二 違和感

 分厚い雲に覆われているのか、黒漆くろうるしを塗り込めたような真っ暗な空には星ひとつ見えない。まるでとばり幾重いくえにも下ろしたような黒々とした空だった。

 三方を山に囲まれた村は夜の訪れが早い。夕焼けが村を赤く染め尽くしたかと思えばあっという間に夜が訪れた。

 それでも、村の夜は意外にも明るい。村の入り口から端まで続く橙色の街灯が村全体を照らしているからだ。

 村は赤い三角屋根が特徴的な村だ。半木骨造はんもっこつぞうと煉瓦造建築の家々が大きく間を開けてゆったりと建ち並ぶ。煉瓦敷きの街路や街路の両脇を彩る花壇のひとつひとつに細やかな手入れがされていると分かる程、村の人々の手が隅々まで行き届いている村だ。

 静寂古雅せいじゃくこがの村、とある小説家が表現した村は今、喧騒に満ちていた。

 羽坂はざかは街灯に照らされた村の中で、一人の若者と地中電線の点検をしていた。街路の端にもうけた管路かんろ暗渠あんきょ式になっており、地上から点検する際に煉瓦を蓋代わりにして開閉出来るようになっている。

 だが、普段は開閉出来ないようになっている為、開ける作業が難儀なものだった。中には長いこと開けていなかった為に土で固められてしまったものもあった。まずは煉瓦の隙間に詰まった土を取り除いて開けられるようにする。この作業を昼前から繰り返していたそうだ。

 羽坂が桐ケ谷きりがや令人のりとを村に送り届けた時には、ようやく半分以上を終えた所だったらしい。

 羽坂も手伝いに加わって、作業を終えたのは夕餉ゆうげの時間もとうに過ぎた頃だった。

 最後の点検を終えた時、若者は首を傾げた。

「おかしいなあ。電線に問題はないみたいなんだけど、なんで電話だけ繋がらないんだろう」

 そう言ったのは高久たかひさあおいだった。碧は高久の十歳年下の弟だ。高久に全く似ていない人懐っこい顔を羽坂に向けた碧は申し訳なさそうに表情を変えた。

「羽坂さん。もう暗いので今日はここまでです。ここが問題ないなら、村の外の電線なのですが、今日は……妙に暗いので明日にします」

「ああ。大丈夫だ。連絡は気にしないでくれ」

 羽坂の気遣いに碧は申し訳なさそうに頷くと、懐中電燈を消した。羽坂も手伝いながら煉瓦の蓋を元に戻すと、外れないように踏み固めた。

 煉瓦を足で踏みながら碧は、深いため息を吐いた。深いため息を吐きながら、碧はもうお風呂に入りたい――とぽつりと呟いた。

 それもそのはず、ずっと地中電線の点検作業を続けていた羽坂と碧の服は土埃で汚れ、肌は汗でべとついていた。羽坂は肩に掛けた手拭いで額の汗を拭った。作業の為に着替えた詰襟つめえりシャツとスラックスは所々、土に汚れてしまっていた。

「羽坂さん。遅くまでごめんなさい。服も貸すことが出来たら良かったんだけど」

 羽坂は大丈夫だ、と手を振った。身長と体型を考えても服を借りることは出来ないのは分かっているから、念の為に着替えはちゃんと持ってきているのだ。

「汚れてもいい服だから気にするな。それより不具合が直るといいな」

「あぁ、もう、本当だよ。今日は朝からこの調子なんだよ。あ、そうだ。羽坂さん。良い酒が入ったんですよ。一緒に飲みません?」

 調子良さそうな笑みを見せながら言う碧に羽坂は高久と兄弟であることを不思議に思う。思ってから、いや、どちらかと言うとただすに似ているんだな、と思い直した。

 高久と糺は顔こそ似ているが、性格は真逆だった。根幹は似ているが、話し方と性格も全く、違っていた。

 静かに笑う高久に対して、糺は明るく笑う人間だった。悪戯した子供のような笑みを見せて、とんでもない提案をするのが糺だった。

 ――ちょっと抜け出して、純喫茶行かない?

