マーラの物語
岩田わくも
第1話 占い館のマークおばさん
「よーくのぞいてごらん。その水晶玉の中に、お前の、人生が見えるよ」
マーラの身元引受人、丘の上の農場主のマーキュリー婦人から頼まれた薬を受け取りに、ここ占い館にやってきていた。薬を調合しているマークが、薬研の手元から目を離さず横目で言う。
マーラは、澄んだブルーの瞳を大きく見開いて、その瞳がはっきり映るほど真剣になって食い入るように、深紅の座布団の上で重々しく輝く水晶玉を覗き込んだ。
映し出される壁の時計が、まあるく歪んだ窓枠が、次第に形を変えてまだ見ぬ自分の人生になっていくのか…穴が開くほど覗き込んでも何も変わりはしない。
マーラは、自分の人生がつまらな過ぎて何も映し出されないのかとガッカリしながら、目を閉じて、もう一度ゆっくり深呼吸し気持ちを集中させて目を開けた。
水晶占いを商売にするマークの占いの館は、船の交易で栄える港町ポート・レンタスを見下ろす坂の途中に有る。高台に一際目立って目に飛び込んでくる森に囲まれた白い教会を目指し、その教会まで真っ直ぐ伸びるサンザニストリートを歩いて、本格的な坂にかかる手前の交差点。港町二丁目を右に曲がって三軒目、細い路地に面したところに奇妙としか思えない不気味な看板を出して占いの館は開業していた。
『占い館』という名のとおり、よく当たると評判のマークの水晶占いには、店の真ん中に据えられた大きな水晶玉が大活躍する。その他に街の上客に頼まれて薬の調合もする。
マーク愛用の薬研、薬を測る天秤。店のショーウィンドウには、醜いコウモリの干物も飾られていたし、リスから取り上げた蛇の皮。イモリのリキュール漬け、曲がったコンパスや関節や肘の痛みに効く生薬。ありとあらゆるものが少々ほこりをかぶって忘れられたように並んでいた。
「見えないか、どうしてかな?お前には見えないかもしれないけど、私にはよく見えるよ。お前の将来は輝かしい光に満ちている。
近いうちに誰かに会うよ。探してた人か、向こうがお前を探してたか、とにかく久しぶりに会う懐かしい人だ。赤ちゃんの時会ったままならマーラには記憶がないかもな。判別はできないか…それともまだ会ったこともないかもな。
まてよ、金運もありそうだね。マーキュリーおばさんの言うことをよく聞くんだ。真面目に仕事をすれば必ず良い事があるよ」
マークは意味ありげにマーラに微笑みかけて頷きながら、マーラには欠片も見えない水晶の中の将来とやらに、笑ったり、顔をしかめたりしてご満悦な顔をして手をかざした。かざした手がポカポカと温かい。この温かさなら悪いことはないと自信ありげにマーラを見てまた微笑んだ。
マーラは10歳の時からマーキュリーの農場に厄介になっている。ポート・レンタスからバスに揺られて10分くらいの農場。そこで小さな畑とビニールハウスをもらって植物の研究をしていた。ビニールハウスの横に、調理場の付いた家畜小屋。何頭かのヤギや羊がお父さんの残した遺産だった。
マーラが困らないようにマーキュリーにマーラの生涯を託してこの世を去った父。マーキュリーはその意思を継いで町の者共々マーラを大事に育てた。
週に一度、おばさんから頼まれて消化不良によく効く薬を取りにこの『占いの館』までやってくる。マークの調合する薬は、なくなると痛くなる、マーキュリーのお守りみたいな大切な薬だった。
「まだ、時間かかりますか?」
マーラがたずねると、
「あと少し、このナツメグが堅いね。粉々につぶすのに時間がかかる。
マーラ、そのポットに入った紅茶を飲んでごらん。ミルクをたっぷり入れてね。私が調合したミルクティー用の紅茶だ。この町の硬水によく合う。
帰りに茶葉を少し持って帰ると良い。マーキュリーも好きな味だからね。お前がいれてやっておくれ」
マーラは、ポットから紅茶を注ぎながら、鼻空を刺激する複雑な香りに目を閉じて、愛おしむようにゆっくり深く呼吸した。
「ホントにいい香り。マーキュリーおばさんも大好きな紅茶ね」
「マーキュリーの調子はどうだい」
「このところあんまり痛まないみたい。でも、持って無いと不安だって、そうおっしゃっていたわ」
マーラは、急ぐのをあきらめて椅子に座り、ミルクティーを味わいながら、マークおばさんの薬研を操る手元をぼんやりと眺めていた。腰掛けるとまだ小さなマーラは脚が床につかずにブランブランと揺らした後、椅子の脚に靴を乗せた。
「さあ、出来上がりだ。今日は朝から忙しくて薬を調合しておく時間が無かった。
ずいぶん待たせてしまったね」
「大丈夫、おばさんの家には不思議なものがいっぱいあって退屈しないわ。残念ながら水晶の玉のお告げは私には見えないみたいだけど」
マーラは残念そうにそう言った。
「そうかい、それは良かった。
あ、これは頼みなんだが、今度来る時、この先の牛乳屋によってミルクを一瓶買ってきておくれでないか。そうしたら行く手間が省けて助かるよ」
マークおばさんが指さしたのはホムテナム通りの牛乳屋。ミルクティーの好きなおばさんらしい注文だと思った。
「わかりました。きっと忘れずに寄ってくるわ」
そう言うと、マーラは椅子から飛び降りてお店を後にした。
マークおばさんのお店には何でもあった。ホムテナム通りの古道具屋にも負けない品ぞろえ、飽きないのは本当だけど、コウモリやイモリの干物の匂いは鼻をつまみたくなるほど嫌な匂いだった。
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