第31話 予想外の客人


 なんだか久しぶりにこの部屋に戻ってきた気がする。1LDKで家具は必要最低限、だけど俺にとって唯一のプライベート空間。心が休まる。


 ――この二人が俺の部屋から出て行ってくれたら。


「なんで毎回連絡もなしに俺の部屋に居るわけ?」


「開智ぃ! 心配したんだぞ俺は~!」


 黒髪天然ぼさぼさパーマを目にするのも久しぶりだな。相変わらず距離感が近い彰はソファから飛び上がり、俺に抱き付いてくる。

 もう一人の客人の叶は、コーヒーを口に運び非常にリラックスしている様子。


「俺は同期二人がピンチだってのに、呑気に何やってたんだっけ開智!?」


「知らないよ。彰も忙しいだろうし仕方ないよ」


 適当にあしらっておくが、それで納得してくれないのが彰の面倒なところ。「なんなんだよ今の言い方は?」など、「叶ちゃんと二人でよろしくやってた方が楽しかったてか?」などを吐き捨てながらガンガン詰めてくる。


「――新崎君がいても足手まといだもの」


「カナウー、ソレヤバイ」


 ついつい俺も棒読みになってしまった。

 恐る恐る片目で彰を確認すると、さっきまでの勢いなどとっくに消えていて、唇と瞼がプルプルと小刻みに震えている。

 その末路は――


「がいぢぃぃ!!」


「うんうん、彰は何も悪くないぞ~」


 産まれたての小鹿のような足取りで俺にしがみ付き泣きじゃくった。

 彰を支えつつ叶に視線を向けると、珍しく柔らかな表情をしていた。どうやらこの空気感が嫌いではないらしい。


「って、いつまでこのままのつもりだよ彰」


 彰を引き離そうとしていると、ある物に視線が伸びる。それは彰の首からネックレスのようにぶら下がっていた。


「彰、その首のなに?」


「へあ? これか?」


 涙を大量に流し続けたままだが、俺の言葉を聞いた彰はソレ・・を首から外し見せてくれた。

 電子式の鍵のようなものだろうか。ひとつだけボタンが付いていて、小さな赤い光を灯している。


「こいつぁGエリアに入れる認証キーよ」


「え、なんで彰がキーを持ってんの?」


「ああ、郷橋隊長が今謹慎中だからな。隊長から指示受けて、エリアに用がある時一人で入れるようにってさ。つっても、下っ端の俺に――」


 彰はまだ一人で話続けてるが、その後の内容は頭に全く入ってこない。何故ならこんなチャンスは絶対に逃がせないと、俺の心が叫んでいるから。隊長に話を通さず、加えて本部への申請もなしにエリアに踏み入れる?

