女の子が苦しそうに咳をしている男の子に優しく声をかける。

「だいじょうぶ？」

　小さな手でハンカチを男の子に差し出す。子熊がプリントされたピンクのハンカチを男の子は受け取り、口にあてた。男の子の背中を女の子は優しくなでると、咳が止まり表情が和らいでいった。

「みやじませいな　さん」

　女の子を呼ぶ声がするが、男の子から離れようとはしなかった。また名前が呼ばれる。

　女の子は優しく笑みを浮かべて部屋を出て行った。

　ＰＩ・ＰＩ・ＰＩ・ＰＩ‥‥‥

　晴菜（せいな）は夢うつつでアラームを止めた。時計は６時を表示している。

「なんだろう。あの夢」

　ゆっくりと起きあがった。寒くはないが、布団の温かさが恋しい季節の朝である。

　パジャマを脱ぎ、制服に着替える。紺のスカートに白のジャケット。水無月学園（みなづきがくえん）中等部の制服だ。

「今日から３年生か。うーん、気合い入れねば。それにしても変な夢だったな。すごく昔のことだ。あまり憶えてないはずなのにやけにリアルだった。未練かあ、晴菜」

　鏡に映る制服姿の自分を見て舌を出してみせる。知った生意気な顔が舌を出していて、思わず笑ってしまった。

「せいなーっ。起きてるの？　ご飯よ」

　キッチンから呼ぶ声に元気で応えた。

「おっと、朝ご飯。しっかり食べないと」

　晴菜は軽く髪型を整えると、洗面所へとかけていった。

　４月の空は晴れ渡っていても霞んで見える。日差しは暖かいが、風は肌寒い。

「おはよう、晴菜」

　後ろから元気な声を掛けたのは、クラスメイトの早紀だ。自転車が歩く晴菜を追い越して行った。白いジャケットに赤いヘルメットが良く映えている。歩いてはいるが、晴菜は電車通学だ。駅から３００ｍほど歩けば、白色の巨大な校舎が見える。私立水無月学園（しりつみなづきがくえん）の校舎だ。中高一貫の私立学校だが、お坊ちゃま、お嬢様学校ではない。とはいえ、一応は進学校であるがゆえ、生徒もそれなりのレベルではある。

　晴菜は今日から中等部３年生になる。２年生の終業式の日には、すでに３年のクラス編成が発表され、４月からの生徒活動の委員も決定していた。晴菜は保健委員に立候補していた。他に立候補者がいないので、すんなりと決まった。保健委員は多くの学校で存在するものだろう。具合の悪い生徒の救護や人命救助などの講習の補助をするのが主な役割だ。１年生の時にクラスメイトから推薦され保健委員になったのがきっかけだった。弱っている人を放ってはおけない性格の晴菜にはピッタリの役だった。実際、クラスメイトからも何かと頼りにされているところは、晴菜の活躍の成果と言えた。

　教室に入ると晴菜は、決められている席へと着いた。窓が開けられ、春の風が入ってくる。

「晴菜、せいなー」

　情報発信の女子グループが声をかけてきた。晴菜は元気いっぱいの声で応える。

「ねえ、晴菜の隣って転校生の席でしょ。どんな子がくるのかな」

「転校生？　えっ、この時期に」

　晴菜は慌てて黒板に張り出された席表を確認した。確かに「宮島晴菜」の隣は「転入生」と記されていた。

「ありゃ、本当だ。自分の名前以外は、全く気にしてなかった」

「普通、お隣さん気にするでしょう。まあ、晴菜らしいから驚かないけど」

　やり取りを見ている生徒からはドッと笑いが起こった。晴菜も一緒に笑った。

「いやあ、だってもうクラスのみんなの顔は知ってるから」

「誰が隣でも気にならないって？　さすが晴菜さん。保健委員だけのことはあるね」

「それ、関係ないですから」

　晴菜がツッコミ口調で合いの手を入れた。

「いやいや、実際、晴菜を頼りにする生徒多いよ。女子男子関係なく、他のクラスの子まで体調悪くなると晴菜に声かけるんだから」

「うんうん、ほんとそうよだね。あっ、そうか！　だから転校生も晴菜の隣にしたんだ」

　グループから笑いが沸く。

「それにしても、転校生は男子、女子？」

「全然、情報なし。何だかかなり秘密になっていて。あっ、でも男子っぽいことは先生が言ってた」

「まさか、どこかの御曹司とか」

　女子たちは「う～ん」と考え込んでいる。

「おやおや、我がクラスの情報部も形無しですか」

　晴菜がヤレヤレというジェスチャーをすると、笑い声が教室を包んだ。

　特別変わった光景ではない。そして、何てことはない会話で始まる新学期の‥‥‥はずだった。