長川町の用心棒~桜の怪~

あべくん

第1話 いつもの朝

『みなさーんこんにちは!4月10日月曜日晴れ、長川町ながかわちょうラジオの時間ですよー!今日も元気なわたし、水原桜みずはら さくらがお送りしていきまっす!』


 窓から差し込む温かな日差しと少し冷たい風を浴びながら、革張りの椅子に座った女性は机に脚をだらしなく投げ出して天井を眺めていた。


『本日は晴れ!絶好のお洗濯日和ですが、夕方頃から曇っちゃうのでみなさんお洗濯ものをしまう時間と、噂の髑髏頭にはお気をつけて!』


 甘ったるい元気な水原桜の声をラジカセで聞きながら、女性は長い黒のポニーテールを垂らし、眠気に襲われたのか徐々に息を静かにさせていく。少し皺のある白シャツ、どこにでも売ってそうなジーパンにカジュアルな革靴。あまり見た目に頓着の無さそうな外見の彼女だが胸は豊満でやんわりとした顔立ちは美しく、どこか飄々としている。


(あぁ・・もう寝ちゃうかぁ・・・朝ご飯は、いっか・・)


 腹の虫が鳴ったのも気に留めず、ちらりとパイプベッドの方へと顔を横に向けるが、面倒くさそうに口をへの字に曲げる。そのまま腕を組んでいよいよ寝る支度を整えていく。


「おっつかれーっす!」


 だが、彼女の眠気は男性の大声と共に吹き飛んでしまった。

 金属のドアを乱暴に開けて入って来た男は、手に持ったコンビニのビニール袋を入り口から3メートル程離れた机に投げると、そのままソファに座ってガサガサと音を立てながら袋に手を突っ込んでいく音に合わせて、彼女の眉間に皺が寄っていく。


「・・赤元直志あかもと ただし、私は今―」

「寝ようとしてたっしょ?それ、サボりっすよ」


 ホットドッグを取り出した赤元は、黒いスーツと赤いシャツにケチャップがこぼれないように気をつけながらそっと、香ばしいパンとソーセージを口に運んでかぶりつく。


「あほえはるかふぁん、ふぉふぉままじゃ・・・柳用心棒事務所やなぎ ようじんぼうじむしょ潰れるっすよ?」


 ここは柳用心棒事務所。長川町西2丁目に設立された、用心棒を欲する人のための事務所。


「赤元直志。その事務所で偉い私の昼寝を邪魔した君を、クビにしたっていいんだよ?」

「あ、まーたそんなこと言って。桜ちゃんのラジオが聞こえないじゃないっすか」

『じゃあ今日の一曲!いっちゃいま―』


 柳遼が悪戯っぽく微笑みながら白い指を伸ばしてラジカセの電源スイッチを押され、赤元は残念そうに項垂れて溜息を吐き捨てる。


「・・・遼さん、探偵事務所ならいざ知らず。用心棒事務所をまわしていこうとしたら、それなりに宣伝してかないとダメっす。んで、今日なにかしたんすか?」

「私の専門はそっちじゃない」

「実入りがあるのはこっちの方っす」


 赤元が詰めると、遼は黙って再び寝息を立て始めてしまった。





「ったく、ほら」


 金のオールバックを撫でながら赤元は立ち上がり、ビニール袋から梅干しのおにぎりと緑茶のペットボトルを取り出して彼女の机に置いた。


「朝飯まだっすよね、腹鳴ってるっすよ」

「・・直志、君のクビは繋がった」

「へいへい。300円で繋がってよかったっすよー」


 組んでいた腕を広げて彼が置いた食事にありつく遼に適当な返事しつつ、赤元直志は事務所を見渡す。

 机を挟んだソファ2つ、遼のデスクとパイプベッド。デスクの後ろには窓、壁にはキッチンがあるが使われている様子は無く、ティファールとインスタントコーヒーの瓶だけが唯一使われている物。時計は無い、観葉植物やカーテンすら無い。

 まるで生活感の無い空間で、遼のデスクすら物は何一つ置いていない。


「この前のストーカー被害と・・物流倉庫の盗難被害を解決して。今月まだ10万しか稼いでないんすよ?なんかもっと、危機感とかないんすか?」


 食べながら喋っていた彼とは違い、遼はおにぎりを緑茶で流して一息ついてから口を開く。


「言ったろ、私の専門は―」

「じゃあちょっと行きましょうよ」


 ポケットから4つ折りにした紙を取り出して広げ、赤元は咳払いをしてから読み上げる。


「長川大学演劇部が送る、笑って泣ける舞台を是非!」

「ほう・・少年の大学か」


 途端に興味深そうに顎を撫で始めた遼だが、直志はやれやれと頭を振って息を吐いた。


「こらこらダメっすよ。なんでも、伝説の恋桜の下で好きな人に告白すれば思いが届く、そんな桜が生えてる高校を舞台にしたラブコメディ。これがケッコー前評判よくて、この演劇部が舞台やるとスカウトも来るらしいっす」

「直志、私がそんな世間の理に興味があると思うかい?」

「でも空気の入れ替えは大事っす。どうせ待ちぼうけて1日潰すんなら、無駄と分かってても外に出てみた方がいいっしょ」


 彼が言った待ちぼうけの話は説得力があったようで、遼は腕を組んでうんうん唸り始める。


(おっし、あともう一押し・・)

「そういえば場所は東3丁目―」

「行こうか直志。行雲こううんには是非とも行こう」

「どうせ俺のおごりでしょ?まぁ、帰りに食いましょうや」


 キビキビとした動作で立ち上がった遼は、そのまま革靴を石の床で鳴らしながら歩き、ドアの手前で腕を伸ばすとゆっくり持ち上げ、手の甲がドアノブに当たるとドアを開けた。

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