五〈帝国総司令部〉

 辻馬車つじばしゃは〈帝国総司令部ていこくそうしれいぶ〉の前を通る道、〈白ノ前しろのまえ通り〉の手前で停まった。

 石畳はすっかり乾いており、石畳を照り返す光の、突き刺すような強さが幾分か和らいでいた。

 辻馬車を降りた高久たかひさは扉を開けた御者に半券と通行許可証を手渡してお礼を言うと、〈帝国総司令部〉通称、総司令部を仰ぎ見た。

 門の先には圧倒される程に横に大きい白と銀の装飾が印象的な建物がある。横だけではなく縦にも大きい七階建ての建物は、当時の職人の最高技術を駆使して建てられた煉瓦造建築であった。

白幹ノ国しろもとのくに〉の中でもひと際目立つ白い建物だ。同じ白でありながら圧倒的な存在を放っている。

 高久の立つ場所からは、目の前の建物の他、何も見えない。

 あえて、そういう作りにしているのだ。

 総司令部は民間地区と区別する為に煉瓦造りの城壁で囲まれている。冠木門かぶらきもんを基調とした正門は出入りする馬車と車の為に広く取られていた。門柱を繋ぐ鉄のアーチと門扉は黒で統一され、〈白幹ノ国〉の国花である〈白守はくしゅ〉があしらわれている。

 鉄の門扉は出入りする馬車と車の為に常に開け放たれ、開放的な雰囲気があった。

 しかし、門の前には常に十人の門番が控えており、それぞれが手分けしながら出入りを絶えず監視している。

 馬の耳がぶるりと震えたのを視界の端で見た高久は御者に問うた。

「中で休んでいかれますか?」

「ああ、嬉しい申し出なのですが、今日は何やら、落ち着きがないようなのでここで遠慮します」

 御者はそう言いながら、馬の首を撫でた。馬は白銀しろがね色に輝く硝子玉のような目を瞬かせた。艶やかな白い毛並みから〈白幹ノ国〉で生まれたと一目で分かる馬だった。馬は目を瞬かせながら、それでもどこか落ち着きのない様子で太く立派な足を動かしていた。

 御者は手のひら全体を使って馬を力強くでた。

「ああ、分かった。分かった。高久軍曹。すいませんが、この子がここから離れたいようなので、戻ります」

 白目を見せながら鼻息を荒くする馬を見て、高久はうなずいた。

「引き留めてしまって申し訳ございません。ありがとうございました」

 御者は片手で帽子を取り、胸に当てて頭を下げると、帽子を被り直して颯爽と御者台に乗った。

 辻馬車が〈白幹ノ帝国駅しろもとのていこくえき〉へと向かう背中を見送ってから、高久は〈白ノ前通り〉を横切って門の手前で止まった。門の手前まで行くと城壁の威圧感が眼前に迫る。城壁は両脇とも目視出来ない程、遥か先まで続いていた。

 門扉の前に立つ門番の一人に声をかけて高久が中に入った途端、あちこちで声が聞こえてきた。その中には切羽詰まった声も聞こえ、何人かの軍人が大量の書類を両手に建物から出て来るのが見えた。

 いつもと違う総司令部の様子を馬は本能で感じ取ったのだろうか。いつもなら馬を休ませる為に水飲み場で水を飲ませる辻馬車の姿が見えない。

 高久はどこか騒がしい総司令部内を怪訝けげんに思いながらも、目の前の建物を見た。軍と関わりのない民間人が総司令部と勘違いする白と銀の装飾の横に長い煉瓦造建築が、高久が所属する教育総監部の建物〈教育総監棟きょういくそうかんとう〉である。

 半円アーチが印象的な大きな窓には空の色が映っていた。

〈教育総監棟〉が入り口に近いのは、白幹ノ中央幼年学校しろもとのちゅうおうようねんがっこうに向かいやすいようにする為だ。幼年学校はあくまで軍人となる前の教育機関の為、総司令部の中に含まれない。その為、〈教育総監棟〉は入り口に近い場所にある。

 常に両扉が開け放たれている〈教育総監棟〉からは人の出入りが絶えない。

 高久が〈教育総監棟〉に向かって歩き出した時、背後から声をかけられた。

「高久軍曹」

 高久が立ち止まり、ふり返ると、参謀本部総務課さんぼうほんぶそうむか宮生みやおゆかりが書類を片手に立っていた。〈白守〉の花が二つと葉が五つあしらわれた襟章は中尉階級を示していた。

