魔獣たち
グゥルルルルッという低い声。肉食の獣を思わせる。
「イグ、下がれ!」
ルーベウスに言われ、イグニディスは素早く後退した。そして――見た。白煙が消え、視界がクリアになる中、ヴァルハラードが四つん這いになっている。倒れたのとは違う。飛びかかるために身を伏せているように見える。
「ウウウゥ……」
彼は唸る。黒い鉤爪が伸びて手袋を破り、白目は黒く染まっていた。口は裂けて鋭い牙がむきだしとなり、服は溶けたように皮膚にはりつき、裂けながら体と一体化した。肌に、黒いまだら模様ができたように見える。
ビキッ、ビキッ、ビキッとヒビ割れの音がした。頭部の右側、黒いねじれ角が上に向かって伸びていた。
程なく、彼は二足で立ちあがった。身長が三メートル近くになっており、頭が天井にすりそうだった。
「しまった、魔獣化か」
キュッキュッと音がした。ルーベウスが携帯飲料パウチの蓋をひねって開け、中身を喉に流し込んでいる。
「ルー、こんなときに何飲んでるの!」
「仕方ねぇんだよ。エーテラ寄宿の副作用だ」
「エーテラ寄宿って、エーテラを体に住まわせるやつ? 文献で見たことあったけど、できるの?」
「そうだ。ちなみに、ヴァルハラードとヴァレクもやってるぜ。あいつらのエーテラ定着率は28から33%らしいから、かなり威力は下がっているが」
「だから魔法が使えたのか。……え、あれで落ちてたの?」
「元の寄宿度が高かったんだろう。毎日毎日、凄まじいカロリー消費だっただろうな」
「冷静な分析はありがたいけど、さすがにもうちょっと慌ててよ! 魔獣だよ? 目も耳も鼻も良くて、すごく厄介な相手だよ!」
「ああ、厄介だ。だから……でやっ!」
ルーベウスがいきなり何かを投げつけた。飲み終えたパウチを投げたのかと思いきや、小瓶だった。手に隠し持っていたらしい。
ヴァルハラードは鉤爪のついた手で薙ぎ払い、瓶は空中で割れた。とたん、中から小さな煙があがり、彼の顔前を包んだ。相手は鬱陶しそうに手でそれを払い、何度か咳をし、奇妙な旋律を奏ではじめる。それは獣の声のようであり、異国の言葉のようでもあった。
途端、ヴァレクや兵士達を襲っていた魔獣が動きを止めた。くるりと向き直り、グルルル……と、こちらを睨んで牙をむく。
「回避して!」
ィユアの叫びと同時に、魔獣が飛びかかってきた。イグニディスは横に飛んで攻撃を避ける。が、わけが分からなかった。
「どうなってるの? この魔獣、味方じゃないの?」
「そのはずだが……おい、ィユア!」
「ダメです、制御できない! こいつ、ヴァルハラードに洗脳された!」
「ヴァルハラード様――」
ヴァレクが、恐る恐るといった風に彼に近づく。ヴァルハラードは相手を一瞥し、頷くと、突然、跳躍した。壊れた窓から外に飛び出す。
「お待ちを!」
ヴァレクがすぐに後を追いかける。この時、唯一残っていた兵士も、身投げするように続いた。
「待てっ」
イグニディスは追いかけようとしたが、直後、魔獣に体当たりを食らわされそうになり、床を転がり回避した。
「痛っ」
散らばっていたガラスが手や顔に刺さり、血が出た。だが、すぐにどうでも良くなった。視界に、壁際に座っているアリスドールと、フレデリカの治療を受けている父が映る。
(そうだ、父さんが……。魔獣が暴れる中、怪我をした父さんを残すわけにはいかない。どうしよう)
取るべき行動に、迷う。そんな時だ。
「緊急コード03、魔獣の活動を強制停止させる!」
ィユアが叫ぶ。途端、暴れていた魔獣が動きをぴたりと止め、どうっ……と倒れる。呼吸はしているが、意識はないようだ。彼はふぅと息を吐いた。
「万が一に備えて、魔獣の動きを止められるようにしてたです。連れてきた魔獣達、すべて動きを止めました」
