四 かんばせ様

 塔から出た高久たかひさ達は本殿に向かって歩いていた。

 案内の為に文子あやこ耕太こうたが先を歩き、その後を澄人すみとが続く。高久は澄人の後ろを木吉きよしと共に歩いていた。

 しばらく歩いていると、軍衣ぐんいの裾を引っ張られ、高久は下を見た。木吉はすっかり高久に懐いていて、眠そうな目を輝かせながらも手を伸ばしている。手を繋いでほしいのだろう。伸ばした手を取って優しく握ると、しっとりと湿った子供の手が高久の手を強く握り返した。自分よりも熱い子供の手に、高久は故郷の弟妹を思い出した。

 塔から本殿まで行くのに、さほど時間はかからなかった。だが、本殿に近付くにつれて高久の手を握る木吉の力が強くなるのを感じていた。その手が震えていることも繋いだ手を通して伝わってくる。

「怖いのですか?」

 周囲に聞こえないように高久が問いかけると、木吉は顔を上げた。不安に満ちた目が高久を見つめている。

「こわいっていうか、失敗しちゃいけないから、緊張するの」

「緊張ですか」

「うん」

 木吉は前を向いた。前方では文子と耕太が会話を交わしながら歩いている。その後を澄人が歩く姿を高久は眺めていた。

 当然だ。嘘をつく行為は苦痛が伴う。本来ならば従来の形であれば嘘をつくことなく儀式の日を迎えられた筈だからだ。だが、続く木吉の言葉は高久の予想していなかったものだった。

「かんばせ様に対して粗相しちゃいけないから」

 粗相。この言葉が指すのは怖れではなく、おそれだ。

「……それはどういう意味でしょうか」

 木吉は言い過ぎたと思ったのか後は唇を引き結び、全く話さなくなってしまった。

(まさか、話せる子が本当に出てきてしまったということか?)

 だが、無理に問うことは出来ない。今も震える木吉の手を労わるように高久は優しく握り返した。

 顔之尊かんばせのみことおわす本殿がある〈境之内名さかいのうちな〉には顔のない人の姿がちらほらと見える。木吉がかんばせ様と話すのを見たい人がこうして集まることがあるのだと、耕太が高久と澄人に説明した。

 まるで見世物のようだ、と高久は思った。高久の手を握る木吉の手は緊張の為に強張っている。子供の体温が高いこともあるが繋いだ手は熱くなっていた。

顔無之村かんばせなきむら〉の殿あらかである本殿は拝殿も兼ねたひとつの建造物であった。産土神である顔之尊が姿を見せることをいとわなかった為だ。訪れる人の姿が見えるように本殿は常に開け放たれた状態にある。ここではまだ姿を見てはならない。

 御姿を拝することが出来る〈神ノ拝子かみのはいし〉の許しを得る為に身を清める代わりに手を清める〈清ノ水きよめのみず〉を行い、拝殿の前で二度頭を下げてから二度叩き、もう一度頭を下げる〈二ノ礼拍一ノ礼にのれいはくいちのれい〉を済ませる。そうして初めて御姿を拝することが出来るのだ。

 高久は本殿の中に坐す顔之尊の姿を見た。人に近い形をした神には顔がない。長い黒髪は紺碧の着物にまとわりつくように下ろされ、着物の袖からはいくつもの手が見えている。いくつもの手のひとつは空を掴み、もうひとつの手は地を撫で、いくつかの手は祈るように手を合わせている。日によって手の動きは変わり、様々な表情を見せるのだと耕太が説明した。

 物言わぬ顔之尊はただ静かに高久達を見下ろしている。

 木吉は高久の後ろに隠れながら顔之尊を見つめていた。自分にしがみつく手の震えは今もおさまらないままだ。しばらくすると木吉は目を開いて顔を動かそうとした。が、その動きは一瞬のうちに止まった。

(これは……演技ではない)

 明らかに木吉は誰かの話を聞いている。その相手は目の前の顔之尊の他にない。木吉の自分にしがみつく力が強くなる。高久は木吉の背中に手を添えた。

 途端、耳の奥で雨の音が聞こえてきた。雨の音は次第に激しくなり、耳鳴りのように響く。雨の音に眩暈を覚えた高久は歯を食いしばった。

 雨の音に紛れて衣擦れの音が聞こえた時、高久は顔之尊の顔が動いたのを見た。文子と耕太は木吉の様子に気を配っていて気付いていないようだが、高久は顔が動いたのを見てしまった。そして、その顔は澄人に向けられていた。

