魔獣との戦い
細い月が照らす中、積み上げられた木材を前に、小山のような影が蠢いている。イグニディスは両手に剣を持ち、歯を食いしばった。
(罠にかかっているとはいえ、相手は魔獣だ。油断は禁物だな)
彼らは元の生物に比べて感覚器官が鋭く、頭も良い。そのうえ魔法を使う。果たして相手は、独特の高低差を持つ唸りをあげはじめた。魔獣の多くは人間のような発声ができないため、人よりも多少時間はかかるが、生み出す効果は引けを取らない。
「来るぞ。全員、防御!」
隊長の言葉と同時に、唸りが止まった。ヒュウッ、と大気が鋭く裂かれる。イグニディスは素早く体をかがめ、剣を盾にしつつ、魔力を左肩の表面付近に集中させる。今纏っているのは支給品のコートで、裏に複数の魔法陣が印刷されている。これにより、詠唱なしで瞬時に防御魔法が発動、風魔法による攻撃を弾いた。
「複・炎球・飛・焼」
隊長が呟く。炎で作った球が五つ、尾を引きながら魔獣に向かい、次々と着弾した。
「ガゥアアアッ!」
魔獣は雄叫びをあげた。ガチャ、ガチャンッと、金属の鎖が、地面と激しくぶつかり合う音が聞こえる。飛び退って逃げようとしたのかもしれない。だが、右前足を罠に挟まれており、動けていない。
投げ込まれた火は下草に燃え移り、パチパチと爆ぜつつ、獣を下から照らす。
「かかれっ!」
隊長の指示に、全員、魔獣を取り囲んで突進する。その時だ。
「グギャゥオォオオッ!」
前足を地面に繋ぎ止められているはずの魔獣が、吠え、二本足で高々と立ち上がった。ドゴォッと地面が鳴る。炎に照らされ、右前足から、鎖と重石が垂れ下がっているのが見えた。
(え、嘘だろ? 罠を……埋めてあった重石を引き抜いた?!)
隊長が退避を命じるのが聞こえた。だが、既に近づきすぎていた。
「きゃっ!」
魔獣が後ろ足を、女の先輩に向かって蹴り出した。やられた側は剣を体の前に出し、防御魔法も重ねようだが、勢いを殺しきれず後方に吹っ飛ぶ。
「先輩っ」
ルーベウスが彼女を見る。イグニディスは慌てて叫んだ。
「もっと距離をとれ、そこは駄目だ!」
蹴り攻撃の後、魔獣は一歩分前進しており、ルーベウスは攻撃の射程範囲にいた。太い左前足が、彼を叩こうと振り下ろされる。
「でっ、あぁっ……ぐうぅっ」
真上からの攻撃を、ルーベウスは剣で受け止める。魔獣はそのまま、ふんばりをかけ、力任せに彼を押しつぶそうとする。
「待って、今助ける!」
「イグニス、勝手な行動は慎めっ」
制止の声が聞こえたが、イグニディスは既に、魔獣に向かって突進していた。相手の心臓めがけて剣撃を放とうとする。ところが攻撃の直前、魔獣が、ルーベウスを左前足で押しつつ、勢いよく右前足で払いをかけた。鎖と重石が、ビュッ……と重々しく振り回される。
「っ!」
イグニディスは慌ててブレーキをかけ、後ろに体をのけぞらせた。間一髪、胴のすぐ上を重石がかすめる。体にぱっと土がかかった。それは下草にも散らばり、火の一部が消え、明るさが失われる。すぐには暗順応もできない。イグニディスは一瞬……本当に一瞬だが、制止してしまった。
はっとして身をひねった時には、獣の顔が間近に迫っていた。頭を喰われることは避けたものの、左肩に牙が食い込む。
「うぎゃぁあ……ッ」
ミシィッと、骨の鳴る音が背中全体に響いた。魔力を腰付近に集め、無詠唱で肉体強化の魔法を展開させる。ところが魔法が発動せず、牙はぐいぐい食い込んでいく。
激痛がおき、耳鳴りも覚えた。隊長が何か言っているが、把握する余裕がない。
「こ、のぉっ!」
イグニディスは右手の剣を魔獣の目に突き刺した。痛みのせいであまり力が入らなかったが、それでも、切っ先は確かに相手の目玉に侵入し、魔獣は牙を離して後退した。
「はぁっ……はぁ、はぁっ……」