 糺がそう言って笑う顔に碧はよく似ていた。

「それは良いな。お前さんと飲むのは楽しそうだ」

「でしょう!」

 やはり調子がいいな、と苦笑していると碧は声を上げた。

「あ、羽坂さん。俺のこと、兄さんに似ていないって思ったでしょ。で、その後で姉さんに似ているって思ったでしょ」

 図星だ。こういうさといところも糺に似ている。何も言わずにいると、碧は何とも言えない顔をして歩き出した。その後に続いて羽坂は碧の隣を歩いた。

 しばらく歩いてから、碧は躊躇いがちに聞いた。

「……兄さん、元気?」

「ああ。元気だよ」

「そっか……。なら、良かった」

 碧との会話は言葉を選ぶようなものだった。

「……でも、俺達が居なくても大丈夫みたいで寂しいな」

 続けて独り言のように吐き出された言葉に羽坂は目を開いた。碧は、ぱっと顔を上げると、片手を振った。

「羽坂さん。今の無し。ごめん」

 そう言って碧は気まずそうに顔を伏せた。しばらくの沈黙の後で、碧は気まずそうな表情のまま、ようやく、口を開いた。

「……羽坂さんだから言っちゃうけどさ、本当は兄さんに、会えないのが……寂しい」

 碧は、ああ、もう、と吐き出すように言った。

「羽坂さんにも言うつもりなかったのに。情けないな。俺」

「そうか?」

「ええ? だって羽坂さん、寂しく思うこと、ないでしょう?」

 碧に言われて羽坂はそうだなあ、と顔を上げた。

 空は変わらず真っ黒なまま、僅かの星すら見えなかった。まるで〈白幹ノ国しろもとのくに〉の夜空と違う。〈白幹ノ国〉の空は淡い闇だ。白い世界がそうさせるのだろう。〈白山はくざん〉の白さが夜の黒さを和らげてしまうのだ。

 国のどこに居ても見える〈白山〉の姿を浮かべた時、羽坂は急に歯が浮くような、嫌な感覚を覚えた。

「……いや、寂しくなることは、ある」

「えっ」

 碧から声が上がり、羽坂は苦笑しながら碧を見下ろした。碧は驚愕の表情を浮かべている。

「おい。お前さん。俺を何だと思っているのよ」

「ご、ごめんなさい……。なんか、羽坂さん、寂しいとか、あまり想像出来ないなって……」

 そうなのかあ、と呟く碧に羽坂は言った。

「口寂しいとか、あるだろ?」

 羽坂が煙草を吸う素振りをしながら、にやりと笑うと、碧は噴き出すように笑った。ひとしきり、笑った後で碧は羽坂の背中を叩いた。

「もう! 煙草じゃなくて、遠く離れている人に対する気持ちだよ! 羽坂さんはいい加減に禁煙した方が……」

 碧があれ、と声を上げる。

「禁煙、してなかったっけ……」

 碧が不思議そうな目を羽坂に向ける。羽坂は高久に言われたことも含めて、本日二度目の禁煙という言葉に苦笑した。

「俺がすると思うか?」

「確かに。羽坂さんが禁煙する訳ないか」

 碧はやれやれと言わんばかりに笑った。

「でもさ、澄人すみとさんと五日間、離れるんでしょう? 寂しくないの?」

 碧は悪戯をした子供のような満面の笑みを向けた。

 馬鹿言え。寂しい訳あるか――と羽坂が口を開いた時、口をついて出たのは全く別の言葉だった。

「そうだな……。寂しい」

 羽坂は目を開いた。思わず出た言葉にしては妙な違和がある。まるで実感を伴うような言葉だった。その違和に手が届きそうになったその時、柔い風が頬を撫でた。まるで春の訪れを告げるような温かい風だった。