 高久は目だけを動かして澄人を見た。

 顔之尊の注ぐような視線を澄人は受け止めている。雨の音が更に激しくなる。周囲の音をかき消すような雨の音の中で、高久は旗を手に戦場を駆ける澄人の背中を見た。純白の軍装が泥と血で汚れていく。声を張り上げて前を走る澄人を黒煙が覆う。同時に澄人の名を叫ぶ声が聞こえた。聞き覚えのある声。この声は――。

 映像を押し流すように雨音が激しくなる。その先は雨の音に遮断された。

 ――うけたまわりました。

 声を合図に雨の音が消える。聞こえたその声は明らかに顔之尊に向けて発されたものだった。

 それがどういう意味であるかを高久は嫌でも理解した。頭の芯から冷えていく心地に手が震えそうになる。木吉を安心させるために背中に当てた手が震えぬよう体の芯に力を入れながら呼吸を整える時まで、高久は息をするのも忘れていた。

 澄人が高久に顔を向けていたからだ。澄人は高久をまっすぐに見つめている。あり得ないことだが、高久は澄人の顔に自分の顔を映し見たような気がした。

 口を開こうとした刹那、澄人が指を口元に当てて微笑んだ。

 ――まだ、駄目ですよ。

 木吉の自分にしがみつく力が強くなった時、高久は木吉を見た。木吉は澄人を見つめている。高久にしがみつき震えるその様子は顔之尊を前にした時と同じだった。

 高久は澄人の顔を見ることが出来なかった。今はこの動揺を悟られてはならない。高久は今も震える木吉を労わるように背中を軽く叩いてやった。

 木吉が高久を見上げる。不安に満ちた表情を見せている木吉に高久は微笑みを向けた。

「木吉。かんばせ様、なんて言っている?」

 腰を下ろして木吉の目線になった文子が問いかけると、木吉は高久から文子に視線を移した。

「……分からないって」

 後ろから落胆の声があがる。

 木吉は口をとがらせて俯いた。最初から期待に応えることは出来ないことは分かっていても、いざ落胆の声を聞くと悲しくなったのだろう。べそをかきそうな木吉に高久は声をかけた。

「よくやった」

 木吉が顔を上げる。その目には涙の膜が薄く張っていたが、高久の一言に木吉は誇らしい表情を浮かべて前を向いた。だが、高久は木吉が心配だった。産土神と話せる者の末路を思えば木吉の行く末を祈らずにはいられなかった。

 その時、かつん、と音がして高久は振り返った。澄人と文子、耕太も遅れて振り返る。音の正体は村長である上梨かみなしだった。中折れ帽子に洋装、立派な白髭を撫でた上梨は、文子と耕太を見てから厭わしそうに息を吐いた。

「……満足しましたか?」

「え?」

 咄嗟のことで質問の意図が分からなかった文子が思わず聞き返す。だが、上梨は呆れんばかりの表情を浮かべて、ゆっくりと歩き木吉に近付いた。木吉は近づく上梨から逃れるように高久の後ろに完全に体を隠した。

 上梨の顔は穏やかにも見えたが、隠し切れない不快感が声から伝わってくる。上梨は口髭を撫でつけると左手の杖で石畳を叩いた。

 上梨の後ろから現れたのは十代後半の顔のない女性だった。腰まである黒髪、白シャツと黒いワンピースの女性は上梨の後ろで俯いたまま顔をあげなかった。

「……のぞみ?」

 高久は文子を見た。文子と耕太は青ざめた顔を望と呼ばれた女性に向けている。

「この子に全て聞きましたよ。かんばせ様と話せるのは嘘だそうですね。全て自作自演だったと……教えてくれましたよ」

 上梨の言葉にあちこちでどよめきがあがる。

「小さいうちなら、かんばせ様と話が出来て七つを迎えると話すことが出来なくなる……。そんな都合の良い力があるのは可笑しいと思い、調べたらこれです。……十二年もよく、村人を欺きましたね。これで儀式の形は元に戻します。いいですね?」