肩から背中、腰にかけ、生暖かな液体がだらだら垂れているのが分かる。イグニディスは魔力を右脇腹付近に集め、治癒魔法の展開を試みた。まずは止血と鎮痛だ。ところが発動しない。
「消痛・血・止癒。……消痛・血・止癒」
唱えてみたが、やはりダメだ。噛まれたせいでおかしくなったのかと思ったが。
「炎球・飛・焼。炎球・飛・焼! ……どうした。なぜ発動しない?」
「風・刃・疾斬。風・刃・疾斬――なんで?」
「クソ、どうなっている?」
「魔法が……、これも魔獣の力なの? 部隊長、どうしますか」
「危ない、横!」
「うぐぁっ」
魔獣が動く。何か――おそらく振り回された重石――が、人影を打つのが見えた。声からしてアガサキがやられたらしい。音で、彼が地面に倒れたのが分かる。
やや大柄な影がすっ飛んで、彼の襟足をつかんで後退させていた。間一髪、魔獣の前足が、アガサキのいた場所をえぐる。
「イグ、おい無事か?」
ルーベウスが駆け寄ってきた。暗くてよく見えないが、相当慌てた顔をしている。
「出血がひどいな! ……っ、なんだ? なんで治癒魔法が発動しねぇんだ?」
「分から、ない」
喋るだけでも苦痛だ。心臓の鼓動が早い。あまり脈打つと、かえって血がたくさん流れて死に近づくようで怖かった。それでも抑えられない。
唸り声が聞こえる。魔獣が、再び魔法を使おうとしている。
「イグ、少し待ってろ」
刹那、ルーベウスの姿が消える。裂帛の声と、重々しい切断音とが、夜気を揺らした。
「グルルゥォオオッ――!」
魔獣の悲鳴。暗くてよく見えなかったが、それでもイグニディスは、彼が何をしたのか分かった。「回転強襲」を行ったのだ。剣を振るう直前に思いっきり踏み込みをかけ、飛び上がって体を回転させ、勢いを増して攻撃する技。やる側の隙が多いため、使う機会は限られるが威力は凄まじい。人間の胴体すらも真っ二つにする。
この一撃で魔獣は右前足を失い、バランスを崩して悲鳴をあげた。それでも引こうとしない。ルーベウスの方へ、頭を動かしたのが分かる。
(ルーに噛みつく気? させないっ!)
イグニディスは歯を食いしばって突撃をかける。引け、という声が聞こえた気がしたが、そんな指示には従えない。
「はぁっ!」
右手の剣で、魔獣の鼻頭を強く切りつけた。深々とした長い裂傷を相手に負わせる。相手は悲鳴をあげたが、何せニ頭だ。無傷な方の頭がルーベウスに迫っている。
「ごめん!」
抱えてすっこむ暇などなく、イグニディスは彼を蹴り飛ばした。その直後。
「ひぎっ……」
魔獣の、傷ついた方の頭に右手を飲まれた。牙が肉に食い込み灼熱が走る。
「まずい! 総員、剣でかかれっ」
「はぁっ!」
「やっ」
隊長、先輩、アガサキも駆けつけ、魔獣達に攻撃をしかける。魔獣が独特の音階を作るのが聞こえる。魔法で防御しようとしたのだろう。だが三人の剣は防がれることなく、すべて魔獣の胴体を裂いた。
「ギャグワォオオォッ!」
魔獣は口を離し、大きく身震いする。それを見てイグニディスは知った。魔獣も魔法が使えていない。
(どういうこと? これはあいつの仕業じゃないのか?)
悠長に考えている暇はなかった。手負いの魔獣は牙を唸らせ、立ち上がっていたルーベウスに目標を定める。だが彼は動かない。おそらくいつもの癖で、防御魔法に頼ろうとしている。
「だめだ、ルー!」
イグニディスは飛び出して、彼に体当たりを喰らわせた。直後、魔獣の爪が左脇腹をかすめる。擦っただけと思ったが、鋭い爪は服を破って皮を裂き、はらわたまでも抉られた。
「う……、あ」
顔面が蒼白になるのが分かる。もはや立っていられず、地面に膝をついた。
「イグ、おい、イグっ!」
呼ばれる。だが返事はできない。意識が、遠のいてゆく。
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