二対一

 ルーベウスは、イグニディスと共に慌てて仇敵の居場所を探した。まだ遠くには行ってないだろうと、右や左を必死に見渡す。すると、

「ルー、あそこ!」

 イグニディスが城の壁、上の方を指した。黒い人影が張り付いている。ヴァルハラードだ。人の体の一部を咥えている。安全な所でゆっくりと食べ、回復するつもりだろう。

「行くぞ!」

 二人で猛ダッシュする。だが途中、いきなり風が変わった。地上のものを、上へと巻き上げるような気流が生まれている。聞き覚えのある機械音が耳に飛び込んできた。

「待て、イグ。止まれ」

「何? っていうかこの音、何なの?」

 城の壁に張り付いているヴァルハラードも、怪訝に思ったのか首を傾けて周囲を見渡す。だが、何もない。地上の騒ぎなどお構いなしに、空は清々しく晴れ渡っている。だが突如、


 ドゴオオオオォォッ!


 ヴァルハラードのいた場所が、何か巨大なものがぶつかったように凹んだ。城壁の一部が崩れ、拳よりも大きな破片が散らばる。

 直後、ドゥンッ――と地響きをあげて、ルーベウス達のすぐ前の石畳が凹む。そこにいきなり、プロペラのついた機体が、横倒しになった状態で現れた。2という数字がはっきりと見える。

「えっ、嘘! ヘリコプター?」

「あっ……アガサキ。アガサキぃ! 無事か?!」

「はぁっ――はぁ、くっそ、いってぇ……」

 割れた窓から、アガサキが這い出てきた。右腕の形がおかしい。骨折したに違いない。

「何てことするんだ。ヘリごと城に体当たりするなんて、死にたいのか!」

「ゴタクはいいから、お前ら、ヴァルハラードをさっさと片付けろ。落ちたのが見えた

はぁっ……はぁ。サークレ……命令。ィユアに電話。魔獣のボスと……群れは、西、城の外……広場に、いる」

 ひどい怪我を負っているが、命に関わる傷ではない。意識もはっきりしているので大丈夫だろう。問題はヴァルハラードである。

 城は魔法防御によって大きい難を逃れていたが、彼は確かに叩き落されていた。石畳に血だらけでうずくまり、回復魔法に専念している。そこに。


『城内の兵に告ぐ!』

 スピーカーを通じて、城の中と外に、ヴァルハラードの声が響き渡った。

『西、城外の広場に魔獣のボスと群れあり! 手のあいてる者、ただちに集合。魔獣を排除せよ!』

 もちろん本物の声ではない。他人の声を真似る――ガルド領でも使われた技術だ。

『繰り返す、城内の兵に告ぐ――』

「オォオオオオ……ッ!!」

 放送をかき消す勢いで、ヴァルハラードが吠える。魔獣が一匹、馳せ参じた。見た目は巨大な野ウサギで、頭に角を持ち、体中にトゲを持つ。さらに、ギャアギャアと声がする。空から、六つ目の大鴉が複数集まってきた。

 だが、声に呼び寄せられるのは魔獣だけではない。


「親玉はこっちだ。声が聞こえた!」

「「「おおぉおっ!!」」」

 フランゼフとライトテスを筆頭に、兵達が一斉にこちらに来る。さらに放送を聞きつけ、剣を持った兵が城から続々と飛び出し、この場に集結しだした。その中には、

「あっ、プディル、ィユア!」

「はい」

「お待たせしたです」

 見慣れた二人の姿があった。

「ちょい待てプディル。魔獣は? イグの親父さん達はどうした」

「怪我をされた方達は、フレデリカ様や兵士の方が守っています」

「アド姉さん――アドリアナは? どうしたの?」

「怪我をされたので、フレデリカ様が手当をされています。大丈夫、洗脳は解けました。あの方はもう正気です」

 会話の合間に、ネズミに似た魔獣が牙をむいて飛びかかってくる。ルーベウス達は、素早く散って回避した。そこに巨猿の魔獣が飛んできたが、兵達が放った炎球を喰らい、相手は悲鳴をあげて逃げる。


