第7話 下駄箱から

気がつくと、五月の終わりだった。


目が覚めると夏で、咲子はあまりの暑さに少々フライングでポロシャツをタンスから引っ張り出した。


友達が出来ないのではないかというのは杞憂で、隣の席の風花と仲良くやっている。


 好きなものも最近見るアニメも、今日お母さんに怒られたという愚痴も大体全部話せる。イザナさんとのことを除けば。


入った同好会は月に一回しかない緩いものなので、週末は時計塔に通っている。

 ただ、それは咲子が自分から通ってるだけで、イザナさんから呼び出されることは一度もなかった。


 そんなこんなで気づけば五月が終わるところである。


 ポロシャツのボタンを一番上まで留めて登校したら駅で合流した風花に第一ボタンを外された。


気が狂ったカラスみたいに笑い続ける、もはや狂気じみた風花に驚いたが、まだ朝の早い時間だから人はほとんどいない。


さあさあ好きなだけ笑ってくれたまえ。


「そんなガッチガチに留めちゃって、咲子死んじゃうぞ」


「だって先生たち第一ボタン留めろってうるさいじゃん」


緩くなった襟元をパタパタするとぬるい風がべっとりと肌に絡みついた。


「んな夏までそんなことしてたらぶっ倒れるって。地球温暖化なんだから時代は暑いの」


「今年の夏は南極に涼みに行こうよ」


「字面だけはいいね」


「字面だけはね」


二十分も歩けば学校に着く。


「誰だよパンフレットに徒歩十五分って書いたやつ」


「風花なら行けるよ、ほら得意のローファーダッシュで」


「じゃあ咲子も一緒に走ろう。そのポニーテールを風になびかせなさい。きっと男の子が振り返るでしょう」


 結局ローファーダッシュをすることなく、無事に学校に着くと、部室に忘れた教科書を取りに行く風花と別れ、咲子はひとりで校舎に向かった。


 昇降口にこれでもかと並ぶ下駄箱。人混みを嫌う風花は、早い時間の登校を好む。だから、誰もいない。一番上の111番が咲子の靴箱を、いつも通りに背伸びして開けると、中に何か入っていた。顔を近づけると錆びた靴箱の鉄の匂いがした。


 手を突っ込むと中から麻のような細くて長い長いロープが出てきた。紙が1枚括り付けられている。来たか、下駄箱にラブレター。


人生初のラブレターをロープに巻き付けて送るとは、やってくれるではないか。

人によっちゃ返り討ちの凶器にされるぞ。


照れて歪んだ頬を締め付けるべく、ロープを握る手に力を込めた。


冷静に考えると、ロープのついたラブレターとは、別の意味で危ない気がするのだが、恋愛経験に疎い、恋愛バロメーターが容量オーバーしている咲子はそんなことを考える脳みそを持ち合わせていなかった。


一旦うふふとときめいたあと、とりあえずちょうど持っていた体育着入れにロープを突っ込み、紙だけちぎった。


見ると意外にも可愛い文字で、形だけ見てもラブレターでないのは明白だった。一瞬で興醒めしたが、もしかすると可愛い文字を書く子なのかもしれないと、一縷いちるの望みは捨てないでおく。


送り主はイザナさんだった。


これまた別の意味でドキドキする。


「自分の部屋の窓の近くに片方ロープを結びつけたら、窓を開けてロープを放ってください」と書いてある。


わけがわからないけれど、たぶんその通りなのだろう。放り投げてどうなるかはおいておいて、すごいことが起こる気がする。


学校に来たばかりなのに帰りが待ち遠しくなった。


あまりにも早く家に帰りたくて、体育の五十メートル走でクラス二位の快挙を成し遂げてしまった。


「咲子、あんたやっぱりローファーダッシュトレーニングしてるでしょ」


「やってません」


「ま、あんだけ嫌そうにしてたしやるわけないか」


「おっしゃる通り」


 だがしかし、今日はローファーダッシュで帰ることを強く心に誓った。

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