第六話 王都トレドへ4

夜の帷がエルボの森に落ちる。夜の森は異界と化す。夜の森では、明るいうちには出会わないような恐ろしい獣や魔物が徘徊する。

一列に並んだ馬車の行列は暗闇の中を進んで行く。それぞれの馬車に松明が灯り始めた。一列に並んだ明かりが真っ暗なエルボの森に浮かび上がる。まるで真っ暗な闇夜の中を橙色の星々がゆっくりと流れていくように見える。


一行の先頭を走る一際大きい馬車──。その中で商会長ローレンスは自分の部屋を改めて見つめていた。広々とした室内には意匠の凝った調度品が幾つも置いてある。目の前の机はヴォールト古王国の職人の手で端正に作られたものだ。元々売り物として購入したものだったが、あまりの出来栄えに手放すのが惜しくなり自分で使っている。かなり値が張ったが……。

窓には真紅のカーテン。これはイルス国産の生糸でできている。そして贔屓にしているアメストリス皇国の職人に頼んでその生糸を織ってもらった特注品でとても気に入っている。ローレンス真紅のカーテンを開けて外を伺う。馬車の中の光が森の闇の中できらりと一瞬反射した。何か巨大な生物の牙に反射したように見えた。瞬きをしてもう一度目を凝らしてもそこにはただ闇が広がるだけだった──。

何かの見間違いか……。

ゴトリと馬車が揺れる。ローレンスは鈴を鳴らした。するとすぐに一人の少年がローレンスの部屋に入ってきた。


「旦那様、いかがされましたか?」

ロトはニコリと笑顔を浮かべてローレンスを見つめる。

ロトはもともと戦争孤児だった。リヴァイア帝国との戦争で両親を失って行き場を失っていたこの少年を、ローレンスは拾って自らの小性としていた。人を拾うなんてことはあのジェイスとこのこのロトくらいだ。決して慈善事業として拾ったのではなく、この子は役に立つと感じだからだ。ロトの瞳の中に聡明な光を感じた。気がつくと自らの右腕になれる人材かもしれないと思うと既にロトの手を引いていた。

ロトには日常の様々な雑用から商会での商売の知識まで一通り教えている。まだ十歳になるかならないかな年齢だと言うのに覚えが早く、とても助けられている。

他の連中には食い扶持が増えるだと散々に反対されたが、やはり俺の目に狂いはなかった。今ではロトは仲間からも愛され可愛がられている。

「旦那様?」

ロトは不思議そうな顔をしてもう一度訊ねた。

「おお、すまなかった。少し思い出に浸っていた……。だいぶ夜が更けてきたが、野営地はまだか?」

ローレンスは外の様子を窺いながら言った。

「はい……。出発がだいぶ遅れてしまったので……。少し足を早めましょうか?」

「うん、予定通り中継地点までは進んでおきたい」

「わかりました。では足を早めるよう言ってきましょう」

ロトは急いで部屋から出て言った。

少し経つと馬車の足が速まった。


樹々の天蓋が空を覆っており、エルボの森の中には月光は差さない。

お互いの松明の明かりがなければ、自分がどこを走っているか分からなくなる原始的な暗さだ。


「ワゥー、ワゥー」

闇の中から狼の遠吠えが湧き上がる。


「お母さん…怖いよ」

テラはガタガタとその小さな背中を震えさせた。怖いものがこちらに来ないよう、ぎゅっと口を結び、目を固く閉じる。

森の静けさを貫く狼の啼き声。一行は自然と速度を速めた。


テラは目を瞑りながら、3年前のある真夜中のことを思い出していた。

あの日のことは今でも鮮明に脳裏に焼き、時々夢でうなされる。

家の窓から見た、稲妻を背にして浮かび上がる父の背。震える母の身体。眼を血走らせる狼。山羊から流れる緋い血。父の放つ銃声……。

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