誰にも一抹の真実と秘密――〈教皇選挙〉
ダン・ブラウン原作の映画〈天使と悪魔〉でユアン・マクレガー演じる美貌の
その名の通り、教皇の死去で空位となった
誰が選ばれるのか、という結末はある程度予想がつくものの、そこに至るまでの経緯が面白い。それはコンクラーベを取り仕切る主席枢機卿で主人公のトマス・ローレンス枢機卿の、こんがらがった状況を解き明かそうとする行動そのものがではなく、教皇という権力の座を求める登場人物の見せる行動が。
かつては、神に仕えるという信仰心をもって召命に応じたのだろうに、いつの間にか、性欲や名声や世俗的煩雑さに負けたり押し潰されてしまった、生身の人間の。
誰が選ばれるかでローマ・カトリック教会のカラーががらりと変わるので、外から見ると世俗の政治家の選挙戦そっくりだ。
一枚岩に見える教会も内部はそうではない、ということを、
「結局、同じ言語の者同士で集まっているじゃないか」
と保守派のテデスコ枢機卿は舌鋒鋭く指摘する。
ま、それも彼に言わせれば「ラテン語でミサをするのをやめたから」なのですが〔**〕。
管理者としては有能で良心的に見えるローレンス枢機卿でさえ、コピー機もろくに使えないし、日常の雑務を
それでも、俗世のそれと比べて救いがあると思えるのは、そこにまだ“信仰”があるから。
たとえ“彼”が選ばれなかろうとも、教会はまだ何とかなるだろうと思わせてくれるのは、新任の若いメキシコ人・ベニテス枢機卿が夕食の席で、“この食事にあずかれない人たち”と“食事を用意してくれたシスターたち”に対して祈りを捧げるシーンと、コンクラーベ初日にローレンス枢機卿が自分の言葉で信仰と疑念について説教をするシーンだ〔***〕。
私はこのシーンの中に、「主は私の票が選出されるべき方に与えられることを審判なさる」――という、投票の際に唱えられる祈りの体現を見た。
…不可知論者だってたまには“神”を感じるのだ。
ひとりの人間の中に、そしてひとつの組織の内部に、自分(たち)の“正しさ”について揺れ動く思いを抱えている人がいるうちは――秘密の中に多様性を孕んでいる間は――その人は、その組織は、ゆっくりではあるかもしれないけれど変わることができる。
* 前情報ナシで観て、カメルレンゴの顔が大写しになった時に、相方が「いい人そうだけど、この人が犯人かもしれないよ」と言うのに対し、私が、
「もしそうだったとしても余裕で許せるね」
と言い放ったほどの美形。原作でもそれに輪をかけた美形。
でも、そんな美しいカメルレンゴにも、それなりに胸毛はあるんだよなあ…。
** 英語、イタリア語、ラテン語にスペイン語(!)までが縦横無尽に飛び交うこの映画の中で、この人のイタリア語を聴いているのが楽しかった。言ってることはひでえんだけど。ローレンス枢機卿の名前「トマス」を呼ぶときに、わざと「トンマーゾ」〔伊〕って言ってるように聞こえるのは私の空耳かなあ(笑)。
*** 「トマス」って名前も考えてみれば意味深。
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