二
待ち合わせ場所の有楽町駅に到着すると、改札口の向こうで日傘を差して待っている麗子さんの姿を見つけた。
白い半袖のブラウスに、最近流行りのロングスカートをサラリと着こなしている。貞春の一歳年上で今年十九を迎えるというが、その立ち姿はまるで銀幕から飛び出てきた映画女優に負けず劣らずで、誰から見ても美しいと口を揃えて言うに違いない。
本人は周囲の注目を集めていることを知ってか知らずか、貞春が到着したことに遅れて気がつくと顔をほころばせて小走りに駆け寄る。当然男たちから面白くない視線を向けられるのは貞春の役目である。それも随分慣れた。
「お待たせしてすみません」
「いえ、私もちょうどついたばかりですから」
着替えたせいで少し遅れて到着したことを気にしてる素振りも見せず、行きましょうと嬉しそうに手を引かれ歩き出した。
男女の交際が戦時中のように咎められるものではなくなったとはいえ、未だ外で手を繋ぐ行為が一般的とは言えない時代に変に意識して手汗でもかきやしないか――道中はそんな心配事ばかりが頭をよぎって会話の内容もろくに覚えていない。
「今日は楽しみだったんですよ」
邦楽座についてチケットを二人分購入し、横並びに座席につくと耳元で麗子さんが声を潜めた囁いた。映画が楽しみだったのか、それとも自分とのデートが楽しみだったのか、もしくはその両方か――。
思わせぶりな言動に困っている貞春を、面白がっているかのようにコロコロと笑う。まもなく上映時間になり、麗子さんたっての希望で観に来た「銀座カンカン娘」が、スクリーンに大きく映し出される。
笠置シヅ子が演じる春と、高峰秀子が演じるお秋がそれぞれの声楽家と画家になる夢を追いながらも、金銭的な事情で必要な道具すら買えない生活を送っていると、たまたま参加した映画のエキストラで注目を集めた二人は期せずして舞い込んできた歌手への道を進んでいくという内容だった。
正直、貞春は前評判からあまり興味がなく、これも麗子さんの為だと自分に言い聞かせて予定を開けておいたのだが、休みを返上して働き続けていたツケが今頃睡魔として牙を剝いてきた。
これはいけないと、腿をつねったり目を見開いたりして、なんとか起きていようと試みたのだが、気がつくと深い眠りに落ちてしまったようで肩を揺さぶられて起きたときには、既に幕が降りた後だった。
すぐに状況を把握した貞春は麗子さんに精一杯の謝罪をした。「お疲れでしたか?」と少し寂しそうな顔で尋ねられ、申し訳無さでいっぱいだった。
「すみません……。実はあまり寝れてなくて」
「そうなんですか。そんなことにも気づかずにお誘いして申し訳ありません」
「そんな謝らないでください。お誘いしてくれたことは嬉しく思ってますから」
互いが謝りっぱなしで、それがおかしくなって笑い合う。映画館を出ると何故だが急に自分の装いが恥ずかしくなり、相変わらず手を繋いでくる麗子さんに思っていた事を正直にぶつけた。
「あの……どうして僕みたいな冴えない男を好いてくれるのですか?」
一歩間違えると勘違いも甚だしい問いかけだが、実際問題他に魅力的な男性などごまんといる。にも関わらず、どうして自分を選ぶのか貞春には永遠の謎に思えてならなかった。
年下の
ふと、麗子さんと付き合い出したばかりの頃に、まつ江さんから教えてもらった話が脳裏をよぎる。
「女性は男性より成熟する速度が圧倒的に早いの。体も心もね、一早く大人になるための準備を始めるから、同い年の男性だって幼く見えて当然なの。ましてや年下ともなれば、おこちゃま扱いされて当然。余裕がない男はみっともないけれど、せめて頼りがいのある男だと思われるように、行動一つ一つ気を配りなさいな」
思い出して、なるほど、自分に自信や余裕といったものがないから、今感じているような疑問を抱いてしまうのだろうかと腑に落ちた。
麗子さんの答えを待っていると、「少し歩きましょうか」と駅とは反対方向に歩き出したので、断る理由もない貞春は後をついて行った。
映画は午前の上映だったので、陽光が容赦なくアスファルトを照りつける。
尾張町交差点で立ち止まると、服部時計店と教文館ビルが目の前に建っていた。どちらも空襲の被害を受けずに現存している。右には銀座三越と松坂屋銀座本店が。戦後GHQが接収していて、米兵向けの日用品を販売する〝PX〟の看板が代わりに取り付けられていた。
その他にも第一生命ビルにはGHQ本部が、銀座六丁目交差点の一角には進駐軍専用のビヤホールが置かれている。今もなお日本は米軍の占領下にあるんだと、ここを訪れると再認識させられる。
「先程の質問に対する答えですけど、私、どうやらお父様のような努力家の男性が好みである事に最近気がついたんです」
当て所なく歩きながら、数寄屋橋に戻ってくると橋の中央で立ち止まり、「笑わないでくださいね」と前置きをして恥ずかしそうに口にした。
「貞春さんがうちに来て、そばでお仕事を見てましたけれど、尊敬に値する働きぶりだと常々感じておりました。その気持ちが実は恋であることを自覚したのは、お付き合いする直前くらいだったと思います」
「そ、そうだったんですか。正直、麗子さんと僕とでは月とスッポンというか、あまりに格差があるような気がしてならなかったんです」
「そんなことは……」
「麗子さんなら、そんなことないと仰るでしょうが、恥ずかしながら女性経験が一度もないもので……。だから、僕を好いてくれる理由をちゃんと聞いてみたかったんです」
社長に勧められるがまま付き合いだして、気持ちの整理がついていなかった事や、今は仕事で手一杯で恋愛も自分には早いと考えていることを打ち明けた。
全て聞き終えた麗子さんは、菩薩のように優しく微笑みながら貞春の手を強く握りしめた。
「そういうことでしてたら、ゆっくりと時間をかけてくださって構いません。私の気持ちが嘘偽りがないことを信じてもらえるように、できる限り頑張りますから」
そう言うと胸に枝垂れかかってきて、咄嗟に身体を抱きしめた。欲情からではなく、バランスを崩して倒れては危ないと思っての行動に、胸の中でおかしそうに笑うと離れててしまう。
「少し、急ぎすぎでしたかね」
「さすがに、心の準備といいますか」
言葉を濁して、その日は上野に帰ることとなった。
麗子さんの言う通り、時間をかければ彼女のことを好きになるのだろうか。貸し与えられていた部屋に戻って、引きっぱなしの煎餅布団の上に寝転がりながら自問自答を繰り返すうちに、外では線香花火に似た太陽がゆっくりと西に沈んでいった。
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