「複・炎球・飛・焼」

「複・炎球・飛・周回!」

「ギャウッ、ギャウギャウ!」

「ガウァッ」

 乱れ飛ぶ号令、魔法、咆哮。兵の動きは悪くなかった。が、キリがない。何せ次々と魔獣が呼び寄せられる。

 ルーベウスは周囲を警戒しつつ、ヴァルハラードの様子を伺った。彼は動かない。息を切らし、時折吠えながら、己の回復を行っている。

(呼吸が荒いな。消耗してやがる。……当然か、あれだけ暴れたんだから)

 兵達の中には、依然、ヴァルハラードを主と信じている者も多いはずだ。だが魔獣化のせいで、誰も、今のヴァルハラードをヴァルハラードと見なさない。

(喋れねぇから、兵達に説明もできねぇよな。ざまぁみろ!)

 事情を知っている唯一の兵を、彼は喰った。ヴァレクのことは置き去りにした。

(自業自得だ。……やれる。魔獣が邪魔だが、これならヴァルハラードを殺れる!)


「皆、あの魔獣がボスだ。囲め!」

 ライトテスが、ヴァルハラードを睨んで大剣をしっかりと構え直す。ルーベウスも、イグニディス・プディル・ィユアや他兵士達と共に仇敵を囲んだ。

「行くぞ!」

「「「おおおぉおーっ!!」」」

 全員で一斉に迫る。これに対しヴァルハラードは、息切れをおこしつつも、喉の奥で音を奏でる。

 刹那、彼を中心に、周囲に炎混じりの嵐が巻き起こった。


「ルー、下がって!」

 イグニディスに叫ばれ、ルーベウスは大きく後退する。間一髪、さっきまで隣にいた人間が、暴風に巻き上げられ、悲鳴をあげて空に舞う。犠牲は一人ではない、ヴァルハラードに向かった兵達がみな、まるで木の葉のように、炎と風に巻かれて宙を舞っている、

「プディル、ィユア、ライト――おい、無事か?」

 周囲を確認した刹那、アルマジロのような魔獣が突進してきた。ライトテスが跳ね飛ばされる。

「ライト!」

「ライトっ」

「ライトぉ……」

「ライトさん!」

「俺はいい、構うな」

 頭から血を流しつつ、ライトテスは大剣で魔獣を払おうとする。

「奴の所に行け、この魔獣は俺が倒す」

「一人では無理です、加勢します! ルベスさん、イグニスさん、ィユアさん。三人でヴァ……魔獣のボスに対処してください!」

 プディルがそう言った直後。ふいに、地面が揺れた。


「まずいです!」

 ィユアが複数の画面を体の前に浮かべ、青ざめる。

「地下からも魔獣の大群が来るです! 急いでボスを倒さないと!」

「いや、下って、石畳だぞ!?」

「そんなの魔獣の群れにとっては紙切れですよ! あっ……しかも、ヴァルハラードの近くに人がいるです」

「人って、もしかして餌か?」

「その人、まだ生きている?」

「重傷ですが生きてるです。でも早くしないと手遅れです!」

「ルー、行くよ」

「おう……ちょっと待った!」

 ルーベウスは彼と自分、それぞれの体に空気の層をまとわせる。さらに、ィユアが肉体強化の魔法をかけてくれた。だが直後、ウッと唸って手で鼻を抑える。


「おいィユア?」

「い、いえ。気にしない……で」

「待ってィユア。鼻血が――魔力の使いすぎじゃない?」

「大丈夫です。ボクも……行、ううぅ」

「ダメだよ、無理に飛び込んだらヴァルハラードにやられる。此処で、ライトテスとプディルのサポートをして」

「うぅ……、ずみまぜん」

「行こう、ルー!」

「行くぜ!」

 ルーベウスはイグニディスと共に高温の渦に飛び込んだ。凄まじい風と熱。体がバラバラにちぎれそうだ。幸い層は厚くない。抜ける――その先に、無風の空間が存在した。


「ぎゃああああぁっ!」

 悲鳴と共に、何かが宙を舞った。ヒトだ。腹を破られている。臓物の一部を抜き取られ、後は不要とヴァルハラードに投げられたのだ。

「ルー、行って!」

 イグニディスが動きを止め、体に力を入れる。ルーベウスは地面を蹴り、彼の背を踏み台にして高く飛んだ。落下する兵を飛び越え、ヴァルハラードに一撃入れようとする。が、さすがに、同じ手は通用しなかった。相手に剣を受け止められる。

