狙うと、はね返される恐れがある。足元に投じることで、避けるための時間が生まれるのだ。


 火薬の爆発は自然現象だ。陰気を浴びせて打ち消すことができない。壁を作って避けることしか、ヨウキにはできなかった。


 二つ、三つと続けて爆裂弾を投げ、ハンゾウは主の元まで逃走した。貴重な時間を稼いだハンゾウは、うずくまっているサイバッタに背中を向ける。


「殿! わたしの背中におつかまりください!」


 肩越しに声をかけて促すが、返事がない。サイバッタの伏せた顔に背中が触れた時、どさりと倒れる音がした。


「殿っ! どうされました?」

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