 有無を言わせぬ力強い声に文子は慌てて進み出た。

「待ってください! 今の儀式が〈顔捧之儀かんばせささげのぎ〉の本来の形なんですよ!」

 文子の訴えを跳ね飛ばすような杖の音が響く。

「あなたもあの人達に何を吹き込まれたんですか」

 上梨の穏やかながらも通る声に文子の息が止まる。あの人達とは文子の言っていた姉さん方のことだ。上梨は冷ややかな表情を浮かべているであろう顔を文子に向けた。

「あの人達は私達の風習を壊そうとしていたのですよ。〈のっぺらぼう〉の方々に邪心はないとあれ程申しているのに、まだそんなことを言っていたのですか。これは嘆かわしいことですよ。そんなに村人のことが信用できませんか」

 穏やかに静かに事が進む。正論の皮を被った言葉を以て、文子と耕太の切なる願いが汚されていくのを高久は目の当たりにしていた。

 ここで軍人の権限を使って自分が止めれば事は治まるだろう。だが、それはやってはならないことだった。文子と耕太がここに残る可能性がある限り、彼らの身の保全を考えれば高久は見守る立場に甘んじなければならない。

「私は、悲しいですよ。子供に嘘を吐かせてまで……それも、村の等級を変えかねない嘘ですよ。この子達に何かあったらどうするつもりだったのですか」

 何も答えることの出来ない文子の代わりに答えたのは耕太だった。

「そうはならないようにしました」

「結果論でしょう。今まで何事もなかったのが不思議な程です。……本当に馬鹿なことをしたものです。望さんは……今日のこの日まで苦しみ続けて来たそうですよ」

 上梨は後ろにいる望に優しく声をかけた。

「怖かったでしょう?」

 望は俯いたまま小さく頷いた。

「……あなた達の独り善がりで傷つく人があってはなりません。そもそも、あの人達は間違ったことをしたから、この村から追い出されたのですよ。それを理解しているのですか?」

 声をあげようとした耕太を文子が手で止める。

「文子ちゃん……」

「耕太。もういい。村長さんの言っていることは間違っていない。うちらが子供達を危険に曝したのは確かだよ」

 文子は望に目を向けた。青ざめた望が文子を見つめている。

「望ちゃん。うちはあなたの命を危ぶむことに巻き込んでしまった。これはうちの責任で、あなたが気に病むことではないから気にしないで欲しい。巻き込んで、ごめんなさい」

 文子は深々と頭を下げた。耕太は悲痛な表情を堪えながら望に向かって頭を下げた。

「耕太……」

「文子ちゃん。うちじゃなく、うちらでしょう。これは僕達が始めたことよ」

 耕太は頭を下げたまま続けた。

「望ちゃん。これは文子ちゃんだけじゃない。僕もよ。あなたの心の内を思いやれなかった。ずっと苦しませて……ごめんなさい」

 途端、望は顔の表から大粒の涙を浮かび上がらせた。

「違う……」

 震える声で訴える望に上梨が慌てた様子を見せた。

「望さん!」

「村長さん。私はやっぱり、無理です……」

 目のない顔から大粒の涙が次から次へと浮かび上がり、頬を伝って流れていった。

「私は、家族が大切です。でも……村長さんの為に嘘は吐けない」

 望の告白に周囲はざわついている。村長である上梨は顔面蒼白になって周囲の顔色を窺い見るように左右に顔を動かしていた。

「私が嘘を吐いたのは、今日まで嘘を吐くことを苦に思わなかったのは、文子ちゃんと耕太ちゃんが私達を守ってくれたからです。……〈のっぺらぼう〉の皆さんのお気持ちを思えば、我慢しなきゃいけないと思っていたことを……親ですら肯定してくれなかったことを、文子ちゃんと耕太ちゃんは可笑しくないと言ってくれたから」