「今日の風は温いなあ」

 碧は、ぽつりと呟いた。

 羽坂が碧を見下ろすと、碧は歩きながらも、ある方向を見つめていた。碧の目線の先には大樹がある。樹齢五百年を超えると伝わる大樹は街灯に照らされて橙色に艶めいていた。

 高久と似ていない人懐こい顔の、黒い瞳が橙色の光で煌めいている。しばらくの間、大樹を見つめていた碧は頷いた。

「うん……。俺も、寂しい。この年になって何を言っているんだって言われそうだけどさ、俺、やっぱり兄さんに……」

 この後の言葉を碧は言わなかった。言おうとした言葉を呑み込むように口を閉じた碧は羽坂を見上げた。

「なんでもない。羽坂さん。いつものように兄さんに伝えて。……兄さんが決めていいんだよって」

 どこか泣き笑いの表情を浮かべた碧に羽坂は何も答えることは出来なかった。それは本心ではないのは分かっていたからだ。

 碧はすぐに大樹の根元へと視線を移した。大樹の根元には点検を終えただろう人が集まっていた。

「点検の報告、しないとね。後は何もないと良いなあ」

 そう言った碧は羽坂を見上げると、何事もなかったように人懐っこい笑顔を見せた。

 そこから二人は無言で大樹の根元まで歩いた。



「碧! どうだった?」

 碧に声を掛けたのは、村の通信管理者だった。五十を過ぎた白い髪の女性は丁度、他の人とのやり取りを終えた所だった。

美代みよさん。電線は問題なしです」

「はい。これで村の電線全てに異常がないことが分かりました」

 美代は目を開いて頷いた。碧は頷いてから、美代に言った。

「思うんだけど、電線に異常はないんじゃないかなぁ」

 碧は唸りながらも最後は消え入るような声で言った。報告を受けた美代も同じように唸っている。

「そうなのよねえ。生物対策はしているし、余程のことがなければ地中に埋まっている電線に異常はない。だけど、配電盤に異常がない上に、繋がらないのは電話だけ。電線が何らかの異常で断線したとしか考えられないのよね……」

 美代は唸ってから、手を叩いた。

「はい。今日は終わり。後は郵便配達員の人に手紙を頼んで〈白幹ノ国〉から技術者を呼びましょう」

「村の外の点検は?」

 碧が聞くと、美代は片眉を上げた。

「したいところだけど、勝手なことをすると等級に関わるから……っとごめんなさい」

 美代は言葉を切ると、申し訳なさそうに羽坂を見上げた。

「何も聞いていませんよ」

 羽坂が微笑むと、美代は笑みを浮かべた。

 現に羽坂はこのやり取りを報告する気は全くない。それは羽坂が駐在武官ちゅうざいぶかんではないからだ。

〈白幹ノ国〉が管轄する国、町、村にはそれぞれに産土神の危険度を指す等級がある。

 それは国、街、村各自の報告書と、駐在武官の報告に委ねられる。ともすればそこに住まう人々の評価を決めかねない報告だ。故に公平を求められる為、生半可な人間では務まらない軍職だ。

「本当、あなたって相変わらずね」

 美代は頷くと、思い出したように声を上げた。

「そうだ。羽坂さん、あなたに聞きたいことがあるのよ」

「何でしょう」

「変なことを聞いていると思うのだけど、〈迫桜高原ノ乱〉って何年前?」

「……一年前、ですね」

 羽坂は妙な質問だと思いながらも、答えた。

「やはり、そうよねえ……」

「どうしたの?」

 唸る美代に碧は問いかけた。美代は一瞬、迷った様子を見せたが周囲に誰もいないことを確認すると、声をひそめた。

「……あのね、あなたなら大丈夫だからここで言うけど、それだとおかしいのよ」

「おかしい……ですか?」

 羽坂が問うと、美代は頷いた。

「村が騒がしいのはね、電話の件だけじゃないの。私達、双子を送るでしょう。だから誰を何年に見送ったか、というのは分かるのよ。おかしい所は何もないの。ただ……」

 美代は言葉を切って、碧を見た。

「……碧。真倉まくらゆうを見送ったのは、何年?」

「三年前でしょ。忘れないよ。だって……」

 碧は何かに気付いたようで、目を開いた。

「あれ……ちょっと、待って……真倉と悠を見送ったのは〈迫桜高原ノ乱はくおうこうげんのらん〉の時だから、それだと……おかしくない?」

 碧は混乱しながらも、声をひそめて、言った。

「そうよね。私、真倉と悠の時、〈迫桜高原ノ乱〉の時だって記憶していたのよ。そうすると一年前になるでしょう」

 美代に言われて碧は頷いた。

「確かに。でも美代さん。一年前は綾瀬あやせかさねだよ」

「そうなのよ……。私、勘違いしていたのかしら」

「俺も勘違いしていたよ。でも、軍人の羽坂さんの言うことに間違いないから記憶違いだね」

 そうでしょ、羽坂さん、と言った碧に羽坂は頷くことが出来なかった。膨れ上がる違和を逸らすような柔らかく温い風が大樹の木の葉を揺らすように通り抜けていった。

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