「良かった。それならあんぜ――うわっ?」
バササササッ、と凄まじい羽音を立て、毛を逆立てた大鴉が一羽、飛び込んできた。瞳は六つ、くちばしからは火を吐いている。
「こいつ停止してないよ!」
「違う! これ連れてきてない!」
「外から来た魔獣か。ヴァルハラードに喚ばれたのか」
「退治するしかないですね」
プディルがパウチを咥え、中身を吸いながら言う。
「複・炎球・飛・周回!」
複数の火の球が大鴉の周りを取り囲む。魔獣は悲鳴とも怒声ともつかぬ声をあげて後退した。
「私も加勢するよ」
フレデリカが、イルニィルを壁にそっと寝させ、立ち上がった。
「……あたしも」
アドリアナが剣を構え直した。彼女は顔をしかめて魔獣を見据えている。
「魔獣を城の中で暴れさせるわけにはいかない。あんたらの処分はその後だ」
と言っているが、敵意はほとんど感じられなかった。洗脳状態から回復し、誰が本当の敵なのか、認識しつつあるようだ。フレデリカは「よし」と頷く。
「こっちは私達で何とかする。君達四人、それと兄さん。ヴァルハラードを追ってくれ」
「了解した、先に行くぞ」
ライトテスが窓から飛び降りる。ィユア、フランゼフがそれに続いた。
「飛ぶぞ、イグ」
ルーベウスに腕をつかまれる。イグニディスは「うん」と返事をした後、
「そちらは頼みました!」
フレデリカ達に父を託し、兄と共に、宙に身を投げ出した。
「両人・風・下射」
ルーベウスが早口で唱える。風のクッションが落下の衝撃を和らげ、二人そろって軟着陸した。そこは普段人が通らない場所らしく、雑草が腰の高さにまで茂っている。植木も枝を好き勝手に伸ばしており、視界はあまり開けていない。
先に行ったライトテス達は見当たらなかった。ヴァルハラードの行方も分からない。ただし目印があった。一部の草が、派手に踏み倒されている。
足跡を頼りに、二人で建物に沿って進む。移動しながら、ルーベウスはまた、パウチ飲料を口にしていた。
「くっそぉ、マジで燃費が悪い」
「ねぇルー、さっき投げた瓶は何?」
「魔衰剤だ。念のためドルギアから取り寄せといた」
「じゃあヴァルハラードの目や耳は、人間と同じくらいの能力になってる?」
「同じか、ちょっと良い程度だろうな。しかし、あの野郎。まさか魔獣を操るとは。魔獣化した影響で、異精霊の力が回復したのか……」
「人間は洗脳されない?」
「今のヴァルハラードは人の言葉が喋れねぇみたいだから、大丈夫だろう。できるなら、俺らはとっくに操られてるさ」
足跡は木々の向こうへと続いている。折られたばかりの枝も散乱していた。人というより、大型の獣が通った後のようである。警戒しつつ、二人でそこを進み――木々を抜けたところで、揃って立ちすくんでしまった。
目の前は小広場だった。通ってきた場所とは全く異なり、植木の枝は適度な長さに揃えられ、要所にベンチや、美しい花が設けてある。足元は白い石畳で、馬車はもちろん、人も軽快に駆けることができそうだ。そんな場所の一角を、おぞましいものが占領している。
軍服を着た男性が一人、仰向けに倒れている。ヴァレクと共に、ヴァルハラードを追いかけた兵だ。既に事切れており、片腕はなく、下の石畳は派手に血濡れていた。だが問題はそこではない。
兵の上で、複数の黒い影が、グチャグチャと口を動かしていた。犬型魔獣が四匹、そして、ヴァルハラードだ。彼は口も手も喉も、血で赤く染めている。
近くにはヴァレクもいた。彼もまた顔の下半分を赤く染めているが、何も口にしていない。顔色は真っ青で、近くには兵の、切り落とされた腕が落ちていた。
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