 震える声で文子は続けた。

「それなのに……父と母の仕事を……今の仕事を辞めさせることが出来ると村長さんに何度も言われて……私は……」

 望はとうとう崩れ落ちた。声を殺して泣く望に駆け寄った文子はその体を抱き締めた。

「文子ちゃんごめんなさい。私のせいで皆が頑張ってきたことが無駄になっちゃった……」

 嗚咽まじりの悲痛な声が周囲に響く。

 その場に居る人々は困惑した表情を上梨に注いでいた。

「村長……それはいくらなんでも、やりすぎじゃないか……」

 見かねて声をかけた男性の声を上梨は払いのけた。

「……悪いのは私ではありません。我儘な理由で儀式を変えようとした彼らが望さんを巻き込んだのです。姉さん方に何を吹き込まれたか分かりませんが、大人の異性が子供の顔を触るのが異常という言い分は〈のっぺらぼう〉の一族の皆様の対する侮蔑に他なりません。私が望さんを問い詰めなければ、〈顔捧之儀〉はずっと歪められたままでした。望さんにここまでさせたのは文子と耕太の責任です」

「それは違う」

 静かな声にその場に居る者の体が硬直する。上梨は驚いた様子で高久に視線を移した。

 高久はこのまま動向を見守るつもりでいたが、上梨の過ぎた言葉を見過ごすことは出来なかった。子供を導き育てる大人がしてはならぬことを上梨はしてしまったのだ。

 静かな声に似つかわしくない高久の鬼のような形相とただならぬ雰囲気に上梨は思わず後ずさりした。

 高久はよく通る声で言った。

「上梨さん。〈のっぺらぼう〉の一族の方に悪意がなかろうと、大人の異性が子供に触れる行為は違法です。例え、〈のっぺらぼう〉の一族に邪心がなかろうと、心の善悪と行動の善悪が繋がることはありません。上梨さん。あなたは長年に渡って子供の声を黙殺した。その行為は許されるものではありません。ましてや、子供に責任をなすり付けるなど、あってはならない!」

 高久の叱責に上梨はみるみるうちに真っ赤な顔になった。顔がない為にしおれた赤い果実のようにも見える。それでも上梨は努めて変わらぬ調子で返した。

「私は、村長として〈顔捧之儀〉を守る義務があります。〈のっぺらぼう〉の方の名誉を守る義務があります。あなた達は子供を盾にして自分の正当性を示したいだけです。そのような行為に私は屈しません。――〈のっぺらぼう〉の方達の為にも」

 高久は瞬時に上梨には話が通じないことを理解した。自分の正当性を示したいのは上梨に他ならないことを悟った。自分の正当性を示す為にあたかも他人が間違っていると錯覚させるように仕向けている。

 そういう相手には例え、何を言ったとしても通用しない。

(こうなった以上、文子さんと耕太さんをこの村に置いてはいけない。望さんという子もだ。〈白幹ノ国しろもとのくに〉に一度、連れ帰り、詮議を進めた上で――)

 高久の思考を止めたのは、柏手だった。

 手を叩く音は軽やかでありながら波紋を起こすように広がり、鐘のような音の余韻を残していった。周囲が声をなくしたように静かになり、顔は音の出所に向けられた。高久は音の出所を知っている。だからこそ、振り向くことが出来なかった。

 柏手をしたのは澄人だった。澄人は合わせたままの手を下ろしてゆっくりと歩き出した。鐘の音のような余韻に人々が呆ける中で澄人は高久の横を通り過ぎ、木吉をちらと見てから頷いた。澄人は上梨を前に立ち止まるとその顔を凝視した。