 この時すでに冷静に考え直すなんていう選択肢は存在しなかった。


「それって、借りたりできるか? 彰……」


「ええ。借りるってそりゃ……」


 困った表情を見せる彰。それもそうだろう、俺自身今どんな表情で彰にお願いしているのか、容易に考えられる。恐らく鬼の形相だろう。


「もちろんダメよ」


「「え?」」


 彰と俺は揃って同じ反応を見せてしまった。俺がキーを手にすることを止めたのは叶。彰は驚きの反応、俺は叶に対し少し怒りを含んだ反応を見せた。

 さっきまでの柔らかな表情は消え、俺に対しそれ以上何も言うなという視線を向けてきている。


「開智、どれだけ無理をするつもりなの?」


「無理なんてしてないよ」


「お医者様からゲヘナに耐えられたのは奇跡だと、そう言われたんでしょう?」


 叶はソファから立ち上がり、俺と彰に一歩近寄る。 

 眉間に皺が寄り、その美しい顔立ちには似合わない表情を俺に向ける。それだけ「やめておけ」という意思をぶつけてきている。


「これ以上無茶なことするなら、私から本部に報告する。新崎君、アナタも開智に協力した共犯だと伝えるからね」


「ええ! やだやだ、悪いな開智! キーのことは忘れろ」


「お、おい彰!」


「叶ちゃんの言う通り、お前はこれ以上の無茶は厳禁! 俺はもう部屋に戻るぜ~」


「彰!」


 彰はキーを首にぶら下げ、スキップで玄関へと向かってしまった。

 叶を睨みつける。無論、怒り100%でそんなことしてるのではなく、よくもやってくれたなという含みも持たせてだ。

 叶はシラを切るように「フンッ」と鼻を鳴らし、台所へと向かった。


「コーヒー御馳走様。私も暇するわ。開智に何されるかわからないし」


「はいはい、叶って意外とその手の冗談好きだよな。次からは連絡してから来いよ~」


 さて、部屋の片付けでもするか。


「本当にダメだからね」


「ん?」


 さっきまでの雰囲気とは一変。冗談ではないということだろう。意味は理解しているがわからないフリで対応する。

 叶は背を向けたまま、真剣な声で続ける――、


「開智、心ここにあらずっていう瞬間が増えたわ。目的の為なら命も賭けられるその姿勢、強者だけが許されることよ」


「わかってるわかってる、俺に力がないことなんて――」


「そうじゃない!」


「……」


 ちょっと冗談が過ぎたか? 叶にしては珍しく、少し声を荒げる。

 小さな両手は力強く握られていて、その真剣さが伝わってくる。にしても、俺のことを何でこんなにも気に掛けるんだ?


「悪かったよ叶、無茶はしないから」


「約束して。アナタのためにも」


 俺のため? ここ数日本当によくわからないことだらけだ。だけどな叶、俺は俺のためになることなんて望んでないんだよ。


「ああ、約束する」


 口先だけの約束で満足してくれる叶の顔を見て、俺は安堵した。泪奈のために、俺は自分の未来や希望を削ってでも行動する。たとえそれが誰かのためにならずとも、多くの犠牲を払うことになったとしても。


 玄関の扉が閉まる寸前、叶は心配そうな表情をもう一度こちらに向けた。俺は叶に対し数回首を縦に振ることで、更なる信頼を得た。


 鴨井さんを失い、ジョージを殺したあの時、俺の人生のハグルマは逆転した。手を伸ばしても届かない光を、グッと胸に手繰り寄せるそのために。


 テーブルの上に置かれたスマートフォンが、誰かから着信しているとバイブレーションで知らせる。この着信は必然だ。

 スマートフォンを手に取ると、画面には『新崎彰』からの着信を表示していた。


「どうした彰」


『おお悪い開智。今部屋に着いたんだけど鍵が無くてさ、そっちにあるか?』


 ポケットからとある部屋の鍵を取り出す。


「いや、彰がいたところ確認してみたけど見当たらないな。下の管理人に言って、スペア借りた方がいいじゃね?」


『おっけー、そうするわ』


「ああ、気を付けろよー」


 今夜行動を起こす。




**********




 ベッドの横に置かれたデジタル時計が深夜2時を指している。


「よし」


 この時間なら彰は間違いなく寝ている。

 一応悪いことをするということで、黒いスウェットに黒のパーカーを着用しておく。

 あのキーさえ手に入れれば、Gエリアで自由に動くことができる。


 軽い身支度を済ませ、玄関の扉に手を賭けようとしたその時だった、


「っ?」


 インターホンの音ではなく、扉を直接叩くノック音が突如響く。この時間でこのタイミング、嫌な予感がしないというのは大嘘になる。寝ているフリでやり過ごすこともできるが、ここはGSWの敷地内。宅配や自治会ということはありえず、GSWここに所属する人間が訪ねて来たということ。

 音を立てずに覗き穴に近づく。扉の前に立っていたのは――、


「柴崎隊長?」


 声にもならないような声量で口ずさむ。

 隊長がこんな時間に一体何の用だ? ここで対応しないと色々と厄介なことになりそうだな。

 仕方なく扉を開けることを決断する。


「遅れました隊長。こんな時間にどうされたんですか?」


「寝ていた、というわけではないな」

 

 やはり下手に誤魔化すのは危険すぎる。この人に俺レベルの人間の陽動は絶対に通じない。


「ああ、どうにも寝付けなくて」


 やべ、また余計な愛想笑いしちまった……。


「まあいいだろう」


 何とかやり過ごせた。そういえば隊長達は重要な会議があるとかって話してたけど、オーバーコートを着たままってことはこの時間まで会議してたのか?


