第24話 ロクロウ幼き頃を夢に見たる件
正面の火に気を取られていたため、裏手の火には城兵の対応が後手になった。しかも、相手は油火災である。水をかけたくらいでは燃え上がった火勢を弱めることはできなかった。
サンジは火の手に近い物陰に留まって、吹き矢を飛ばした。少しでも消火活動を妨げるためである。
バタバタと倒れる同僚の姿を見て、後続の兵士はたたらを踏んでうろたえた。
中には刀を投げつけて来る奴もいたが、サンジは飛んで来る刀を余裕を持って掴み取った。飛んで来るものは小さい物ほど避けにくい。刃渡り60センチを超える長刀を避けるのは容易いことだった。
掴んだ刀を持ち直して、手槍のように投げ返す。尾を引くように飛んだ刀は、狙いあやまたず、刀の主の腹に突き刺さって、背中まで抜けた。
倒れた兵士は後続者の障害となって地面に転がる。だが、大きくなる火の手に引かれるように、多くの兵が押し寄せてくるようになった。
(これまでだな)
サンジは懐から
もうもうと吹き上がる煙に紛れて、サンジは兵舎の裏口から闇の中へ走り出した。
◆◆◆
『やい、よだれ牛! わらを食え!』
『歩きが遅いぞ、よだれ牛!』
七つ、八つの餓鬼どもが一人の男児を虐めている。体は大きいのに動きの鈍い男の子は、「よだれ牛」と馬鹿にされていた。歯並びが悪いせいで口元がゆるく、何かの拍子でよだれが垂れやすいのだ。
『……牛じゃねェ』
『牛が鳴いたぞ。もー、もー!』
『よだれを垂らして、もーもーもー! わら食って、糞して、もーもーもー!』
悪餓鬼たちは手に手に藁を持って振り回し、男児の周りではやし立てた。輪の中心に俯いて立つ男児の顔は見えない。
『アンタたち! 何してる!』
悪餓鬼の輪に走り寄り、引きむしるようにかき分けて男児をかばう姿があった。
『おぉー、死にぞこないの
『よだれと禿げの兄妹じゃあ』
よだれ牛と呼ばれたのはロクロウで、亡者とはサイゾウのことだった。
体は大きくともロクロウは気が弱く、虐められてもし返すことができない。
一方、サイゾウは小柄な体に似ず、炎のような性根を内に養っていた。
『誰が畜生か! こいつら!』
サイゾウは六つになったばかりで、悪餓鬼どもより一回り体が小さかったが、ためらいも見せずに餓鬼の一人の懐に頭から突っ込んでいった。
腹に思い切り頭突きを食らわせると、そのまましがみついて押し倒す。
『何じゃ、こいつ! やるのか!』
周りの悪餓鬼が倒れた二人の周りに集まり、上になったサイゾウを寄ってたかって蹴りつけた。たちまち組みついた餓鬼から引きはがされ、サイゾウは地べたに放り出された。
『よそ者の癖に生意気じゃぁ!』
一人の餓鬼がサイゾウの腹を踏みつけた。興奮が伝染したのだろう。サイゾウは袋叩きに遭い、鼻血を出して唇を切った。
それでもサイゾウは悲鳴を漏らさず、頭をかばった腕の間から悪餓鬼どもを睨みつけていた。
『や、やめろぉーっ!』
それまで声を出せずにいたロクロウが唾を飛ばして絶叫した。
『うぉおーっ!』
思わず振り向いた悪餓鬼ども目掛けて、目をつぶって突進した。
ロクロウの突進は悪餓鬼を一人、二人跳ね飛ばしたが、最後は周りからつかまって押し倒された。
結局サイゾウ共々袋叩きにされるところに、雷のような怒声が響いた。
『やめんか、馬鹿者!』
ぱあーん、ぱあーんと平手打ちの音がすると、引きはがされた悪餓鬼たちが地面に転がされた。
『うわぁあー!』
頬の痛さと尻の衝撃に悪餓鬼どもは泣き出した。
『泣くな! もう一発食らわせるぞ!』
餓鬼どもを睨んで怒鳴りつけたのは、十五歳のヨウキ少年だった。
ロクロウとサイゾウを立ち上がらせると、怪我の有無を確認する。打ち身と擦り傷くらいであることを確認すると、「これで傷を拭け」と手拭いをサイゾウに手渡した。
『悪餓鬼ども、年下の仲間を虐めてどうする。仲間を虐める奴は、この俺が許さんぞ!』
この時代の十五は成人年齢であった。既に隠形五遁の術を自分のものとしているヨウキは、名実ともに立派な大人だ。
若くして仙道を極めたヨウキは、こどもたちの憧れでもある。
そのヨウキに非行を咎められて、悪餓鬼どもは勢いを失い、意気消沈していた。
『……仲間じゃない。アイツは行き倒れのよそもんだ』
ぱあーん!
口答えをした少年の頬が再び鳴った。
『サイゾウは俺が引き取った里の子だ。文句があるなら、俺を殴りに来い』
ヨウキは頬を押さえた悪ガキの前にかがみ込み、歯をむき出して見せた。
『大体、牛だの禿げだのと虐め方が小賢しい。それがどうした? 俺を見ろ!』
ばんと両手で自分の顔を張れば、皺だらけの面貌にたちまち朱が差した。
『見たか? これがセイナッドの猿だ! お前ら知らんのか? 猿は飛べるぞ? こうだ!』
叫んだかと思うと、ヨウキの短躯は地を蹴ってたちまち宙高く跳び上がった。
『わあっ!』
悪餓鬼もロクロウも、目を丸くして驚きの声を上げた。ヨウキの高跳びは人間業に思えなかった。
『猿は走るぞ? こうだ!』
着地したヨウキは一声叫ぶと、地面の上を風の速さで滑走した。瞬く間に一丁も向こうまで走り去ったと思うと、もんどり打って宙返りし、方向を変えて戻ってきた。
ぴたりと止まったヨウキの後から、風が土を巻き上げて吹き抜ける。
『生まれや見た目などどうでもよい。里の者は皆家族だ。里人を害する奴がいれば、誰であろうとこの猿が許さぬ。わかったな?』
こどもは強いものにあこがれる。人間離れした技を見せたヨウキの言葉に、悪餓鬼たちは一様に頷いた。
『ははは。お前たちも許してやれ。なあに、牛は強くて優しい生き物だ。禿げは――そう、賢いぞ! 悪口にもなっておらんじゃないか! はははは』
そう言ってヨウキはその手で、自分たちの頭をなでてくれたのだった。
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