 上梨は顔のない澄人を前に息を呑んでいる。誰もが上梨を見つめる澄人を、固唾を呑んで見守っていた。

 上梨は自分を凝視する澄人から目を離すことが出来ないようだった。顔を歪めているのが顔の影で分かる上梨に対して澄人は表情の見えぬ顔を上梨に向けている。

 波打つような静寂に誰もが動けずにいる。時折、風がそよぐ度に聞こえる遠くの鈴の音だけが静寂を断片的にかき消した。

「……そうでしたか。何か大層な理由があるのかと思ったのですが、そうではないようですね」

「は?」

 上梨の間の抜けた声に澄人はもう一度柏手をした。軽やかな音ではない。鐘を鳴らした時のような音の響きを伴って周囲に広がる音だった。

「さあ、村長さん。こちらへ」

 澄人が上梨の両肩に手を置いて歩くように誘導する。上梨は戸惑いながらも澄人のなすがままに歩いていた。

 上梨が誘導されたのは本堂の前だった。顔之尊を前に上梨は息を呑んだ。

「村長さん。顔之尊様の顔をそのまま見つめてくださいませんか」

「何故」

「いいから」

 力強い声に上梨はしぶしぶ従った。いや、強制的に体が動いたと言った方が良い。だが、それは上梨以外の誰も知り得ないことだった。

 上梨は顔之尊の顔を見つめた。氏子である上梨と同じ、顔のない産土神。〈顔無之村〉を見守り続けた産土神の御尊顔を、上梨は通常ではあり得ぬ程、長い間見つめていた。

 風の音は止み、鈴の音も聞こえてこない静けさの中で上梨は己の村の産土神の顔をただ、見つめていた。

 長い静けさを切り裂く絶叫が聞こえたのはしばらくしてからだった。杖が石畳の上に落ちた音を合図にその場に居た全員が我に返ったように互いを見合っている。人の声から出たとは思えぬ絶叫が上梨のものと気付くのに時間はかからなかった。上梨は頬に手を当てたまま地面に膝をつき、声にならない嗚咽を漏らしている。

 澄人は憔悴しょうすいしきった上梨を静かに見下ろしていた。

 それは聖者に許しを乞う罪人のように美しくも滑稽な構図だった。

 声にならぬ嗚咽を漏らす上梨に近寄る者が誰もいない中、二度目の柏手が聞こえた。澄人のものではない。何度も手を叩く音は明るい声と共に近付いてきた。

「はいはい! 皆さん。それまでよ」

 その場に似つかわしくない明るい声音で語尾を伸ばし、人の間を通り、体を滑らせながら進み出たのは伊織いおりだった。伊織は膝をついて震える上梨を見ると、あらら、と言いながら駆け寄った。

「村長さーん。聞こえていますか?」

 上梨は伊織を見た。顔がない為に分からないが焦点の合わない目をしているのだろう。上梨は伊織に気付くと慌てて頬に当てた手を地面につけて這いつくばった。石畳を引っかくように這う手を動かして上梨が頭を下げたのは顔之尊が坐す本殿だった。

「お……お許しください……どうか……」

 上梨は力なく呟いて頭を垂れた。伊織は上梨の傍にしゃがむと、震える肩に優しく手を置いた。

「村長さん。何もかも元に戻しましょうね」

 何度も小さく頷き震える上梨の肩を何度か優しく叩くと、伊織は立ち上がった。

「高久さん。澄人さん。みっともない所をお見せしてしまいましたね。村長さんに代わりお詫び申し上げます。もうすぐ日が暮れます。ここの日暮れはあっという間ですから、本日はこれにてお帰り下さい」

 伊織は深々と頭を下げた。有無を言わせぬ力強さに却って高久の方が焦ってしまった。

「その前に、確認したいことがございます」

 高久は文子と耕太を見た。事が進む前に文子と耕太、望を〈白幹ノ国〉に連れて行かなければならない。高久の言いたいことを悟った伊織はきっぱりと言い放った。

「大丈夫です。この子達は私が守ります」

 満面の笑みを見せる伊織を前に高久は毒気を抜かれた。

「この後のことは、私にお任せください。……それからお願いがございます」

 伊織は周囲を見回すように顔を動かした。

「このことを〈白幹ノ国〉にご報告してください」

 一斉にどよめきがあがる。戸惑う抗議の声を前にしても伊織は動じることなく高久に笑みを向けたまま説明を続けた。

「例え等級が変わろうとも、それは私達の責任です。不当な追放があったことも含め、ご報告お願いいたします。そして、駐在武官の変更を要請します」

「そんな……村長がこうなのに勝手なこと……」

 戸惑う人の声がこだまする。

「勝手なことじゃない。避けてくれないか」

 騒ぎを聞きつけた源九郎が人の間を通り抜けながら伊織の元に駆け寄った。

「勝手なことじゃないって……」

 どこからか聞こえてきた声に源九郎は答えた。

「村の掟として、村長に任務の難しい場合、伊織が代わりを務めることを上梨さんが許可している」

 その言葉は村人の戸惑いを一蹴するには十分な理由だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る