中村・・


「はい」


「残念だが、当面の間お前はエリアに入ることができなくなった」


「え?!」


 どういうことだ。何が起こってるのか理解ができない。第五区の件で謹慎処分ということか? いや、それなら期日が設けられるはず。


「待ってください! なぜ俺がエリアに入れないんですか?」


「理由は教えることはできない。強いて言えば私の独断だ」


 隊長の独断? なおさら理解ができない。この間まで信頼に値するかどうか試すなどと言っていた隊長本人がなぜ。 

 もし使えないと判断されたのであれば、鴨井さんの様に適当に使うことだってできる。一体なぜGエリアに入れなくなるんだ。


「納得できま――」


 いや、いい。ここでこれ以上何か言ってもこの人の意思は変わらない。


「どうした?」


 ここは大人しく従うことが吉。俺は彰が持っているキーさえ手に入れれば何の問題もない。

 俺は隊長に「いえ」と前置きし、頭を下げる。


「すみません。隊長の判断ということならば、従う他俺に選択肢はありません」


「忠告しておく――」


 隊長の口調が変化した。ぴりついた空気感に変わったことがわかる。


「会長や上層部の判断は守らなくてはならないが、GSWここじゃ直属の上司の命令が絶対だ。忘れるなよ」


 俺の返事を聞く前に、隊長は去って行ってしまった。真夜中の深淵に消えていく隊長の背中はとても不気味なものだった。

 最後の忠告、あれは脅しなんかじゃない。それを理解してもなお、俺の心は変わらない。




**********




 GSWマンションの六階、そこに目的の彰の部屋が存在する。

 一度も足を踏み入れたことはないが、彰が何度も部屋に来いと誘ってきていたので606号室ということもはっきりと覚えていた。


 問題は一つだけ存在する。最新設備を完備しているのGSWのマンション、部屋への扉は電子キーを所持した状態で、近づいた瞬間センサーが反応し大きな音を立て施錠が解除される。仮に彰が目を覚ましたとしたら、こんな遅い時間で通用する言い訳がほぼない。


「運任せってことだな」


 恐れることなく606号室の玄関へと近づく。「ピーピー」というセンサーが反応を起こした音が発生し、施錠が解除される。

 一度呼吸を整え、彰の部屋の扉をゆっくりと開く。


 もちろん部屋の明かりは消えていて、彰が起きている様子はない。恐らくGエリアへのキーは貴重品と考えていいだろう。となれば身近に置いておきたいはず。

 部屋の間取りは完全一致しているので、寝室に使うはずの一部屋の扉に手をかける。一番慎重にならなくてはならない箇所だ。


 寝室の扉を開くと、彰の寝息が響いてくる。イビキはそれほど大きくないが、なんていう斬新な寝相なんだ。自身の両足を抱きかかえ、膝に頬をすりすりと擦り合わせ幸せそうに寝ている。


 そんなことはさておき、彰を横目に寝室の机に視線を向けると、そこにはお目当ての品がしっかりと置いてあった。問題は彰の部屋から持ち出したとして、盗んだ犯人として怪しすぎるのが俺ということ。何とか彰を説得できればそれが一番だが、正直それは賭けに出るしかない。


 Gエリアへのキーもタッチセンサータイプ。あとはこれを入り口にかざし、本部に怪しまれることなく壁内へと潜入ができる。


「――どこ行くんだ開智」


「――ッ」


 キーを手にし、寝室から出ようとしたその時だった。

 冷静になってみれば、彰の寝息はとっくに聞こえなくなっていた。


「彰……、どうしても、どうしてもこれが必要なんだ」


 寝室の明かりが灯される。失敗を犯してしまった悔しさから、彰の方へ振り向くことができない。


「開智、ますは話そうぜ」


 彰の口調はとてもやさしいものだった。想像していた反応と異なり過ぎて、勢い余って彰の方を振り向く。口調だけでなく、表情までも優しかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る