 宮生は顎で切りそろえた短い黒髪の、眼鏡をかけた二十半ばの砲兵聯隊ほうへいれんたいの将校だ。左頬から鼻の上にかけて広がる大きな傷跡がある。先の戦争によるものか、実験によるものなのか、宮生の首と右手首はギプスで固定されていた。

「宮生中尉」

「先程、辻馬車に乗車されていましたよね。よろしければ半券ここで受け取ります」

「よろしくお願いいたします」

 高久は辻馬車の半券を宮生に手渡した。その時、二人の脇を何人かの軍人が走り抜けた。

「今日は何やら騒がしいようですが、何かありましたか」

 高久が問うと、宮生の顔がさっと曇った。

「私からはまだ、申し上げられません。何か分かったら近々、教育課の方達にもお話を伺うことになると思います」

「分かりました」

 万年筆を取り出した宮生は慌ただしい様子で歩く人々を見ながら言った。

「ただ……参謀本部だけではなく、教育総監部も何かあったようですね。今日はあちこち忙しないような気がします」

 高久は頷いた。

「確かにそうですね……。戻ったらなにかあったか聞いてみます」

「こちらも何か分かったらすぐに共有します。高久軍曹。申し訳ありませんが、半券の裏に名前とお願いします」

 万年筆を高久に手渡そうとした宮生の右手から、万年筆が落ちる。万年筆は地面の上で柔らかな音を立てた。

 高久はしゃがんで万年筆を拾い上げた。

「ありがとうございます」

 宮生の手はわずかに震えていた。高久はその万年筆で宮生から受け取った半券の裏に、手のひらを使って名前を書いた。

「……宮生中尉。怪我の具合はどうでしょうか」

 宮生は手首を見た。

「問題ありません。……と言いたいところですが、機能訓練が長引いています。この通り、手に力が入らず、物を落としてしまいます」

 宮生は苦々しそうに言ってから続けた。

「まだ一年も経っていませんから仕方ないですが、早く治って欲しいところです」

 武器に触ることすら許されませんから――と宮生は苦笑した。

「ご無理はなさらずに、お体を優先してください」

 高久から受け取った半券を確認しながら、宮生は頷いた。

「お気遣いありがとうございます。では半券、確かに受け取りました」

「はい。よろしくお願いいたします」

 高久が頭を下げると、宮生は不思議そうな表情で高久を見上げていた。

「どうされましたか?」

「ああ、いえ。ではこれで失礼いたします」

 宮生は軽く頭を下げると、きびきびとした動きで早々に歩き去った。

 軍用車の警笛が門前で鳴り響く。馬のいななく音を聞きながら、高久は再び〈教育総監棟〉に向かって歩き始めた。背後から絶えず警笛が聞こえ、軍人と何度もすれ違う。

 宮生だけではない。あちこちで包帯が取れていない軍人の姿が見える。〈迫桜高原ノ乱はくおうこうげんのらん〉の規模を考えれば無理からぬことだった。

「――澄人すみと少尉が」

 ふと聞こえた声に高久は立ち止まった。だが、誰が口にしたのかは分からなかった。高久は嫌な予感を覚えながらも〈教育総監棟〉の中に入った。

 解放的な玄関口を通り、教官階である五階まで階段を使う間、忙しない声があちこちで聞こえてきた。通常でもここまで騒がしいことはない。高久は冷水を浴びせられたように頭が冷えていくのを感じていた。

 軍靴の音絶えぬ廊下を歩きながら執務室へと向かう。すれ違う軍人は互いに顔も見ず書類を片手に足早に歩いている。

 高久は立ち止まると、廊下の窓から外を見た。

 ここから真っ先に目に入るのは〈白山はくざん〉だった。駅から見る山とはまた違った印象がある。

 その時、高久の頭には士官学校時代に何度も歌った校歌が浮かんだ。

 ――ほまれも高き白山しろやまの、せぬ姿を仰ぎては……と何度、歌ったことだろう。

 歌を思い出しながら、白に満ちた山を前に高久は眼下に広がる総司令部の、街並みのような景色を眺めていた。

 軍と関わることのない民間人は、総司令部と聞くと門の入り口から臨む建物のせいもあり、大抵はひとつの大きな建物を思い浮かべる。しかし、実際は違う。

 総司令部は〈白幹ノ帝国軍しろもとのていこくぐん〉が所属する組織名であり、全ての建物と住居、訓練場までも含めた総称である。

 総司令部は十一地区ある〈白幹ノ国〉のうち、二つの地区と〈白幹ノ通しろもとのとおり〉の半分を合わせた土地を有する軍事施設であり、軍人専用の住居地区でもある。

 総司令部は大きく分けて帝国軍省、参謀本部、教育総監部の三つある。それぞれに棟が分かれているが渡り廊下で繋がっている為に外に出ることなく中を行き来出来るようになっている。

