31話

 美蕗は目を伏せて「皮肉なものね」と呟いた。

「芸事に通じている史岐を差し置いて、貴女の方が先に気づいたというのは……。でも、彼の生い立ちを考えれば、そう思い込むしかない、という事なのかしらね」

 美蕗は柊牙に向かって片手の指を立て、手前に引くように動かす。すると、扉の脇に立っていた柊牙が江戸の絡繰り人形みたいに紙の挟まったクリアファイルを運んできて、二人の間にあるテーブルに置いた。

「千堂が買った画材の履歴を調べさせたわ」

 クリアファイルに入っていた紙を取り出しながら美蕗が言う。そんな事、個人が無許可でやってもいいのか、と思ったが、利玖は口に出さなかった。

「結論を先に言うと、彼は、十枚や二十枚じゃきかない数の油絵を描くのに十分な画材を買い込み、かつ、一枚も外に出していない。どこかに売ったり、コンテストに応募した形跡がまったくない、という意味ね」

「わたしと史岐さんが見た絵以外にも、彗星を描いたものがたくさんあって、それらすべてを手元に残されている、という事ですか?」利玖は紙を引き寄せて、並んでいる数字に目を通す。「自分が描いて満足する為だけに、これだけのお金を使うだなんて、ちょっと、並大抵の思い入れではありませんね」

「もしかしたら、その絵だって史岐が行った日に初めてフロアに出したんじゃないの? 彼の車のエキゾスト・ノートって遠くからでもわかるもの」

 美蕗は紙をクリアファイルに戻し、裏返しにしてテーブルに伏せると、脚を組み替えて利玖を見つめた。

「さて……。あなたは、千堂が執着しているのは娘ではなく、彗星の方だと考えている。それはわたしも同じ見解です。しかし、だとすると、困ったわね、彼はもう一度同じ彗星が見られるまで柏名山を離れないかもしれない。銀箭への助力も続けるでしょう。かといって、彗星なんて簡単に呼び出せるものでもないし……」

 いかにも途方に暮れたという風に、尻すぼみになって消えていく美蕗の声を聞きながら、利玖は胸の奥で、ドンッ、ドンッと鼓動が強まるのを感じていた。


 千堂を止める最も手っ取り早い方法が何なのか、美蕗はわかっている。

 言わないだけだ。

 利玖が自ら、それを切り出すのを待っている。


「美蕗さん」利玖は膝の上で手を握りしめて、美蕗を睨んだ。

「今少しお力をお借り出来ませんか。史岐さんに気づかれないように進めたい策があります」

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