「あら、いたの」

 閻魔王宮から家に帰ってきた戦は、鬼頭風靡ふうびと廊下でばったり行き会った。戦の姿を目にして、六歳年上の姉はわずかに眉根を寄せる。他の家族と話しているときは凛とよく通る声が、不機嫌さを滲ませてわずかに歪む。

 風靡は機能性重視の戦とは違い、美しさに気を使った服装だ。

 前髪は短く切りそろえられ、丸い額と可愛らしい顔立ちが強調されている。

 後ろ髪は足元にひきずるほど長く、十分すぎるほど手入れされているために美しく艶めいていた。しかし、毎日の入浴に二時間以上もかけるくらいなら切ればいいのにと戦は思う。

 同様に、体のあちこちを飾るアクセサリーも、戦からしてみれば戦闘に邪魔なものばかりだ。もっとも、風靡が戦場に出ているところを見たことはないのだが。

「はい、本日から閻魔王宮に住み込みで、閻魔大王様の護衛をさせていただくことになりました。今、生活用品を取りに」

「――はあ⁉」

 火亜は鬼頭家の当主に話を通してあると言っていたが、彼から風靡に話してはいなかったらしい。

 戦の言葉を聞いた風靡は、眉を吊り上げた。

「ちょっと待って、なに、どういうこと? 私は聞いてないんだけど」

「護衛自体は当主様からの命令ですし、住み込みということに関しても当主様には話を通してあると、閻魔大王様は仰せだったそうですが」

 風靡はそれを聞いて、ひゅっと息を呑んで絶句した。

 大きな瞳が、じわじわと見開かれていく。

「……じゃあ、当主様はそれを許したっていうの? それ、いつまでの話?」

「許したのではなく、ぜひ行くようにとの命令を受けております。期限は聞いていません。ですが、一生ではないそうです」

「じゃあ、その間っ……その間、鬼頭家に何かあったらどうするつもり。住み込みってそんなの、だって。鬼化できなくなってたって、あんたは今、うちで二番目に強いのよ」

「元から私はほぼ一日中、家を出て訓練していました。住み込みで働きはじめても、特に今までと変わりはないかと」

「そういう話をしてるんじゃないわよ!」

 何が言いたいんだろう。

 普段あまり感情を表に出さない戦だったが、風靡と話しているといつも論点がわからなくなる。それで苛立つことはない。ただ、どうして普通に話せないのか疑問だった。

「では、私はどうすればいいのでしょうか」

「そんなのっ!」

 口を開いた風靡が、言葉に詰まってぐっと唇を噛む。

「護衛は当主様からの指示です。貴女に、当主様の命令を撤回する権限はないと思いますが」

 風靡の全身から、一瞬殺気のような敵意がした。

 戦は平手打ちが来ることを予想して咄嗟に動きやすい態勢をとったが、風靡は殺気を抑えこみ、俯いて呟く。

「……私にはなくても、次期当主のあんたにはあるでしょう。なんで断らなかったのよ」

「姉上は、閻魔大王様と接点を持つことを喜ぶのだと思っていました」

「庇護を受けることと、戦闘要員が家を離れることは全然話が違うわよ! なんでそんなこともわからないわけ!」

 なんでわからないのかと言われても、戦に感情と呼べるものが備わっていないことは、家族全員知っているはずだ。

 だから戦は、避けられているのではなかったのか。風靡のように敵意をむき出しにして自らつっかかってくることはなくとも、家族から明らかに距離を置かれていることくらいはわかる。

 風靡は戦にはわからない感情が渦巻く瞳で、ぎっと戦を睨みつけた。

「あんたは……あんたはいつも、結局鬼頭家を捨てるのね」

 小さくて鈍いが、深くて鋭い言葉だった。戦は内心首を傾げる。

「捨てた覚えはありませんが」

「捨てた側は、捨てられた側がどんなに傷ついてたって、捨てたことにすら気づかないのよ」

 そんなことを言われたって、本当に捨てた覚えがないのだから仕方がない。

 生活用品をとりに来たのに、このままでは話が進まないし、廊下を通してももらえなさそうだ――と、戦が困り果てたとき。

「次期当主殿」

 しゃん、と澄んだ神楽鈴のような低い声がした。

 涼しげな風が、玄関から吹き抜ける。

 風靡の口元がくっと歪み、戦は声の主が誰か分かっていて振り向いた。

 軍服を身にまとい、薄く淡い金色の長髪をひとつにくくった青年。桜色の切れ長の瞳に、ひんやりとした光が宿っている。

 戦と風靡の兄にあたり、鬼頭家の現当主でもある、鬼頭遊戯たわむれだ。

「殿下の護衛を命じたはずだが、何故ここにいる」

「住み込みということを知りませんでしたので、生活に必要なものを取りに」

「そうか」

 部下から鉄仮面と称される遊戯と、地獄のあちこちで戦闘兵器と噂されている戦は、お互いに向き合っても表情にも声にもほとんど変化がない。というより、全くない。

「――おかえりなさいませ、当主様」

 二人の空気に風靡が強張った声で口を挟むと、遊戯はそちらを一瞥して「ただいま」とだけ短く答える。

 その視線は、すぐに戦に向いた。

「護衛を務める以上、殿下に万一のことがないように、鬼頭家の名を背負う者として死力を尽くせ。それから、決して無礼はするな」

「かしこまりました。……では、私はこれで」

 戦は一礼して、自室へ向かう。

 風靡も、遊戯と目を合わせることなく身を翻した。遊戯は激務のため家にいることが少ないが、戦と風靡が仲良くおしゃべり……などということをしているのを、一度も見たことがない。

 二人の姿が見えなくなると、遊戯は静かに目を閉じ、ふっと短く息を吐いた。


「……ずいぶん、嫌われたものだな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る