 だが、実際は場所によっては一度、外に出てから入り直した方が早いとまで言われる程、建物の内部は各局・各課・各部……と多岐に渡り、複雑に割り当てられている。

 また、三つの建物の他に訓練場、倉庫、図書館などの建物も点在しており、軍に入隊した新人は先ず、総司令部の地図を頭に叩き込まれる。――それも内部まで。数十年軍籍している軍人でさえ、知らない部屋があることは珍しくない。

 それ程までに広大な軍事施設である。

 一見すると軍事施設とは思えぬ、白に満ちた美しい景色だった。〈白幹ノ通〉のように真ん中に石畳の大きな道があり、その両脇に見える大きな煉瓦造りの建物が帝国軍省ていこくぐんしょうと参謀本部だった。右が〈帝国軍省棟〉、左が〈参謀本部棟〉である。〈教育総監棟〉と同じ煉瓦造建築で作られた建物は見た目こそ違うものの、真っ白な姿が圧巻だった。ここからは見えないが、両脇の建物の奥には軍人専用の住居地区と訓練場、様々な建物が点在している。

 そして、両脇に煉瓦造りの建物が続く大きな道の奥には〈白幹ノ帝国軍〉大将が常に控える〈殿ノ前あらかのまえ〉がある。〈殿ノ前〉というのはその名の通り、まほらのおわ殿あらかを護るように建つからである。五階の窓からでもまほらの坐す〈白神ノ殿はくじんのあらか〉は〈殿ノ前〉に阻まれるようにして見えない。

 いつもなら厳かな〈白山〉の下、静けさに満ちている筈の総司令部は騒がしかった。いつも以上に軍用車が行き交い、ここからでも人の声が聞こえてくる。

 両脇の建物からも人がひっきりなしに行き交っていた。そして高久の周囲でも常に忙しない声が聞こえていた。常に冷静沈着であれ、と命じられている軍人達の、珍しい焦りの声が聞こえていた。

 窓から目を離した高久は執務室に向かって歩き出した。

 執務室に入る前から不穏な気配がする。高久が扉の把手はしゅを回し開けると、教官室内に居る人々の目が一斉に注がれた。誰もが困惑した表情を浮かべている。

 部屋の真ん中には誰よりも頭一つ抜けた、背の高い軍人が立っていた。白い軍装と〈白守〉の伸びた枝に咲く花一つと七つ並んだ葉の白銀色の襟章から少将階級と分かるその人は、高久の同期である八代やしろ九重ここのえだった。

 腰まである長い髪を項の辺りで結んだその人は険しい表情を高久に向けている。精悍せいかんで整った顔はどこか焦っているようにも見えた。

 八代は軍靴を鳴らしながら高久に近づいた。

「高久。澄人少尉の顔を覚えているか?」

 唐突に問われた言葉を理解出来ず、高久は怪訝な表情を八代に向けた。

「顔……?」

「そのままの意味だ。覚えているのか、いないのか、答えて欲しい」

 八代の声には焦りがあった。如何いかなる時も冷徹れいてつに事を進める八代の様子に違和を覚えながらも高久は澄人の顔を思い出した。

 自分が受け持った少尉の一人だ。あの顔は忘れようがない。覚えている――そう言おうとして高久は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

 高久は八代を見た。八代は苦虫を嚙み潰したような表情をして目をらした。

「皆、お前と同じ反応だ。澄人少尉の顔を、誰も覚えていない。私も、思い出せないんだ」

 そして――と八代は続けた。

「澄人少尉の顔がなくなった。〈のっぺらぼう〉の一族と同じだ。あの通りの顔になった」

 高久は言葉を失ったまま、立ち尽くすしかなかった。澄人の顔を思い浮かべようとしても浮かぶのは、死に装束のような純白の軍装をまとい、白い御旗みはたを手に立つ姿だった。

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