「凝氷・連・射」

 落下した兵の体を受け止めつつ、イグニディスが唱える。細い氷柱が空中に出現し、ヴァルハラードに向かって飛んだ。いささか弱々しい。普段なら、もっと太くて頑丈なものができるはずだが、抗魔物質のせいで威力が落ちていた。

 相手は手で、その氷柱を難なく払う。だがこの隙に、ルーベウスは魔力消費と引き換えに、風の刃を作り出していた。

(切れろ……切れろ、切れろっ!)

 魔力も、もう残り少ない。それを必死に注ぐ。狙いは、相手の体に無数走っている線だ。それは怪我の治療痕。完全には治っておらず、皮膚が薄い。

 シャッ、とヴァルハラードの胸から血が飛んだ。前にイグニディスが切ったところだ。一度は治療され、ヘリの体当たりでまた負傷し、治され、今また傷ができたのだ。

(よしっ、このままだ。このまま!)

 治癒させないよう、なおも風を操り続け、えぐっていく。だが次の瞬間、鋭いかぎ爪が飛んできた。あっ、と思った時には、視界が反転していた。


「ぐあっ――」

 防御と強化のおかげで、傷は負わなかった。だが全身を打ってしまい、ルーベウスは呼吸を一瞬止めてしまう。同時に、ダァンッ、と強い響きを聞いた。それは「ぐぁっ」という、イグニディスの声と重なっている。

(イグ!)

 ルーベウスは、自分の呼吸もそこそこに、弟の様子を確認しようと試みる。クラクラする頭を抱え、必死に視界を働かせると……イグニディスが、頭を鷲掴みにされ、石畳に体を押し付けられているのが見えた。

「イグ!」

 ヴァルハラードの鉤爪が、イグニディスの頭に食い込んでいる。血がだらだらと流れていた。近くでは、先程イグニディスが助けた兵士が倒れ、気絶していた。

「グルルルルッ」

 ヴァルハラードがこちらを睨む。彼は目で語っていた。退け、と。さもないとイグニディスを殺すと。

「ルー……構わないで。やって!」

 イグニディスはそういうが。

(ダメだ、できない!)

 ルーベウスは引いた――その時だ。


「ヴァルハラード! 助けてくれ!」

 炎と風の向こうから、ヴァレクの声が聞こえた。ヴァルハラードがハッと耳を傾ける。

(今だっ!)

 ルーベウスは右手の剣で突きの構えを取り、一点集中で相手の腹を狙う。ヴァルハラードは即座に、高低差のある唸りをあげた。

 彼を貫くはずだった剣は、見えない壁にぶつかって止まる。だがそれで構わない。元より、剣で仕留めようとは思っていない。

 ルーベウスは、動かなくなった武器から手を離し、体を左に傾ける。左腕に魔力を集中させ、ヴァルハラードに手を伸ばした。

(イグ、お前の力、使わせてもらう!)

 ジルゴ村が襲撃された日を思い出す。一人、森を突っ切って馬を駆けさせてきたイグニディス。彼の嘆きを、涙を、晴らしてやる。


 指先が、ヴァルハラードの傷口をかすめた。


 次の瞬間、ヴァルハラードの頭は、何者かに蹴られたように吹き飛んだ。彼の首は驚くほど平らな断面を見せ、黒い血しぶきをあげて弧を描き――ドッ、と、土くれの点在する石畳に転がる。

 周囲を囲んでいた暴風が、音もなく消失した。



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