#70 脱脂粉乳は年代のふるい

たまたまTVで取り上げられてたので 


給食の悪夢といえば 脱脂粉乳 の団塊世代

ビン牛乳だったよ運ぶの重くて は団塊ジュニア

そして 平成世代は 紙パック ワゴン運搬だそうな

   うちら 校舎は段差ありまくり 廊下の板もつぎはぎで

   ワゴンなんて あっても使えなかったろうけど


TVで試飲していた脱脂粉乳はとても美味しかったようです

当時の製品には小学生でもわかる〝まずい理由〟がありました

学校に運び込まれる形態は 1年生の背丈ほどの大きなドラム缶

これって 日本の子供たちの栄養状態改善の為にアメリカから

運ばれたもので その量や運送費の関係もあって船便

冷房も暖房もない船底にぎっしり詰まれた粉乳は何日もかかって

日本へ そこから各地に運ばれて

うちの小学校では昇降口にデンと置かれてました

     今思えば 給食は給食室で調理していたから熱くて置けない

     当時 学校に空調なんかないから 

     せめても風の通る昇降口に置いていたのでは

あくまで 個人の体感ですが 

〝これで 変質しない食品はない!!〟(TVのは白かったけど薄茶色だったもん)


この粉を お湯で溶いたものが各クラスごとに蓋つきバケツに入れられて

     サイズがちょうど プラ蓋つき生ごみバケツだったなあ

給食当番が二人で教室まで運びます 中身が波打ってえも言われぬ匂いがして

大変 それをひしゃくで 金属のコップというよりは鉢についでいきます

その間に絶妙に冷めて ぬる~くなって そらもう…  ツラかった

      運搬途中に低学年の子がひっくり返した と聞いたら

      羨ましかったわ


当時の小学生の風聞は

「牛乳の美味しいところを絞ってアメリカの子供が飲んで

 残りを日本の子供が飲んでるらしいよ」

「大豆カスや油カスと同じで アメリカじゃ豚のえさだったけど

 あんまりまずくて 豚が食べなくなったので日本に送ってきたんだって」

「日本の生徒があれを飲まないと また攻撃されるから飲めってばあちゃんが」

もちろんあくまで 小学生のうわさ話ですが 子供ですから信じてた部分も


現実にはタンパク質を補って 日本の子供たちの栄養状態は改善した

のだそうです がぁ 私どもは さすがに戦争直後とは違い

普通に食事してましたから あれは辛くて

それは 大人でもムリなものでして


高学年時担任の40代女性教師は アレが大嫌いで教室で給食食べませんでした

だからでしょうか 注ぐ時に「ちょっとで」依頼を認めてくれてましたが

〝飲まない〟選択はできません

       先生が教室にいないので かなりのアレが手洗い場に流されました


そして アレがいやだから 午前中だけで家に帰りたいという私に

「何を言う」と相手にしていなかった母でしたが 

私が 5年生の終わり位だったでしょうか

PTA役員の給食試食会に参加したとたん 想像の数段上をいく行動にでます

       とにかく お嬢で自分基準 一直線な人でして


「あんな不味いもの初めて食べた あれはアカン 体にも心にも悪い」

と言って 友達付き合いのかかりつけ医(しかも校医)にどう頼んだのかも

どう書いてもらったのかも 分かりませんが(多分 今でいうアレルギー的な)

診断書を書いてもらって提出したらしく 

実は私 6年生から突然飲まなくてよくなったんです

 まあ それはそれで 私的には居づらかったですけどね

元々体の弱い なんか違う人 の立ち位置だったので(クララ的な)

同級生には何も言われなかったですけどね


でも 中学に入ったら 弁当なのに なぜかアレだけが配られて……

パンと牛乳は買えたので 牛乳買って ビンに入れ替えて……

でもそれは ほんのしばらくで なくなったんですよ

過剰輸入分の残りを飲ませて処理したのでは といううわさもありましたのう

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