15

「あ〜っつっかれたー……もう何もしたくない……」

 よろずは研究室で溶けていた。

「ふっざけんなよあいつ、参加者何千人いると思ってんだよ……他人の形代コピーひとつ造るのに研究費用いくらかかると思ってんだよぉ……」

 整理整頓に特化した形代が、魔窟と化した机の上を片付けながら声をかける。

「でも本体、今回の件が片付いたら鬼頭家全体に閻魔大王から庇護貰えるでしょ? 今よりさらに上の研究もできるし、権利の保護も強固になるし。あと褒賞もでかいし」

「それはそうだけどさあー、あーっもうそれにしても腹立つー! いくら天才の僕だって、そんな何の苦労もせずに依頼こなせるわけないだろ!」

 切り揃えた長い前髪で隠された目元。おかっぱにした黒髪。そのあまりに巨大な権威と肩書を背負うにしては小柄な体躯。

 地獄をひっくり返す数々の技術を世に送り出し、鬼頭家を支える天才――鬼頭万。

 バニラ、抹茶と名付けられた二人の形代が部屋に入ってきた。

「本体〜、こっちの領収書終わったよー」

「本体、私機械片付けてきた」

「あーおっけー……あとで報告書出しといて……適当に読むから……」

「ほいほーい」

 再び溶け直して机の上でだらける万に、形代たちは手慣れた様子で書類をまとめる。

「あ、そうだ本体」

「なに期間限定さつまいも。今の僕は話聞く気力もないからあとに……」

「さっき、上で戦と会ったよ」

「……」

 万はゆっくりと体を起こした。前髪で目元は隠れているが、その口元がくっと引き結ばれている。

「家に帰ってきてるってこと?」

「たぶんね」

 鋭くはないが明らかに硬い声に、期間限定さつまいもは頷く。

「………………ふーん」

 長い沈黙を置いて、たった一言だけがぽつりと落ちた。



「参加者全員……形代、ですか?」

 戦の横で、叡俊も火亜もさすがに声を失っていた。夾竹桃は何も顔に出ていないが、なにやら腕を曲げ伸ばししたり振り回したりしはじめたので、動揺しているのだろう。

 慣れている火亜がいち早く冷静を取り戻して、ほとんど諦めかけた目でヤマを見る。

「……つまり、さっき僕がやっていた就任式は」

「うん、後日もう一回やり直し」

「なんで僕にまで隠していたんですか」

「だってさ、本番と同じ気持ちで臨んでこその予行演習リハーサルだよ?」

 火亜はもう何も言わず、代わりにため息をついてぐしゃりと黒髪を乱した。

「まあ、言っていることも、目的もわかりますが……」

「でしょう? つまり叡俊は今回、地獄や私に対して何の損害も出していないわけだよ。それにね」

 ヤマは呆然としている叡俊と夾竹桃をほんの一瞬優しい目で見てから、悪戯が成功したような顔で笑ってみせた。

「閻魔庁で働く条件は、いかに死者に、人に、魂に寄り添い、導き、あるいはどれだけ真剣に向き合えるかだ。閻魔大王に忠実かどうかじゃない。たとえ敵意を持っていたとしても、君たちのこの四年間の仕事ぶりは過去最高だったと私は思っている。だからこれから地獄に堕ちてくる何千、何万の魂のために、君たちをここに留めたい」

 無間の中に潜む大きな炎が、言葉となって顕れ、部屋に燃えてゆく。

「叡俊が司命、夾竹桃が司禄を務めていてくれれば、少しでもいい方向にいける魂があるんだ。なら、閻魔大王わたしへの殺意なんて些細なことじゃないか」

 本気でそう思っている。火亜も叡俊も、夾竹桃も、人の感情に疎い戦でさえも、それを魂で理解した。

 決してすべては見せないのに、くっきりとそれが透けている。

「地獄は、閻魔庁は、私のためにあるわけじゃない。私たちのためにあるわけじゃない。今この瞬間地上で生きている、数えきれないほどの命のためにあるんだ」

 ヤマの手が机の上に置かれた夾竹桃の辞表を手に取り、そして、一瞬で灰も残さず燃やし尽くした。

 紙ごと炎が消えたてのひらを、すっと引く。

「よって、君たちの辞職は私が許さない。二人を越える人材がいつか現れるまで、終身雇用だ」

 ヤマは席を立つと、コツコツと軽やかな音を立てて、叡俊と夾竹桃の間を通り抜けた。

「残念だったね。性格の悪い上司を恨んでくれたまえ」

 振り向かないままひらひらと手を振って、その背中がぱたんと閉じた扉に遮られ、見えなくなる。

「……我が父ながら、最低で最悪な大王だな」

「え」

 顔を見合わせる叡俊と夾竹桃に気をとられていた戦は、すぐ隣で火亜が呟いた言葉にばっと振り向いた。

「え、えっ……」

「どうした? 戦」

「あ、あの方」

 ぷるぷると震える戦の手が、ヤマが出ていったばかりの扉を指さした。

「今上……閻魔大王、だったのですか」

「――ああ」

 ようやく合点がいった火亜が頷く。

「そうか、戦はまだ知らなかったね。今のが今上だよ」

「私、今上陛下になんてことをっ……!」

 使者様呼びをはじめ、数々の無礼が脳内を駆け巡っていく。

 戦はぱっと本気の瞳で顔を上げた。

「焦熱地獄で頭を冷やしてきますっ!」

「やめろ。そもそもあんなのは肩書だけで、中身は君が思うほど大層じゃない」

「ですがいくらなんでも」

「戦。命令だ」

 その言葉に弱い戦は、ぐっと言葉を詰まらせる。

 今の主の命令か、地獄の最高権力者に無礼を働いたことへの罰か。

 脳内で、戦の天秤が高速で揺れ動く。

「……今上のために時間を使うくらいなら、僕とここに居てくれ」

「え」

「なんだよ」

 驚いて火亜を見ると、機嫌を損ねた涼やかな瞳が戦に向けられる。

 戦は目を丸くして、ぱちぱちと数回、瞬きをした。

「火亜様は、寂しいのですか?」

「……悪いかな。僕だって、人並みにそういう感情はある」

 完全に不貞腐れた火亜は、机に腰を寄せて体重を預けた。唖然としている戦と、目を合わせる。

「せっかく十日ぶりに、この場所に四人揃ったんだ。もうしばらくは、ここに居よう」

「――そう、ですね」

 何やら言い争っている叡俊と夾竹桃を見る。夾竹桃に何か言われて、叡俊が笑い出す。

「平和ですね」

「そうだね。僕の大好きな場所だ」

 火亜の口元が穏やかに緩む。目を閉じて、そのあたたかい空気を感じる。

「さて、じゃあ、何か話そうか」

「何かってなんですか?」

 火亜の言葉に、夾竹桃が振り向いた。火亜は眩しそうに瞳を細めて笑う。

「なんでもいいから、なにかだよ。友達と話したいことだ」


 いつもみたいに。

 四人で、何か話して、はしゃいで、楽しもう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る